入門編その2 でも出来ますか?
カルロスが去った体育館は妙な静けさに満ちている。
「ありゃ、他校か」
「鷹飛、何、言ってんの?」
「いや、あんな目立つ新入生、いないだろ?」
「知ってたなら、何でバドミントン教えたの!!」
清水泉が顔を引きつらせて叫んだ。
「アイツいい目してる」
「……ちょっと待って、知らない生徒に教えたの?」
「教える、っていうほどのことしてねぇし、いいんじゃね?」
その強い口調と瞳に泉は頭を抱える。
「じゃあ、何で逃げたんだ? 他校ってのが気まずくなったのか? けど、ルールはからっきしだったなぁ」
「ねぇ、ねぇ、会話しようよ!」
国雪は冷静に汗を拭う。
「ど、どうすんの?」
「どうするも何も、本人が望めば自分の高校の部に入部は出来るだろ。あの様子じゃこっち来たばっかなんだろ?」
「雪ちゃんのそういう冷静な所、どうかと思うよ!」
「しかし、何で逃げたんだ?」
「何でだろうね!」
「今、騒いでも仕方ない。また明日どこかで見かけたら声でもかけるか」
体育館を片付けながら国雪は言った。
「あれ、随分親切なのね」
「そりゃ、あの身体能力。興味あるだろ?」
「……だから鷹飛のモーション効果がなかったのか?」
「いや、それは単純に目がいいんだろ。伊達に運動神経がいい、だなんて言わない訳だ」
「普通の人間の俺にはサッパリ分からん……あ、ぁあああ!! アイツ、俺のラケット持って行きやがった!」
「あははは、くれてやれよ、先輩」
国雪は泉の肩を叩いて、体育館を後にした。
それにしても、この辺では見ない男だった。
わさわさした銀髪。どこか獣染みた緋色の瞳。
真っ赤なトレーナーに色々付いたズボン。
始めて見た時はヤンキーかと思ったが、そうでもないらしい。
何度かハーフだと叫んでいた。
県外からやって来たのだろうか。
何故、こんな田舎に、と国雪は更衣室で溜め息を吐いた。
群青大附属高校は大、高、中、小、幼一貫のエスカレーター式の学園だ。イメージカラーはその名の通り全て青で統一され、高校は濃紺のブレザーに青のシャツ。黒のネクタイと進学校らしい制服だった。
国雪は隣県から自転車と電車でこの高校に通っている。
だから厳密に言えば国雪は栃木県民なのだ。
自転車を転がしながら家に着くと、家が何やら騒がしい。
まるでハリウッドスターのような銀髪の外人を目の前にして、国雪は目が点になる。
「お帰り!! 国雪!!」
そんなイケオジ外人に何故か熱烈歓迎され、ガバチョとハグまでされて国雪は完全にフリーズする。
「……あれ?」
引っ越しセンターの車が去ると、先程見かけた少年と顔が合う。少年はあからさまに顔が引きつっていた。
「……え?」
「……さっきぶりです」
「……な、なんでぇええええ!???」
鷹飛国雪は、クリスマスのカルロスと同じように叫んだ。
「あ、雪ちゃん、新しいお父さんと弟が着いたんだよ~」
母がのんびり、のほほんと言った。
「はぁああ!? 何、狂ったこと言ってんの!?」
「狂って無いわよ~。だって、どうせ国雪は反対するでしょう。だから、先に結婚しちゃったの」
「いや、……いやいやいや、……エイプリルフール、そういうやつか!」
国雪はパチンッと指を鳴らす。カルロスにも気持ちは痛いほど理解出来た。だから、先程と変わってキョドっている国雪にこっそり耳打ちする。
「残念ながら、この人達マジっす」
「……マジで?」
大きな瞳がさらに見開かれる。
「そうだよ。ほら、カルロス、挨拶しなさい」
「カルロス・レ・ゼル……です」
夫婦はとても嬉しそうにカルロスと国雪を紹介した。
呆然とする本人達を遠く置いて。
「……マジで? 二度目振りで兄弟? 冗談だろ?」
「おや、ユキちゃん、もうウチの子と知り合いなの?」
「ユキちゃん!?」
「冗談じゃないのよ~」
二人は同時に片手の結婚指輪をかざし、カルロスと国雪はただ、呆然とした。
「ここ俺の家……だぞ!」
国雪はビッと家を指差す。
「えぇえええ!? マジで!? ってかやっぱり!?」
「リアクション大きいヤンキーだな」
「ヤンキーじゃねぇっす!」
「ふーん」
「ユキちゃん、ユキちゃん、引っ越し祝いに食べて行って。シャルル作った。ラムネのシャーベット」
「あらぁ、素敵ね!」
「しゃーべっど……」
「ウチの親父、パティシエなんです」
「あ、そう」
「作った、作った!」
「いや、でも……」
「いいの、いいの」
「ちょ、親父、勝手に決めないで!!」
こうして、鷹飛国雪は数分振りにカルロス・レ・ゼルと向き合って座っている。
「えっと……今は鷹飛シャルル。鷹飛カルロスだよ」
やはり、自分の家は落ち着く。銀髪イケメン親子さえいなければ。
「アンタも自己紹介なさい」
「……鷹飛国雪」
国雪はシャツのポケットにネクタイの端を入れてお絞りで手を拭く。
こんなところまで妙に凝っているディナーだ。
そんな国雪の姿を見て、シャルルは「オトコマエ!」と叫んだ。
その間、カルロスは緋色の瞳を泳がせている。
自分が他校だとバレてしまったのが後ろめたいのだろうか?
いや、違う。この男はこのすっとんきょんな事実を知っていたのだ。
そんなカルロスを国雪は睨む。
「お前どっから来たんだ?」
「ああー? 東京の自由が丘っす! だから、ハーフだけどバリ日本人!」
ハハハハ、と虚ろな笑いが聞こえる。
「そっか、俺は栃木だ」
「……じゃあ、何で群青大附属に?」
カルロスが気になったのはそこだった。
「だから、いちいち声大きいっつうの。家から近いから」
澄ました顔の国雪を見て今度はカルロスがまた数分フリーズする。
「えぇえええ!!」
今度はカルロスが叫ぶ前に国雪は耳を塞いだ。
カルロスはごくごくと一気に水を飲んでダンッとグラスを置いた。
「じゃあ、先輩も俺と同じですか?」
「あ? あー、多分微妙に違うけど県外って意味じゃな」
「……ああ、俺、ラケット……あの、美味しい水! って感じの名前の先輩に……」
「美味しい……?」
国雪はきょとんとする。
「あはははは、清水か。確かに、美味しい水っぽい」
無邪気に笑う国雪を見てカルロスはむすっとする。どうしてもこちらがおちょくられている感が拭えないのだ。背は変わらない。たった二年違うだけなのに、何故か動作の一つ一つが大人っぽい。
「そんなに笑わなくても」
「あー、悪い、悪い。それなら大量支給品の一つだからやる」
「いいんすか?」
「あんま、おおっぴらにするなよ」
ディナーコースが来て、国雪は黙々と食べ始めてしまった。それを見てカルロスも食べ始める。
その瞬間だけは妙に静かで、雪名は首を傾げる。
「何故か仲が良さそうだけど、兄弟っていうより先輩後輩ね」
「当然。突然兄弟なんて無理」
国雪の言葉にカルロスもぶんぶん首を振って同意した。
「……っ美味しい!」
「良かったわ。そういうのは言ってね。息子に言われるのは嬉しいのよ」
「息子って……言われても」
国雪は唇を尖らせた。
その気持ちは分かる。突然、カルロスも目の前の婦人が母親だと言われても同じ反応をした。おそらく、国雪にもシャルルはただの外人パティシエにしか見えないだろう。
突然、新しい家族なんて無理があり過ぎる。
カルロスは国雪にこっそり耳打ちされた。
『うまく誤魔化して逃げるぞ』
その言葉にカルロスは首肯く。
しばらくして、話題を変えるように国雪が言った。
「お前、藍夕高校?」
「……そうっす!」
「ふーん」
しかし、当然、会話は続かない。
フォークや食器の当たる音が食卓に響く。
気まずさしかない。
国雪はため息を吐いて話題を考えた。
「部活は何か入らないのか?」
「えー? なんでもいいかな。そ、それに! 俺、何でも出来るし……別にバドミントンじゃなくても」
「だから?」
「いいんです。何でも」
「何でも、ねぇ」
国雪はコップを食わえながら思案した表情でカルロスを見つめる。
カルロスは思い出す。
自分は一から部活動を始めたことがない。
いつも途中から入って途中で抜けていく。
野球、サッカーでも、バスケでも、バレーでも。あの途中で辞めなくてはならなかった競技でも母は応援してくれた。
「そうっす。俺には得意な球技はまだまだあるし!」
「あれがバドミントンだと思われちゃ困る。あれは入門編だぜ」
「……で、でも」
「コートに立てば、誰だろうが、何だろうが関係ねぇ。バドミントンって結局個人競技だしな」
「それじゃ、俺、簡単に勝っちゃうだろ?」
「言うね。そんな簡単に行くかよ」
「じゃあ、何でやんのさ」
「何で……だろうなぁ」
国雪は頬に手を当てコップの中の水を飲んだ。
「親父にやれって言われたから」
「……え?」
国雪の言葉に食卓の空気が等々凍結する。
「だから、俺は今でも理由を探してるんだ」
国雪は遠い瞳をしていた。
何故か、カルロスの心はざわついた。
「簡単に、なんて俺は関係ねぇと思うけど。勝つか、負けるか。やるか、やらないかのスポーツだ。止めて羽を落としたら負け、じゃないか」
そして国雪は来たメインを豪快に食べた。
カルロスはメインの味が分からなくなるぐらい、考えてしまった。
やりたいか、やりたくないか。
あの、最後の羽を落とした瞬間を思い出す。
その時、コンッと音がした。
国雪がカルロスにシャトルを投げて渡した。
カルロスは上手くキャッチする。
「引っ越し祝いだ。待ってるぜ。お前と戦う日が来るのを」
「……え、えええ! どういう、意味で」
「突然、兄弟なんて無理だ。けど、先輩、後輩なら簡単だろ? 共通の趣味があると誤魔化すのに便利だと思うけどな~」
国雪はキョトンとしている両親を横目で見てカルロスに耳打ちする。
「~!! この、」
この人、意外に計算高い!
しかし、何故かカルロスは思った。
この人のために。
この人と戦うために、バドミントンを始めるっていうのは悪くないかもしれない。
直ぐに兄弟、だなんて無理だけど。
「先輩、後輩なら誤魔化しやすいだろ?」
両親は国雪の思惑通り、二人が仲が良さそうだと喜んでいる。
国雪が言うには、群青大附属高校は藍夕の隣県にある高校だったらしい。
電車で三本の差と言えど、北関東ともなればそれなりの距離があるらしく、風景は同じに見えても隣県は隣県なのだ。
国雪は栃木から群馬の群青大附属高校に通っている。カルロスと家が同じでも不思議なことではないのだとか。
更に聞けば、カルロスの通う藍夕高校にもバドミントン部がある。
「あるには、あるけどな」
「え?」
「最近はめっきり聞かないな。まぁ、ウチが勝ち続けてるからなんだけど」
「ぐ、ぬぬぬぬ、いつか絶対、公式戦で負かしてやる!」
「楽しみにしてやるよ」
鷹飛国雪はにやりと笑って食事を終えて自分の部屋に去っていく。
カルロスは残ったディナーを全部食べて志を新にする。
「よし! 絶対、藍夕工業高校バドミントン部の救世主になってやる!」
「あら、ゆきちゃんと同じ部に入るの?」
「それは面白い!」
両親たちはまた勝手に喜んでいた。
しかし、彼は知らない。
藍夕高校にあるバドミントン部が既に廃部していたことを。
そしてカルロスの部屋が国雪の部屋と同じであるということを。
彼らはまだ知らない。




