兵どもの戦
次のプログラムは藍夕と烏丸のダブルスか兼平の試合になる。本当はどちらも見たかったのだが今年はカルロスはダブルスなのでダブルスの観戦をすることにした。
「大友先輩なら勝てる」
将護と透の試合が行われるコートへと足を運びながら一馬はいった。
「そうなんですか?」
「ああ。あの人ああ……見えるけど本当に小賢しい人だから。それに高校最後にどうしても鷹飛選手とやりたいらしい。そうなるとまたやっかいだ」
「ぶちょーって、本当にぶちょーっすね」
「だからダブルスの観戦でもすっか」
「はい!」
そのダブルスの試合が始まろうとしていた。マネージャーの不知火姉妹は八雲と出雲という。妹の八雲はクールビューティーというに相応しく姉はポーニーティルのちびっこ、と言っては失礼だが、こじんまりとした元気な少女だった。
しばらくすると松前先生とカルロスと一馬がやって来た。
あの二人は勝ったのだろうと聞かなくても表情で分かる。
ならばこちらも負ける訳には行かない。シード対シードの試合だ。
透の表情は緊張感に満ちていた。醸し出す空気が既に固い。一方の将護は普段どおりだ。さすがと言えばそうだが二人は慣れている。準備も出際が良く将護は何度か靴紐の確認をし透はラケットの裏表を確認している。
烏丸高校はもう煽る気満々でコートに既に配置していた。観客もそこそこ多くテレビカメラの撮影用カメラまで回っている。
奇しくも審判は烏丸高校の監督。つまり選手の父親になっていた。
コートを隔てて口を開こうとした瞬間、将護は手ぶりでストップをかけた。
「え?」
透は首を傾げる。
「なんだよ」
選手は吠えた。
「大丈夫。分かってるから」
「何が?」
「全部……かな」
「全部…だと?」
透の昔のダブルスパートナーの動揺した様子は始めて見た。その瞬間に審判はホイッスルを鳴らす。やはり審判は選手の父親らしい。サーブはこちらからだ。 透は将護の指示でスマッシュサーブを放つ。将護より全然へたくそだし威力もないのに二人は止まったまま藍夕高校に点が入る。
監督は怒鳴っているがそんなことより、わざと? そんなこと透は考えもしなかった。選手の動きが止まってしまう。気が付いたように眼鏡の方の選手が次のサービスを返した。
次も透だ。
「俺、お前みたいなの嫌いじゃないけどな」
「は?」
やっと動き出したと思ったら軟打で返すのは簡単だった。
「いいか、親父含めて良く聞けよ。こいつら、本当はこんな性格じゃない」
また藍夕に点が入る。
相手のスマッシュを将護は動かずラケットのみで止めて返した。緩やかにシャトルが向こう側に落ちる。
「な、何言ってんだ」
先程の威勢はどうしたのか。
声は震えている。ラケットを握る手もラケットもわなわなと揺れていた。
「お前の親父に何かされたんだろ? ガキの頃にさ」
「え?」
藍夕の選手にまた点が入る。
そんなことがあるのかと透は驚いたが将護の言う事だ。絶対に正しい。
それに彼はこんな会話をしていても冷静だ。サーブは変わらぬ威力とさじ加減を保っている。
「その傷も選手との喧嘩の傷じゃない。違うか?」
この試合。
主に透と将護と相手の眼鏡の選手が動いて試合は進むがどう見ても藍夕高校の方が優勢だ。例え審判が相手の選手の父親だろうと贔屓のしようがない。相手の眼鏡の選手も動揺しているのか細かなミスが目立つ。
「なん……」
「理由は幾つかある」
「一つ、あの時俺は腕を握られたが大した強さじゃなかった。多分透より弱い力だった」
「え」
「そんな!!」
チェンジコートだ。
藍夕が1ゲームを先取してコートがチェンジする。
その時烏丸の選手たちは監督に怯え、監督も何かしたそうだったが何も行われずに静かな休憩を挟み後半戦が始まる。
今度は将護がスマッシュの動きで緩やかにサーブを打つと点が再び藍夕に入る。
「試合中に言うのはちっと卑怯だけどさ。こうでもしねぇと本当のお前らと試合は出来ないし、お前らの親父に聞かせたかったんだ。二つ目。その腕を掴んだ時にお前の手が微かに震えていた。それで確信した。お前ら、言われるほど嫌な選手じゃないって」
そして将護のスマッシュはライン際ではなく調度ど真ん中を貫通する。
このままだと2ゲームで終わってしまう。
果たしてそれでいいのか悩む所ではある。相手の選手や監督の動揺っぷりを見れば将護が真実を言っているのだろうと分かる。
「そんな……わけ……」
「だから良いって。良いのかよ。高校三年間が全部これで。そりゃあ、お前の親父は凄いんだろうな。プロだしさ。でも、お前はお前じゃん」
両選手は黙った。
どうやら本当の本当らしい。なんて話だ。それでは透は一体何だったと言うのだ。あんなにこき使われた思い出の数々を透は思い出す。
あれが全部わざとだった? 何の為に? 聞く前に将護は答えた。
「透を守るのに必死だったのも分かる。こいつ最初は従順だったし、いまでもそうなんだけど」
「な、んで……そんな」
相手の選手は明らかに動揺していた。
「まぁ、家庭の事情の話なら少しは分かるってこと」
そしてまた凄まじいスマッシュを将護は放つ。
コースでもない。ライン際でもないそんなスマッシュが相手のラケットを吹き飛ばした。これでまだ八割なのだ。どんな化け物だ。
少し揺れた音のホイッスルが響く。これではもう烏丸高校はどうやっても勝てない。観客は拍手するのも忘れて呆然としていた。
「このままだと負けるぜ。無残に」
将護が不敵に微笑む。
「そんな、の、もう分かってるよ!」
突然、相手の選手の口調が変わった。シャトルとラケットが壊れたので交換の指示が入る。まるで彼らの心境を示しているようだ。
「本当はバトミントンすらやりたく無かったんだろうな」
また相手は動揺している。サーブを透がやる前に将護のサインで止められた。
「なんで、そんな……」
「だから少しは分かるからだって。ただ俺は親父に暴力は振るわれてねぇし、嫌々じゃねぇけど」
「そうなのかよ……」
「そう。俺もお前らも同じ二年だ。1年待ってやる。それまでに決めな」
無残にも試合は終了する。
藍夕の完全勝利だ。
これには試合を見ていたカルロスも一馬も兼平も観客も驚いている。もっと接戦になるだろうと思っていたのに。
試合が終了すると将護は透とハイタッチをしてさっさと自分の側のベンチに戻る。
烏丸高校の選手も少し怯えながらベンチに戻った。相手の監督は片腕を上げたがマネージャーに必死に止められる。そこでようやくカメラの存在に気が付いた。
そんなことが本当にあるのかとだれしも驚く。
偵察という名の観客さえ黙り込んでいた。
今日はこれで藍夕のスケジュールは終了である。全員勝ち残れはしたがやはり驚きは隠せない。松前先生が出してくれたわワゴン車の中は少し揺れる。
透は尋ねた。
「いつから気が付いていたのですか?」
話声は当然全員に聞こえる。皆、耳をすませていた。
「んー。お前に最初に会った時かなぁ」
「え」
「だってお前ミントン辞める気だったじゃん?」
「はい」
そこで一度止めて将護は給水ボトルで水分を補給した。透も手伝おうと手を動かす。
「そこまでのトラウマって中々ないぜ。俺も一回テニス辞めたけど。だから思ったんだ。ひょっとしてお前とあの選手は噛み合ってなかったんじゃないかって」
「う、そうですね……」
「お前は悪くねぇし、あの選手も悪くない。悪いのはあの親父だ」
「はい……」
「だからしょげるなって。次の試合で壊れるなよ」
「それは無いです、絶対」
「烏丸は今晩までここにいるらしいから。何かあるなら聞けば。もう変なことはお前にしないだろ。俺がこんなだって知ってるしな」
「……そうしますけど。その情報はどこから?」
「勇義」
ニヤリと将護は微笑んだ。
一応全員勝ったのに何故か車内は静かだった。何となくだが心中はカルロスにも理解出来た。
明日になると全員親しい人と戦わなければならないのだ。やはり嫌なことであるには変わりはない。けれど勝ちたい。そんな心中が渦巻く車内だった。
その日は都内のホテルでの宿泊になっていた。選手村ではないがほとんどの選手がそうしていたし、知り合いも明日の試合の結果を見て帰るそうだ。知り合いは結局藍夕同士の勝負かよと呆れていたし藍夕の選手も皆そう思っていた。
ホテルに戻った透は前のダブルスパートナーと会うべきか悩んだ。素のと言えばいいのか、素面と言えばいいのか。どちらにしろ透を思っての行動だったとするなら礼ぐらいは言うべきなのか。あんな横暴な態度に礼なんて変な話だが透を思っての行動だとすると納得出来る所もあった。
とにかく透に嫌われて高校は別の所に行って欲しかったのだろう。大げさで横暴な態度ではない本人には会って見たかった。
ホテルに到着する。
そこは本当にただのホテルだし、何かがある訳でもない。いて二日のホテルだった。料理はバイキング形式でそこそこ美味しい。
外は海沿いで悲しいが海を見ると、ああ。ここは県外だなと透は思った。その晩は選手はそれぞれ過ごした。やはりまだ静かではあるがそれぞれ思う所があるなんて言わなくても分かる。
バスから降りると後は反省会も何も無く解散となった。
透は悩みに悩んで一応昔のダブルスプレーヤーに会うことにした。
場所はコンテナの並ぶ海沿いだ。海の無い県で育った透だから思うが、どうしても夜の海と言うのは怖いし一種のプレッシャーがそこにはあった。以外にも田舎ではあるが透の故郷と言っては大げさだが栃木県には南部だと訛りは少ない方だ。埼玉と群馬に挟まれているからだと思う。代表的なものを一つ上げるなら『なん』だろうか。
そうなん、という使い方が代表的だ。北部の方は確かに東北に寄っているので解読は不可能化かもしれない。そんな場所から東京に来ているのでそれほどストレスはないがカルロスから聞いた通り空気と匂いが違う。
そんなとを考えながら歩いていると昔のダブルスパートナーと出会う。
その人は少し照れくさそうに頭を掻いて言った。
「良い相方見つけたんだな」
「……はい」
少し悩んで透は敬語を話す事にした。そしたら向こうは照れくさそうに笑う。
「ははは。もう敬語じゃなくっていいって」
「もう癖みたいなものなので」
「まあ、おまえは年の割に優秀だしな。仕方ないか」
「そういう……あんたは全然キャラが違うじゃないですか」
「そうだよ。驚いただろ」
透は素直に頷いた。まるでコインの裏表のようだ。
「だから別に謝罪とかいいんだ。されても困るっつうか」
「分かりました」
「お前は本当に素直なやつだ」
ここで将護ならわしわしと頭を撫でてくれるので透は屈むのだが一瞬それをしそうになって思い留まる。
彼は将護ではないし将護より身長は高い。
こんな事を言ったら将護は怒りそうだ。彼は身長についてはかなりのコンプレックスがあるようだ。確かに成人男性とみると少し低いが彼が悩むほどではないし、何より顔と良く合っている。
目の前の彼もそうだが顔と身長が良く合っているのではないかと透は思う。長身の部類にいる透だからこそそう思うのかも知れない。
「じゃ、また縁があれば。お前のパートナーに伝えてくれ。親父はあの試合の後逮捕されて部員は全員アイツに感謝しているから。次の試合もお前たち側に付くよ」
「……ありがとう」
透は最後の最後に本心でお礼を言った。
がっしりと握手をして別れた。何となくだが彼はもうバトミントンを辞めてしまうのだろう。将護がテニスを辞めたように。




