入門編その3 でも歓迎です!
正式、藍夕工業高校は男子校だ。
制服は黒の学ラン。
科は三つあり、機械科、電子機械科、電子科。
その科でクラスが分けられ、それぞれの科に制服の他に作業服がある。
カルロスは機械科で作業服は青灰色だ。何故、機械科かというと、カルロスの偏差値で危なげなく受かるのがこの科だけだったのである。他、二つ特に電子機械科が一番偏差値が高いらしい。
入学式からもう男だらけで、一年は何かピチピチしており、二、三年は何だかむさ苦しい。
入学式は簡単なオリエンテーションと授業内容の説明で午前中は終わった。午後は実技の説明になる。
一年はしばらくどの科も同じ実技らしい。その中で、カルロスは一人の生徒に目を付ける。
あいつ、でかッ!
一年の中で、一番と言っていいだろう。
頭一つ飛び出た生徒。作業服は同じ色。つまり、同じ科なのだ。
こっそり様子を伺うが、ソイツは自分で動かない。
人波に流れているだけ。
人に合わせて頷いているだけ。
何だか、大きな木の様だ。
カルロスが動く度にぶつかって流れる。
「ちょっとは避ける、ぐらいしろよ!」
「……え?」
俺に言っているの、という表情でカルロスはその男に見つめられた。
「誰?」
「そういや、見ない顔だな」
と、同じ科の人々に囲まれる。しかし、こんなことにも慣れているのでカルロスは胸を叩いて名乗った。
「俺は今年からこっちにいるカルロス!」
「今年から? じゃあ、前は何処にいたの? 外人?」
「ハーフ! 東京から来たんだ!」
「ふーん」
返事もまた素っ気ない。
しかし、そんなことではカルロスはめげない。
「なぁ、バドミントン部ってどこにあるか知らないか?」
「しらん!」
男は即答する。
あまりの剣幕に流石のカルロスも怯んだ。
「……なんだ、アイツ」
「大丈夫、バドミントン部はあるよ~!」
突然、ぬるっと声をかけられ、カルロスは驚いた。
「うわぁあ!!?」
「ナイスリアクション」
ぬるっとした笑顔の、黒髪の生徒。おそらく上級生だろう。背はカルロスより高い。
「な、なんすか……」
「何、って俺はバドミントン部部長の大友兼平。何か呼ばれた気がして」
「……はぁ」
飄々とした先輩はカルロスに一枚の紙を手渡す。
大きく、バドミントン部新入部員募集中!!
と書かれた雑で下手くそなポスターだ。
「君は我がバドミントン部の救世主だ!!」
そんなこと、廊下で言われても困るのだが。
「……俺、初心者っすよ」
「……え、マジで!? そんな名前で!?」
「……っ、それは!!」
「まぁ、いいよ。いいよ! やる気さえあれば初心者大歓迎。どっちにしろ、君は救世主だ」
兼平という先輩は片目を開く、という特殊な方法のウィンクをした。
「……救世主」
「そう。先輩が卒業して現在のバドミントン部は部員数三人なの」
「……三人」
廃部寸前だ、と国雪から聞いてはいたが、むしろ廃部しているだろ、これ、とカルロスは呆れる。
しかも、この大友兼平という部員。国雪と違って飄々として、ヒラヒラして、まるで信用ならない。
「……先輩はバドミントン出来るんですか?」
「おっ、聞いちゃう? それ、聞いちゃう? 出来るよー! 小学校からやってるもん」
兼平は片手を突きだし、ピースサイン付きで応えた。
「結構ガチかよ!」
「そう。だから初心者でも安心」
「じゃあ、質問。バドミントンってテニスと何が違うんですか?」
「ふふっ、バドミントンは室内競技。テニスは屋外競技だよ」
「じゃ、じゃあ何点で勝ちなんすか?」
「ガチの初心者だねぇ。いいよ! 部長がバドミントン初心者講習をしてあげよう!」
と、気が付いたら何故か使われていない教室に移動していた。
「……え? 授業が……」
「ダイジョウブ、ダイジョウブ、次は委員会、部活説明会だから!」
「ちょ、突然サボり」
「じゃないよ。特別授業さ」
大友兼平という上級生は蛇のような表情でニッと笑った。
カルロスがキョロキョロする中で、兼平は黒板にカツカツと何かを書きなぐる。
「試合は、シングルス、ダブルスともに、2ゲーム先取の3ゲームマッチ。それぞれラリーポイントの21点ゲーム、ただし20対20になった場合延長戦となり、以降どちらかが2点差をつけるか、30点に達するまで行われる。但し、29-29まで来ると一発勝負となるよ」
黒板にはバレーのコートにも、テニスのコートにも似た、コートの図が鮮やかに書き出される。そう言えば、製図の授業もあったから、この人はこんなにも図が上手いのだろう。
「すべてのラリーはサービスから始めるんだ。サービスは、トスの直後を除いて1つ前のラリーに勝ったサイドが行う。
よって、第2ゲームと第3ゲームの初めは、直前のゲームの勝者サイドが行う。
シングルス、ダブルスともに、1ゲーム終了毎にチェンジエンド(プレイするコートのエンド交換)を行う。3ゲーム目まで試合が続いた場合、2ゲーム目終了直後のチェンジエンドに加え、どちらかが11点先取した時に、チェンジエンドを行うよ」
カルロスは兼平の言葉に頭がくらくらした。何故か、説明と図は上手いのに絵は下手くそでシャトルはタコのように見える。
「あのー、何か大会とかあるんですか?」
「いい質問だね! 日本だけでも、数多の大会があるし、オリンピックが最大の大会かな?」
「へぇー。じゃあ、この高校の部はどれぐらい強いんですか?」
「……」
「……え?」
「……どれぐらいだと思う??」
「もしかして……めっちゃ弱い?」
「……どうかなぁ。それは体験してみないと分からないよ。鷹飛国雪の弟、カルロス君」
この人はやはり信用ならない。知らないような振りをしてこちらを伺っていたのだ。
「俺がめちゃ才能なくて弱くても知りませんよ」
「それもやってみなくちゃ分からないよ。君が本当に鷹飛国雪の弟の鷹飛カルロスになれるかもね。バドミントン選手で、という意味で」
そして口車が上手い。
「アンタ、知ってたな」
「まぁね。俺とゆきちゃん……国雪は知り合いだからさ。君のこと聞いた時は驚いたよ」
兼平は部長、ではなくなり一気にフランクになった。教壇に腰掛け、脚を組み、定規を肩に掛ける。
「そんなの、俺だって……」
「まぁ、そうかもね。良く、地雷を踏み抜いたなぁ、と思ったよ」
「……地雷?」
「そうだよ。国雪は父がやれと言ったからバドミントンをやっている。でももうその父親はいない。国雪にとって、バドミントンを続ける理由は父親だった。国雪が続ければ父親の存在は消えないから」
「……え?」
「知らないの? 国雪の父親は鷹飛邦昌、バドミントンのオリンピック金メダリストだよ」
「……へぇええ!??」
カルロスは驚いた。
純粋に、カルロスは国雪のことを本当に何も知らないんだ、と痛感する。
「新しい父親、なんて来たら彼のバドミントンに対する意義が失われたも当然だよ。……全く」
そして、何故、この男はこんなにも鷹飛国雪に対して詳しいのだろう。
「先輩は……一体」
「俺は国雪の幼馴染みさ。国雪と一緒にバドミントンを始めたんだ」
「……それで詳しいんですか」
「そうだよ。はっきり言えば君達は国雪の地雷だ。今更、家族ごっこなんて笑わせる。速やかに消えて欲しいんだけど」
兼平の持っていた大きい定規がピシリと折れた。その破片が床に落ちる。
「気が合いますね。俺も、今更、家族ごっこなんてちゃんちゃらおかしいと思うっす」
「じゃあ、何でバドミントンに興味持ったの?」
「先輩が言ったんじゃないっすか。家族ごっこは無理でも先輩、後輩にならなれるかもね、って。俺もそっちの方がしっくり来るし。……それに、鷹飛国雪を知るにはやっぱりバドミントンしかないと思ったんです」
「初心者大歓迎、って言ったけど、生易しくはないよ」
兼平の言葉にカルロスは頷いた。
「俺が、あの人の救世主になります」
「寝言は寝て言いなよ、初心者君。その気合いだけは買うけど」
兼平はカルロスに一枚の入部届けを取り出した。
カルロスは名前を書いて手渡す。
つまり、この人もなる気なのだ。鷹飛国雪のバドミントンをする理由に。
何故、こんなにも惹かれたのだろう。
惹かれたのはバドミントンに、だろうか。
それとも……。
カルロスの疑問はチャイムの音と共に消えた。
家に帰宅すると、カルロスの部屋が無くなっていた。
「あぁああ!! 俺の部屋が!」
「お前の部屋じゃない。俺の部屋!」
ビシリ、と指差す国雪の姿。
フローリングの上にベッド。部屋はごちゃごちゃだった。
「なぁー!! 俺のギターが! コンセントがぐちゃぐちゃだ!」
「こんな部屋でエレキギターが弾けるかぁあ!!」
「ちょっと、このセンスのないぬいぐるみの方が邪魔!!」
「おいこら、先輩には敬語を使え!!」
「今は先輩じゃねぇもーん」
「……っな、この!」
「……カルロス、また喧嘩かい?」
扉の外にはポツンとシャルルが立っていた。
二人は一気に黙る。
「ユキ、お弁当、ある、なんで?」
「……へ? なんて?」
「……親父が弁当持って行けって」
カルロスがこっそり通訳する。
「弁当? そんなのキッチンに無かったって伝えてくれ」
言われた通りカルロスは伝えた。
「ナゼ? 置いた! シャルル置いた!」
「え……俺、朝五時に家でてランニングしてコンビニで朝飯買って食ったんだよな」
「とーちゃん、多分、弁当作るの遅かったんだよ。国雪は早起きした」
「……オーマイゴット、弁当いらない。分かった」
「いやいや、ちょっと待って、食べる、食べるよ」
「いやいや、……食べる必要ない」
シャルルはあからさまに落ち込んだ様子でとぼとぼと階段を降りた。
「違う、そういう意味じゃなーい!!」
カルロスは頭を抱える。
元々、国雪は少食でさほど食事に対して執着していない。それに母子家庭でずっと母が働いていたため、家事は一通り出来てしまう。
シャルルはそれを勝手に不憫に思って、国雪にたくさんの食事を作るが、食べきれずに困っているのだ。
しかも、国雪は朝が弱い。早起きしてトレーニングは好きなようだが、大体半分寝ている。
本当にお弁当があったとしても気が付かなかった可能性もある。
カルロスはカルロスで悩んでいた。
父と働く雪名との接し方が分からない。カルロスの理想の母親像というのが、家庭的で料理を作り、家事をするカルロスの母親だ。
しかし、雪名は父の仕事を手伝い、父が家事や料理をしている。
その方が効率が良いのだろう。それは解る。
とぼとぼとシャルルが部屋から去った後、二人は一気にため息を吐いた。




