第一戦 南蛮鴃舌
良く理由は分からないが、あれから佐武将護は以前より部活に来てくれるようになった。
様々な場所で行われる練習。今日はまだコートの上だ。旧コートの草むしりと引き換えだが。
それでもいつも怒り(ツッコミ)気味の一馬と違って将護はけたけたと良く笑う。透はそういえば、元々あんなに『先輩』という存在を嫌がっていたのに気が付けば誰よりも将護に従順になっていた。
カルロスがダブルスしたい!
とぶーたれると何故かカルロスと組むことに関して将護は意欲的ではなかった。
カルロスが素人だからかと思ったが、お前は射場だろ、とくいくいと指を向けられる。
カルロスはそりゃあ射場一馬に不満があるわけではない。寧ろこの中の先輩……大友兼平と佐武将護と比べても優しい先輩だ。大体、気怠そうにしているが草むしりもビシビシ仕切り、ちゃっかり逃げようとする将護と兼平を掴み、カルロスに指示までくれる。
しかもカルロスを一年生と見て、ちゃんと無理のない範囲の仕事量だ。
基本的に参加はするが将護は口煩い先輩ではない。透の様子を見て適当に雑談という名の休憩を挟む。
木陰、大きな気の周辺で流石、手際よく将護が抜いた花を透は袋に詰めた。
「おお、サンキュ」
「いえ、これで午後には外も全面コート使えそうっすね」
「ふーむ。それは良いんだけど」
と言う将護に透はペットボトルを渡す。
「重ねて悪いな」
「いいえ。どうしたのですか?」
「今、コート練してんのアイツだろ?」
主にカルロスと一馬に向けて将護は視線をよこす。するとカルロスがまるで犬のようにこちらに向かって来た。透はその姿に犬……柴犬ではなく、外国の白くてシロクマに似た人懐っこい……そう、サモエドを思い出した。そっくりだ。
「勿体無い……気もしますが、俺と大友先輩が組んで試合してもおちょくってる感じっすかね」
「そりゃあ、大友は元々一試合フルで頑張ります! ってタイプじゃねぇし」
「え? でもダブルスでも最後はでろでろっすよ」
「それに、アイツも何かしら目標があるらしい。知ってるか? 大友の野郎、二年インハイ蹴ってんの」
「へ……ぇえええ!?」
花や雑草を袋に詰めていたカルロスは驚く。兼平も多くは語らない人で謎が多い。国雪とは知り合いらしいし、国雪も知っている様だが。
「まぁ、去年は三年が多かったし。譲りまーすなんて良い顔してたがありゃ絶対裏があるな」
「インハイ一年出てない!?」
将護はペットボトルを持って頷く。
透とカルロスは二人して驚いていた。
「……何故……」
「まぁ、この部ってガツガツやる私立じゃねぇし。元々少数精鋭だからさ。毎年個人でやっと名の出る高校だったし。個人個人で色々あるんじゃねぇの?」
「でも……何で……」
慌てるカルロスを見て将護は頷く。そして立ち上がった。
「よっし、いっちょ練習試合でもするか!」
「ほぇえええ!!!? どこと!?」
「番高で良ければ話通してやるよ」
「ばん、こう??」
「えっと……大阪番頭商業高校っすか?」
「知ってんの?」
「はい」
将護の問に透は頷く。
「関西最強の一角ですから、噂は。ウチと何か縁でも?」
「ウチにはないけど。俺が去年当たって倒してるから。同期のチームメイトとなら知り合い」
「ば、番商を? あの。それで、倒したのに知り合い?」
「そこの二年のエースとマルチオンラインゲームでチームだから」
「……マルチ??」
きょとんとした透に向かった将護は拳銃を構えるポーズをする。
「俺の趣味がマルチオンラインのシューティングだからさ。ゲーム情報はアイツの方が詳しいんだ」
「ふぇー。先輩って多趣味!!」
カルロスは関したように頷く。
「後、松前先生が隣の女子史高校からの練習試合の申し込みならあったって」
「女子……」
「それは完全に舐められていますね」
「どっちにしろ練習試合はあるんですね!!」
「ああ。俺も元々コイツとの連携は試合で方針立てる予定だったし。そもそも、俺は多彩な技を持っているタイプじゃないからな。多くても困るけど」
「え?」
「……は?」
カルロスと透は同時に首を捻る。
「ん?」
「いえ、先輩が技があんまりない、みたいなこと言うから……」
「ああ。無いぜ、カルロス。知らなかった……訳無いよな。練習試合一回やってるじゃん」
「え……いえ、だってさ」
その時、将護の手が下りくるりと円を描く。まるでいつもラケットを持っている時にやるあのくるくるラケットをペン回しの様に回す動きだ。
「俺が使えるのはスマッシュだけだ。数段威力があるぐらい。特筆はない。モーション。そう、そういう小技は全く」
「えぇえええ!? そうなの??」
「うるさい」
「何だよ、お前初日から偉そうだぞ!!」
「バトミントン一年未満」
透はカルロスを指差す。
「……うっ」
「俺は小四からだ。中学は丸々」
「えっと……ろ、六年!?」
「ふ、あはははは、噂には聞いてたし、良くやるなぁ、と思ったら長いな。頼もしい限りだ」
「い、いえ」
そんな二人を見て将護はけたけた笑う。そのまま透の頭を嬉しそうに撫でた。
「うぅ……。笑うなんてひどい!!」
「悪い、悪い。そっか、一年未満ね。カルロスはもうちょい射場を上手く使ってやんないとなぁ」
「上手く?」
「お前、シングルでコート使ってる訳じゃないだろ? 全部の球に食い付くな」
「そりゃあ……そっすけど。でも、それって手抜きになりません?」
その時。微かに。微妙に、だが透の顔が曇るのを将護は見逃さない。
「んー、時と場合による。行けないのにガバガバ動かれても邪魔だ。射場は優しいだろう?」
その問にカルロスは頷く。
確かに一馬は見かけよりずっと優しかった。そりゃ、怒るし、怒れば怖い。しかしコート上の一馬は優しい。カルロスをなるべく前衛に出し、己はサポートに徹していた。
「でも……俺そんなことして……」
「アイツは元々サポートに向いてる。けどヤバイと思った球を打ち返せないほど柔くもない。程よく任せな。それでどうこう言って来るようなヤツじゃねぇし」
ぽんぽん、とタオルの上からカルロスの頭を撫でる。
「カルロスー! 基礎訓練やるぞー!」
「うぃーっす!!」
カルロスはペットボトルの水を数本持って兼平と一馬の元へ走る。
来てくれるのはいいが、結局やることは変わらない。何故、将護があまり来ないのか。その理由は分かったような。
つまり、カルロス相手に試合をしても無意味なのだ。
それはいい。
しかし、透は幾つかの言葉が引っ掛かる。
相手が一馬とカルロスだけではマンネリ化もするから主にカルロスの基礎訓練が透の練習の内容だ。気分的には補習に付き合っているような。
その様子をフェンスの下に腰掛け将護は休憩しながら眺めていた。透はカルロスの練習を見ながら隣に座る。
木々の葉が日陰になって少し涼しい。
相変わらず、カルロスは将護にスマッシュを教えろ、とうるさい。当然、彼は基礎的な美しい動きなら教えた。それでも充分威力のあるスマッシュでしかし動きを真似ただけでは同じ威力にはならない。カルロスは見て動きを覚えるしかない。
「……聞いても良いですか?」
「んー?」
「先輩は……どうしてテニス……辞めたのか」
「大友は……」
「大友先輩ではなく佐武先輩が、です」
じっと見つめると真紅の瞳が光る。
この人は悪い人ではない。しかし、時々妙に潔いのも気になった。
「別に大した理由じゃねぇよ。怪我したー、とかさ」
時々、カルロスに向けてポーンと羽を打つ。カルロスはワタワタしながらも拾うには拾うが、サッと一馬のフォローが入る。
しかしその球も兼平が緩やかに手首で軌道を変えて返した。
結局、一対二だ。将護はたまにフェンスまで飛んできた玉を打ち返していた。
ただの打球ならまだカルロスでも拾えるが、少しの強打はまるで駄目だ。その練習を見て透はため息を吐いた。
「ふーむ。そうだなぁ。中一の時、テニスやっててさ」
どうやら話してくれるらしい。
「はい」
「そんとき、俺も馬鹿だからバカスカ力任せに打ってた訳だ」
「でも、テニスも強かったそうじゃないですか?」
「基本的に球技は得意だぜ。親父がさ、整形外科の癖に全然スポーツ出来ねぇの」
「先輩の……」
「変な論文や本ばっか書いてる学者でもあるんだけど、その運動音痴が当時、相当悔しかったんだって」
「整形外科……って確か柔整でしたっけ?」
「基本的な整形外科学会の資格さえ持ってりゃ良いらしいけど……親父レベルになると分からないな」
「へー。先輩は跡は継がないんですか?」
「んー」
今日の天気は悪くない。
外での練習は限界がある。そもそも、バトミントンは室内競技だ。気のない返事の後、将護は頷く。
「無いな。必要性がない」
「……その微妙な間は」
「何ソレ」
「ありました!」
「じゃー、関係無いから秘密!」
「えー」
「っと、その話は置いて。それで、親父は息子の俺にどぉーしても何かスポーツで成績を残して欲しかったんだ」
「それがミントンで?」
「いや」
「違うんかい!!」
「特に縛りはないけど。とにかく球技は根に理で詰められたぜ。うっざい」
またドキッパリと言ったものだ。
「……はぁ、それで時々先輩はやたら謎の知識があるんですね」
「お陰様で俺もどっちかと言えば座学は好きだし得意だよ。けど、それだけで食って行ける世の中じゃない」
「うっ……」
そうだ。この人二年の主席だった。でも実技は一馬の方が遥かに成績が良い。一馬は意外に手先は器用だし、空気も読める。知識だけではなく、その辺の感覚とセンスが良い人だと透は何度か実技を見て思う。
「テニスでしくじったのは俺のミスだ。後悔はない。俺が強すぎるスマッシュで相手選手の腕壊しちまった」
「え……!?」
驚きの理由だ。
それは果たして将護のミスになるのか。
「……当時、強い球はみーんな馬鹿にされたの。実害は真実と異なる所からだ」
「実害……」
「変なアダ名で呼ばれたり。変な噂があっという間に広まったり。俺、そういうの嫌いなんだ。こそこそ陰湿なヤツ」
この人は本当に自分が嫌なモノは嫌とアウトラインがハッキリとしている。
「それで……」
「ウザかったから辞めた。だから、俺は思うんだ。お前の才能は財だ。他人ごときに合わせてそれを手放すなんて馬鹿らしいと」
「……実体験からの忠告だったんですね」
将護の頭が小さく下がる。
「痛み入ります。けれど、俺は続けます」
「そーなの?」
「はい。知りたいことも、確かめるべきこともあるので」
それは実際に今、目の前でコートを隔てて、立ち向かって見ないと分からない。
透は拳を握り直す。
「そっか……その、お前のトラウマが何か知らないが……」
「大丈夫です」
「え?」
「先輩は違います。アイツとはそもそも人間性が。俺は先輩が好きです」
「え……あ、……ども。ってか、それは向こうに……言ったのか?」
「……何をでしょうか?」
「……なるほど。分かった。……うん」
「うぇ!? 何をですか??」
「後で教えてやるよ」
結局、天気が悪くて簡単な筋トレで試合は出来なかった。
フラストレーションが溜まってそうなカルロスを横目に、将護は兼平と練習試合の打ち合わせをしていた。
「それはいいけれど、さっちー、番商に友達いたんだ~」
「友達……ダチ……うん、まぁいいか」
「それで向こうは?」
「どっかと練習試合はする予定だったし、こっちの予定が合うなら来る……行くつってました」
「あらあら。向こうが来てくれるの?」
「らしいっす。つーか多分」
「え……?」
「いや。良いなら連絡付けときます」
「そうだねー。流石に女子高校生相手はちょっと……それに」
「そっちは松前先生の冗談だと思いますけど……」
「違うよ~。ホラ、女子なのに男子より強いってあるじゃん?」
「……それは両者にとって良いんですか?」
「良いかはともかく、女子に関してはその箔押しが目的じゃないかな? 何処かからウチのダブルスだけは強いって聞いたみたいだ」
「ダブルスだけは」
「だけは。去年は結局地獄の練習試合だったし。勝ったのさっちーと一馬だけだもん。分かった。良いよ。任せる」
「うっす」
「だから帰って良いよ」
「……え?」
「今日、具合悪いんでしょう?」
「は……え??」
「最近、来てくれるのは良いけど無理しちゃ駄目だよ。君、最近ただでさえカツカツなのに。磨り減らすのは」
その時、兼平の声が変わる。深く、重い声だ。
「いえ……」
「今日は早く上がること。監視に透君付けるから、明日はちゃんと休む」
「お、……ども」
「そりゃあ、カルロスには頑張って欲しいけど、君に潰れられるのは一番困るんだよ」
意外にも、見るところはある人だとは知っていたが、やはり侮れない人だと透は思った。
将護は練習を切り上げて帰ることになった。確かに具合少しは悪そうだ。
「大丈夫ですか?」
「良くないかもしれんな」
将護が背負いかけたリュックを透は慌てて持つ。
「さんきゅー」
粗い呼吸。こんなに具合が悪かったなんて。
「とりあえず、帰りましょう?」
その時、にわかに将護の瞳が揺らぐ。赤い瞳が綺麗だ。
「え……」
「ん……」
「鞄、俺の荷台に乗せて。熱は?」
「保健室で38.5」
「結構ありますね。病院は……」
「薬はあるし大丈夫」
「背負います?」
「お前……いや、いいや。ぶっちゃけしんどい」
将護を片手で背負い、透はその軽さに思わず『かっる!!』と叫びそうになり必死に抑える。
チャリの荷台にスポーツバックを乗せて透は先に返ることにした。
途中、カルロスに差し入れなのかごちゃごちゃしたスーパーの袋を渡される。
「何……」
「差し入れ!! 俺とセンパイはグルメ紀行同盟組んでるの!」
「グルメ? 紀行?」
「美味しいものをとことん探求する同盟! センパイはリンゴと梨が好きなんだ。荷物。持ってやる」
袋の中には林檎と梨のパックジュースとゼリー飲料が入っていた。
将護の家は遠くない。電車一本と徒歩。確か小さい整形外科にバックは構想マンションという不釣り合いな外観をしていた。
将護の父は医者だし、任せた方がいいか、とそのマンションのエントランスまであるく。
背中の将護は熱い。甲斐は怒られそうだが安全を考えて将護を背負った。荷物はカルロスが持つ。
マンションに入ろうかは迷った。
確かに彼の家族に知り合いはいないが、それよりも。
「なんの……用ですか?」
警戒して振り向くと、柱から姿を表したのは美少女だった。
普通の濃紺のセーターの美少女だ。
少しつり目の美人。
透は頭の中に三つほど? を浮かべる。
その美少女は意を決して話す。
「だ、だめです!! 今、将護さんの家には誰もいません」
「……え?」
「連絡しましたか?」
「繋がらなくて……」
「ご両親はどちらも出ています。……あの、家に連れて行っても良いでしょうか?」
「え、でも……」
慌てる透の腕を将護は掴む。
「……やっくん」
「先輩!!」
「あ、起きたー!!」
「将護さん……ここまま実家に戻られますか?」
答えには出さなかったが、将護の頭が左右に揺れる。それに安堵する女性の声は驚くほど優しい表情で将護はその少女の膝の上で眠っていた。
よく見れば、恐ろしい美人だ。つり目で、しかし瞳は大きく、真っ直ぐな黒髪はボブで勾玉の髪飾りが右の耳元に付いている。
「大丈夫ですよ。将護さんの家とは近いので」
「えっと……」
「あ! ……申し訳遅れました! 私は不知火 八雲と言います」
「は、よ、よろしく、お願い致します……」
透は挙動不審で挨拶をする。同時にカルロスも頭を下げた。
しかし、透は将護を背負う肩に力を入れる。
「いえ、あの。……先輩とはどういう……」
「……はい。私は、将護さんの同級生の妹です」
「……ほえ!?」
めっさ美人だけど誰!? とカルロスは思う。
「将護さんなら、本当に良く家には行き来しているので、大丈夫です!!」
その美人……八雲はキリキリとした瞳で透を見上げる。スレンダーでスタイルも良いが、屈むと透の背丈の高さが目立つ。
どうしたものか、と渋った時。
「こら、逃げんのかぁああ!!」
住宅街に絶叫が響く。
「……え?」
透と八雲の間に立ったのは、黒のシャツ、灰色のジャケットというこの辺の高校生はまず着ない制服だ。
そのほど? 良くツンツン、程よく短い髪の男はやたらと動作の多い動きで着地する。
その場に居た、透、八雲はひたすらポカンとする。カルロスは頭に? がいっぱいだ。
この二人は元々コミュ症だ。
透は恐る恐る尋ねた。
「だ、だれ? デスカ?」
「何、このワシを知らんとはモグリか! ワシは大阪府立番頭商業高校ビジネス科二年、世渡 勇義じゃー!!!」
「わきゃー!!」
と、耳を塞ぐカルロス。
その声は頭に響く。顔をしかめていると勇義がやってくる。
「なんや、美女の膝枕とはええご身分やな、さっちー」
「練習試合まで! 三日ありますけど!!」
透は思わず叫ぶ。
「ええやん、合宿しよ」
と、何故か凄い隈の男にウインクをされ、ちょっとドン引きだった。
「厚かましい。-500点」
そしてバッサリ切り捨てる将護。
「高!!」
と、ぎゃーっぎゃーっ騒いでいると、立つ……立ったのは紅一点。美しい美女だった。
「いい加減にしてください!!」
「ぐぇええ!?!?」
バッチーンと良い音で勇義はぶん殴られ、吹っ飛んだ。
ポーン、ポーンと将護以外はマンションを追い出される。
結局、透はあの美人に関しては何も分からなかった。
謎の三人組がポツンと残った。どうやらツンツン頭は番頭商業高校の生徒らしい。
「くー、美人だったやん。何もンや。さっちーの彼女かいな?」
「そっすね……でも、多分、センパイはそういうのいないって言ってた」
「そんな会話するのか」
「うん」
カルロスと将護は案外仲が良いので侮れない、と透は思う。結局、三人組が出来ることは何もないので帰るしかない。
「ああ」
「彼女かなー」
「さあ」
「……透?」
「いや、あの人のあの目! あれは同類だ!!」
「……え……うん、そうだよ!! 後でお見舞い行こ!」
いや、何の!? とカルロスは内心思う。透は渋々、といった様子。
「……それだけは同意してやる」




