第三戦 水滴石穿
将護がコートに選手交替で立った。将護はコートに入ると人が変わる。今まで、体調不良だったことなんて綺麗サッパリ忘れ、ただ一人の選手となる。
備品の羽は全てボロボロだったので将護はスポーツバックから自前の羽を取り出す。その表情には一切の乱れはない。
それでも、透は声を掛けずにはいられなかった。
「先輩、大丈夫ですか?」
「そりゃ、こっちのセリフだ。お前は?」
「大丈夫です。アイツ、カルロスが初心者だと一瞬で見破ってカルロスに集中攻撃で」
「そりゃ見たら分かる」
将護は元々、言葉数の少ない人だ。それでも透には分かった。
この人、めちゃくちゃ怒ってるー!
その表情は恐ろしいに尽きる。誰が言ったのか。美人が怒ると怖い。
「甲斐。1ゲームアイツにやる」
「はい」
なんという頼もしさ。透はただ頷いた。
試合が再開する。
ユクスは嘲笑い、将護に向かってスマッシュサーブを放った。
しかし、将護は微動だにせず、いや、正確にはひょいとそのサーブを交わした。美しい赤毛が風に乱れる。
長かったワンセットがようやく終わる。
「何、ビビってんのか? オチビちゃん」
将護は無言。そして無表情。
第二試合。ユクスのサービスで試合が始まる。と、言っても相手は一人だ。
「次も極めた俺のサーブ。myAchilles、同じので行くぜ、オチビちゃん!!」
大振りな動きでユクスはサーブを放つ。良いサーブだ。威力もある。
しかし、そのサーブを将護はラケットを顔面前に構え簡単に止めた。一瞬、コートが静まる。
コンッ、と羽が落ちる瞬間、透は動いた。
その羽を素早く拾い、相手のコートへ返す。ユクスはまさかサーブを止められるとは思っていなかったのか、動きが出遅れ球は落ちる。
その間、僅か一秒。
誰も声を発せず。藍夕に始めて得点が入る。
「……すごい」
カルロスはただ、呟いた。
「さっちーはこんなもんじゃないよ」
サービスは透のアンダーサーブからだ。
先程はまぐれだと思ったのだろう。ユクスはがむしゃらに打ってくる。確かに威力はあるが、コースはまるでなってない。
ひたすらに透は拾って返した。
「くそ、このチビ、動けよ! 俺の技に手足も出ないのか!?」
違う。動く必要も無いのだ。確かにいい動きだ。威力もある。コースも良い。しかし、透が返せない球ではない。
「……極めた?」
その時、この試合で始めて将護が声を発する。
そしてその瞬間。透の全神経が反応した。
相手のインコースギリギリのスマッシュ。
「これで決まりだ!!」
そう。誰しもが思っただろう。しかし、将護はそのスマッシュを体を崩しスマッシュで返した。
その威力は閃光の如く。弾丸の如く。同じ相手のインコースギリギリに命中する。
ユクスはピクリとも動かなかった。
そして透も動かなかった。あのスマッシュは必ず決まる、と確信していたからだ。
ようやく藍夕に点が入る。
「……すごい」
カルロスは、ただ呆然と呟いた。
透はただ、返すだけだ。時々スマッシュも打てるには打てるが、基本的には相手の強打を柔軟な体で防ぐ。将護はその柔軟な動きでスマッシュを打ったのだ。
相手コートにはスマッシュが放たれた場所に跡が出来ている。だが、羽には一枚の乱れもない。
「……マジか」
思わず、番商の監督は呟いた。あれほど美しいインパクトスマッシュ。そしてあの威力で、羽が乱れていない。一体、どういうことなのか。
これが噂のスマッシュ。まだ誰にも返されたことはない。一撃必殺だ。
「もう、一点もやらない。この試合。後、2ゲームで終わらせる」
将護はラケットをユクスに向けて良い放つ。
「カッケー!!」
「こら、動かない」
兼平に手当てをされながらもカルロスは叫んだ。
しかし、今のは本気ではない。多分、八割だ、と透は推測する。羽に乱れが無いのはスマッシュを打つ瞬間、少しラケットを捻り衝撃を緩和しているからだ。さらに回転をかけ羽に風の壁を作っている。そして、羽ではなく先をラケットに当て、さらに先がコートに落ちるように計算して打っている。そこまで計算して打てる余裕があるのだ。
これでようやくダブルスになる。と、言っても一対二だ。もしくは一対一か。
ユクスはやたらと多彩なスマッシュを持ち、それぞれに技名が付いているらしい。そんなことすれば、コースがバレてしまうのに余程自分の力に自信があるのだろう。
透はそんなユクスにあの人の面影を思い出して首を振る。
自分を盾とするなら、最強の矛があるのだ。
点は全て将護が入れた。彼は本当に俊敏で良く動く。技はスマッシュのみ。だが、何処からでも。どんな体勢からでも。思うがままにスマッシュを打った。
ユクスも良く動くが、まるで縦断のようなスマッシュには手も足もでず。結局、二試合目は点差を大幅に広げて藍夕が一本を取る。
瞬間、ユクスが吠える。
唸るようなスマッシュサーブ。
コースは最初と同じ。これは意地だろう。
静かだ。しかし、気配がした。
力の入れ過ぎでぶれたサーブ。将護は上から、またスマッシュを打つ動作で動いた。
当然、ユクスは警戒する。
コン。
静寂の元。
羽が落ちる。
「紫電一閃」
静かな声がした。将護の声だ。彼は、スマッシュの動きで軟打のフェイントをかけたのだ。
モーション的には圧倒的にスマッシュの動きだった。
「そない技、持っとんたんかいな」
その時、声がした。
ツンツン頭に灰色のブレザー。
『あー!!!!』
カルロスと透は同時に叫んで詰め寄る。
「ちょっと、突然、なんなんすか!!」
「無礼にも程があります」
「いや、悪い悪い。しかし、アイツ困った事にウチでも暴れん坊でな。さっちーならどうにか倒せるんやないかと……」
ゆらり、と将護が起き上がる。松前に向かって試合終了の合図を出した。
「なっ、俺はまだ負けてねぇよ!!」
「大方、世渡に俺に勝ったら一群にしてやるとでも唆されたんだろう?」
「うっ……」
「世渡はお前だけでは俺に勝てないのは知ってたし。ついでに透の偵察かな」
「流石っすわ」
世渡 勇義は降参するように両手を広げる。
「俺を利用しようなんて……じゅう……」
言いかけて、将護は突然倒れたのでユクスは慌ててその体を支える。
「忘れてた、先輩風邪なんだ。大友先輩、水!!」
「ちょっと待って!!」
大慌てで兼平は走る。
「……風邪? おい、大丈夫か?」
その事実にユクスはただ、呆然とした。小さい体は熱く、呼吸も洗い。頬は火照り、体は痙攣していた。相手があまりにも満身創痍だったので思わず声をかける。
「……その人を放せ」
透は警戒するようにユクスの前に立つ。
「……ふんっ……アイツ、名前は」
「佐武将護」
「……名前ぐれぇ、覚えといてやるよ」
ユクスは将護を透に寄越し、勝手に体育館から去って行った。
慌てて透はスポーツバックからタオルを取り出し、将護の額の汗を拭う。
「すまんな。ホンマ、アイツウチでもじゃじゃ馬で困っとって。アメリカでは負け無しやからもう王様俺様やったの。将ちゃんにぼっこぼこにされれば少しは扱い易くなるかと思ったら……タイミングが悪かったの……」
「借り、一つでチャラな」
将護は満身創痍ながらも微笑む。
結果、将護は二日学校を休み、三日部活を休んだ。最後の一日は念のため兼平に与えられた休みだ。将護はその三日を八雲の家で過ごした。
八雲の両親はもう勝手に将護は息子の様なものだと思っているし、仲も良好なので問題ない。出来れば家族仲はこれぐらいが良かった。将護の家は過剰干渉だ。
「人それぞれだと思いますよ」
八雲は食後に梨を向いた。和梨はこの季節だと少し早いが、八雲の親父がわざわざ将護の為に取り寄せてくれたのだ。
ベッドの上、部の書類を確認しているとトーナメント表が出てきた。
「すっかり迷惑かけたな」
「いいえ。良いのです」
「……ありゃ、こりゃ決勝までに一馬のとこと当たるな」
「そんなことあるのですか?」
「ダブルス個人戦だからなぁ。強豪ならあるある。あっちがそこまで勝ち残れば。後は全国までに残れば群青とも当たるだろうけど、あそこダブルスは言うてだし。透のトラウマもいるかもだけど、俺は誰だか知らんし」
「同じジュニアの選手は……」
「ああ、烏間だ。県外だっけ……。いるけど、俺、そことは一度も当たったことねぇや……多分」
「多分?」
「県内の記憶は微妙なんだよ」
少し溜め息を八雲は吐いた。もう少し、この人が他人に上手く甘えられれば良いのだけれど。この人は完璧過ぎる。
「先輩がいなかったら、あの家は今頃崩壊していたでしょうね。完璧そうに見えても、絶対な家族はありません」
「……そうだな」
果たして、八雲は将護に同意する為に言葉を選んでいるのか。彼女の本心なのか。
「もう。何も考えないで」
「むぐっ」
口に水梨が突っ込まれる。程好い甘さと豊満に含んだ水分。将護の好きな食べ物だ。
「上手い」
「それは良かった。父も喜びます」
「んー」
「あの……」
「おー?」
「もうすぐ大会ありますよね。部員、足りてますか」
将護は微妙そうな顔で八雲の剥いた梨を口にする。
「それ、聞いちゃう?」
「私手伝いましょうか? 私の高校は女子高です。バドミントン部はありません。それに、私はどこの部にも……」
「やっくんが良いならな」
「はい……」
しばらくの間の後、八雲は意を決した様に言った。
「……私は私の事が嫌いでした。今も好きかは分からない」
「そう」
「はい。でも、私は分かります。貴方が好きなんだ、ということは。今は何よりもその事実が好きです」
「好きにしな」
将護は起き上がって、立ち上がる。
結果的に休みがあって良かった。この数日で体力はほぼ戻る。
「将護さんは……」
「俺はそんなこと考える暇も余裕もない。他人に迷惑かけないように、気を使うのがやっとさ」
「そんな……」




