第四戦 和衷協同
実はバドミントンの大会は多い。
大会は、全国高等学校選抜バドミントン大会、全日本ジュニアバドミントン選手権大会、国民体育大会バドミントン競技と並ぶ高校バドミントン4大全国大会のひとつでインターハイ開催地にて毎年持ち回りで開催されている。
まず男女それぞれ団体・個人に分け、個人はシングルス・ダブルスに分かれて競技を行う。
団体戦の優勝校には高松宮記念杯・同妃記念杯が授与される。
更に上位選手は全日本総合バドミントン選手権大会出場権を得られるのだ。
実は栃木県はバドミントンに旺盛で関東大会等の開催地になっている。
大会はトーナメント式であり大体、一日か二日で終る場合が多い。
まず、県大会で優勝しなければならない。
勝負は夏だ。
しかし、藍夕工業高校バドミントン部は部員が少ない。たったの五人だ。インターハイも個人しか出ないそうだ。
毎年レギュラー選抜のあるユスタが通う番頭商業とは大違いだ。
今日も何故か旧テニスコートで練習している。
「それはお前が備品の数々をぶっ壊したからだ」
唯一まともな経験者である透がフェンスでだらけるユスタに向かって言った。
「それなら、一応弁償しただろうが!!」
「さすが私立。カネモチ~!」
と、茶化すのはこの部のマスコット……ではなく初心者のカルロス。
「それより、お前は何故まだいる」
「……連中、俺を置いて帰りやがった!!」
「だからなんで??」
二人の視線に気まずくなり、ユスタはそっぽを向く。
「……あの二年に謝れだと」
「あー! 謝れ! お前のせいでさっちー先輩三日も休んじゃったんだぞ!」
「……分かってるよ」
「……意外と聞き分けのいい……」
しばらくしてユスタは胡座で答える。
「別に。強いヤツは嫌いじゃねーよ。ユーギに謝らないと試合出さねぇって言われたし……」
微妙な間に二人は首を傾げる。
「それに風邪……だったんだろ。ちょっとは……悪いと思っているよ」
そんな言葉に、今度は二人は同時に顔を見合わせる。
「何だ。思ったよりいいヤツじゃん。俺にスマッシュ教えてくれたし!」
「うるせー!」
「なら、さっさと謝ればいいじゃないか。佐武先輩なら部に来なくても、副部長の仕事も自主トレしてるぞ。場所聞いてやるよ」
「うるせー!!」
「……分かった! 照れ臭いんだ!」
カルロスの言葉に、うぐ、とユスタは分かりやすく反応した。
「いや……だって、……怒ってるかも……」
「大丈夫だろ」
「大丈夫、大丈夫!!」
狼狽えるユスタに向かって二人は同時に言った。
「大丈夫だから、さっさと謝れば。そうしないと帰れないんでしょ~?」
最後に兼平がのんびりと言った。
「……分かった」
渋々、ユスタは佐武将護に謝ることにする。
その日、将護は部活に復帰していた。三日休んだお陰で体調は万全だ。
今の部活にいても己が出来ることは少ない。動体視力の優れたカルロスに基本的な動きは全て教えた。後は本人の努力次第なのだ。
兼平は今まで通り。来れそうなら来ていいよ、とだけ言った。正直に言うと将護は兼平のことは嫌いではないし尊敬もしていた。意外にも空気の読める人で、ムードメーカーだ。時々、その妙なテンションと緊張感の塩梅の巧みさが羨ましいと思う。
今日は簡単なアップだけで残りは顧問の松前と当日の打ち合わせだ。
予選だから一日で終るだろう。
数人家族の希望でその日のマネージャーの希望者がいるのでそちらの確認もしなければならない。
何故か透は将護の居場所を知っていた。
将護は裏庭それらの書類を捲っている。
シンプルな夏服に、ベンチにはボトルが置いてあった。
「アンタ、練習しねぇの?」
ユスタの声に驚いて将護は顔を上げる。
「何でまだいんの?」
と、今日何度目かの質問が来た。
「好き勝手やった罰」
将護が手短にある荷物を片そうとしたのでユスタは片手で制してフェンスに腰かける。上から見下ろすと将護でただの童顔ではなく、女顔の美人なのだと気が付く。動作はまるで男前だが。
「何」
そして言葉数が極端に少ない。
「い、……いや。……その、悪かった」
ユスタは頭を下げた。
そんな姿を見て、将護はポカンとした顔で書類を捲る手を止める。
「いや、何で謝ってんの?」
今度はユスタがポカンとする番だ。
「は……そりゃ、アンタ風邪で」
「それは自己責任。俺のミスだ」
「備品……」
「あれは勇義からせしめた」
と、将護はニヤリと笑う。そしてしばらく考え事をしている様子で、またぽつぽつと思い出すかのような表情で言った。
「別にいいよ。お前らが来てくれたお陰で権力底辺だった部が全面コート週二で使えるようになったし」
「……え?」
「関西最強の一角と練習試合出来るなら、って部費も少し出たし。それでチャラにしてやるよ。……けど」
「……あ?」
「お前、思ったよりいいヤツじゃん。わざわざ謝罪しに来たのかよ」
「それは……ユーギが勝手に!!」
「けど、しようと思ったんだろ? カルロスには?」
「一応、謝ってスマッシュの練習付き合った」
「じゃあ、良いじゃん。それでチャラな」
と、将護はヒラヒラと片手を振って去っていく。ユスタはそんな姿を呆然と見つめた。
練習しろ、謝れ、弁償しろ。
そんなことを言われることぐらいは覚悟していた。
……何故、何故なのか。
試合をして思った。
あの、赤いリンゴ(とユスタの中ではそう呼ぶことにした)はあまりにも真面目だ。真面目、というか己の感情をああも簡単にバッサリ切り捨てるのだ。
あれだけ煽りながら試合は引き分け中断。あのまま試合を続行していたら彼が勝っていただろう。
「くそっ!」
呆然と立っていると、勇義からメッセージが着ている。
『将ちゃんに謝ったんなら帰って来てええよ』
情報流通が早すぎる。どうやら友人だ、という話は本当のようだ。
勇義は知っていたのだ。佐武将護がいかなる選手か。
このまま帰るのも癪なので黙々と新しい備品の整備をする透を捕まえた。
「……何」
「あの選手。佐武将護。確かに強い。けど抱え過ぎだ」
「……それは分かってる」
「だったら、どうにかしろよ!!」
ユスタは叫ぶ。透は驚いて予備のラケットのメンテナンスを中断する。あの、敵対心剥き出しのユスタから出た言葉とは思えなかった。
「……え?」
「お前! ダブルスパートナーだろ! ソイツが困ってんなら支えろよ! 風邪の選手に頼ってんじゃねー!!」
ユスタの言葉は透の心中を抉った。
第一印象は最悪だったが、ユスタという選手は悪い人間ではないらしい。カルロスと喧嘩をしながら競いあっている様子も微笑ましく、どうやら気は合うようだ。
将護と会話して何か思う所があったのかも知れない。
「……そうだな」
透は素直に頷いた。
「次、会うのは全国だ。そこで決着、着けてやる」
ユスタはビシリと藍夕のレギュラー面々に向かって正々堂々と宣言し、そのまま帰って行った。
将護が自宅に戻ると家はぐちゃぐちゃだった。ある程度、八雲が掃除や食事は作ってくれていたらしい。それでも、八雲と将護が数日不在だっただけでこれである。出かけた溜め息を飲み込み将護は制服の腕を捲った。
また部活にちゃんと参加する事が出来なかった。今日は筋トレとミーティングだけだと聞いてはいた。それでも妹たちを迎えに行けば何時も通りの時間だ。
将護は帰宅するとまず、構って、と暴れる姉妹をアニメ観賞で大人しくさせて夕御飯を作る。
冷蔵庫の中には母が作った炒飯がラップに包まれ入っていた。
将護は顔をしかめて、その炒飯のラップを少し剥がし匂いを確認する。
それはそのままゴミ箱に捨てた。
ガサリ、という嫌な音が妙に響いた。
母はあまりにも料理が下手すぎる。家事が出来ない。こんなもの食べられたものではない。
最初は罪悪感もあって、一人でこっそり食べてみたが結局、吐いて戻してしまった記憶は最早トラウマだ。
一から残った具材で夕飯を作り直す。
妹たちはリビングにある大きなテレビから流れるアニメに夢中だ。これでもあの子たちはちゃんと将護に気を使っているのだ。将護がキッチンに立っている時は必ず邪魔はしない。
将護は今日はミーティングだけ参加して帰ってしまった。
大会前は休息の意味で部活は早く終わった。兼平はそこら辺の塩梅が上手く、ガチガチに練習するよりは練習はするけれど、しなくていい時はきっちり休む。体のモチベーションと体力に気を使う人だ。
透は自転車を転がしながら思う。
将護には何か家庭的に事情があるのかも知れない。
これはずっと思っていたことだ。
医者の父親。美容系の実業家の母。双子の妹。羅列するだけなら理想的な家庭だろう。しかし将護が風邪でダウンした時。彼は自宅への帰宅を拒んだ。
普通ならば家に真っ先に帰りたいと思うだろうに。
それがずっと引っ掛かっていたのだ。
けれど、それは聞いていい話なのだろうか。話を聞いて透が何か力になれることがあるのだろうか。
日が暮れた頃、透は将護の家に到着する。立派なセキュリティーマンションだ。接骨院の明かりは消えていた。
こそこそとエレベーターに乗るとまるで泥棒の気分だ。
確か、松前先生に教えてもらった将護の家はここだ。
インターホンを押すと誰も出てこなかった。もう一度、周囲を見渡すと出窓の明かりは点っている。
仕方なく、もう一度インターホンを押す。
ガチャリ、とドアが開くと現れたのは双子の姉妹だった。あまりにもそっくりで美人な姉妹。双子の幼女に透の目が点になる。
「あれー」
「あれー?」
髪の長い子とおかっぱの子。以前、写真を見せてもらった時に写っていた双子だ。
「だれー?」
「だれー?」
双子の質問攻めに透は挙動不審で名乗った。
「お、俺は佐武……将護さんの後輩の甲斐透です!」
思ったより大きな声が出てしまった。
双子の様子が可笑しいのが分かったのか、エプロンを着てシャツの腕を捲っている将護が玄関までやって来る。
「何、宅急便の兄ちゃんじゃねぇの?」
「ちがうー!」
「ちがうー!」
今度は将護が透を見て目が点になる。しばらく、微妙な間が流れた。
「……甲斐?」
「はい。えっと……先輩の体の具合は……」
「すこぶる良好だぜ」
また、微妙な間。
しばらくして、甲斐は意を決して言った。
「何か、お手伝い出来ることはありませんか? その……元は俺が先輩を河に落としてしまったせいですし……」
「そんなことねぇよ。ってっきり、部活休むな、って文句かと思ったわ」
「……違う! 俺は先輩の力になりたいんです!!」
思わず、透は将護の肩を掴む。
将護はただ、透が好奇心と文句を言いに来たのなら追い返す気でいた。そのまま、ダブルスも解散してしまおうと思っていた。のだが、確かに透の瞳には今までにない意思を感じた。
「あのねー」
「あのねー」
そんな透を見て双子は彼の手を引っ張った。
「え?」
「兄ちゃん、大変なの」
「お母さんも、お父さんもお仕事でいないの」
「……夕飯は……」
「お母さんのゴハンあった」
「でもちょーマズイの」
「だから兄ちゃんが作るの」
「洗濯も、お風呂も掃除するの」
双子はぐいぐい、勝手に透の両腕を引っ張る。
「お、おい!!」
「大丈夫。手伝いますよ」
元々、透は将護に何か出来ないか、と模索していたのだ。
「けど……」
「大丈夫です。姉二人の末っ子なんてほぼ奴隷っすよ。料理は出来ないけど、お手伝いなら出来ますから」
「……甲斐」
「頼って、下さい」
少しだけ。将護の瞳が揺らいだような気がした。まだ、何故なのかその意味は分からない。
双子たちが揃ってオムライスが食べたい、と叫ぶので将護と透は二人でキッチンに立ちオムライスを作る事にした。
「正直、助かったわ。オムライスって手順は簡単だけど結構面倒なんだよ。お前は卵係な」
「はい。しかし、いいキッチンですね。広いし」
「お袋、料理くそ下手なのに自分では上手いと勘違いしてんの。今日も一応、作り置きがあったけど腐敗臭が酷くて食えたもんじゃねぇ」
「あー、そういうタイプっすか」
「お前の家は?」
「姉は料理だけは出来るんですよ。一応資格も持ってるし」
「ああ、だからお前は料理だけはそこそこなのか」
「はい」
そんな会話をしつつ、二人は黙々とオムライスを作った。
卵は本格的なオムレツを上に乗せるタイプではなく、薄く焼いて上に乗せるだけになってしまったが。
「上々、上々。焦げてねぇし、半熟だし。中々やるな」
「うっす」
料理で褒められる事が少ない透は少し照れた。
当然のように夕飯は透の分まで用意されていた。
また、広いリビングだ。
「頂きます」
恐縮すると将護はまたカラカラと笑う。
双子はアニメに夢中だ。時々、透の作った卵焼きを美味しそうにチキンライスと共に頬ぼっている姿は愛らしい。
今度は、オムレツを上に乗せたオムライスに挑戦しようと透は志す。
「ん。上手い」
「はい」
「お前は……何も思わないのか? 親父も仕事。お袋も仕事。哀れだとかさ。練習来れねぇなら部活辞めろ、とか。完璧そうに見えて幻滅しただろ?」
二人で黙々と皿を洗い、片付けをした。カチャカチャと食器がぶつかる音と水音が響く。
何故かは分からない。けれど、将護との沈黙は何故か居心地は悪くなく、むしろ安らいだ。お互い、何も言わずとも役割分担が出来る。
「いいえ」
透は即効で否定する。そして、しばらく思案してずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「何度でも言います。俺は先輩の力になりたいんです。……先輩は、その、両親の事が嫌いですか?」
透の問に将護は首を振った。
「いいや。好きだよ。だから、余計に辛い」
苦悩した、将護の表情は印象的だった。
その時だった。
玄関の扉が開いた。
そこに立っていたのは、また超絶美人。
そして驚いた表情。透は直ぐ様、この人が将護の母親だと悟った。
何か言いかけた母親を押し退け、透は将護の腕を引っ張り外に出る。
「え、ちょっと!!」
「今、嫌そうな、複雑そうな表情を先輩はした。俺は先輩の味方です。一緒に逃げましょう」
そのまま、二人は走った。
夜の公園は意外と明るい。
大きな時計に木製のベンチ。静かな空間だった。
「先輩は家族が好きなんですね」
「うん」
将護は頷く。
「けど、家はもう滅茶苦茶なんだ。親父はたまにしか帰って来ない。お袋は仕事一筋。妹は甘えたい盛り。家事は俺以外、誰も出来ない」
それで将護はあまり部活に参加出来なかったのだ。
「お袋は親父と離婚する気でいる。だからあんなに稼いでいるんだ。けど、……俺は」
将護が全て言い切る前に透は彼を抱き締めた。
「と、透?」
「先輩はバドミントン、好きですか?」
唐突な質問だったが、将護は頷いた。
「俺も、先輩とするバドミントンは好きです。俺に何が出来るかはまだ分からない。けれど、先輩とバドミントンを続ける為に、死力を尽くします」
「……透」
「だから、俺が言うのも烏滸がましいのですが、先輩はもっと自分のやりたいこと、言って良いと思います。俺は受け止めます。先輩が好きだから」
「……愛の告白かよ」
「似たようなものです」
将護は透の肩に頭を傾けた。
初めて他人に話した胸の内を、透は真正面から受け止めた。
「俺は……お前とダブルスで勝ちたい。何処までも」
その真紅の瞳には涙が数滴光っていた。しかし、確かに奥底に秘めた色は炎が灯る。
「はい。俺もです」
二人は自然と手を握った。




