決死の覚悟
佐武将護は試合に勝った後も特に変わらず、あっさりしていた。
勝手にクールダウンをして、勝利に酔うことも、感傷的になることもなく着替えを終えて帰る準備をさくさくしている。
そんな姿を見て、どうすべきか迷っている透を見かねて一馬がその肩を叩く。
「こっちはいいから、追え」
「え……でも」
「放っておくと、あいつ予選まで練習に来ないぞ」
「……っ、行きます!」
透は急いで将護を追った。
将護はいつも河川敷まで走っているようだ。河原で伸びをして、ストレッチをしている。
透はスポーツバックの肩帯を握り直し、河原を降りた。
しかし、案外急な坂になっていて、石に躓き足が縺れ、止まれなくなってしまう。
「う、わぁああああ!!!」
「!?」
驚いて振り向いた将護に思いっきりぶつかった。
将護は受け身を取ったが、互いに川の中に落ちた。
水飛沫が大量に降り注ぐ。
「先輩、大丈夫ですか、先輩!!」
「……っ、大丈夫だけど」
ずぶ濡れだ。綺麗な赤毛から水滴が滴る。それは夕暮れの色を反射してオレンジ色に光っていた。
透は純粋に綺麗だな、と思ったが、怪我があっては困る。焦っていると、将護は自分のスポーツバックを引き寄せ中からタオルを取り出した。
「っしゃ、中は無事だ」
「先輩、怪我は」
「かすり傷ぐらいだ。大丈夫だけど下着までびしょびしょだ」
バッサリとジャージを脱いで将護は川から上がりジャージの水を絞った。
「お前は?」
「はい、服が濡れただけっす。俺のタオルも使って下さい」
「さんきゅ。ま、家はこっから近いし、今日は寒くねぇし大丈夫だろ」
ふわり、と頭からタオルを被る。思わず、透はその頭を上からがしがしと拭いた。するり、とタオルがずれると、将護は不思議そうな顔で透を見つめていたので、透も驚いた。
「……あの」
「……いや、……ふだん、こんなことされることなんて無いからさ」
大きな瞳は伏せられ、心なしか頬が赤い。もしや、これは照れているのだろうか?
忘れていたが、目の前の将護は透が苦手な『先輩』なのだ。
「うぁああ、スミマセン!!」
今更、焦っても遅い。
「何で謝ってんの?」
「……何故でしょうか」
それから、ジャージが渇くまで二人で河川敷の上、飲み物を飲みながら夕日を眺めた。
気温は低くないし、微風ながら風も吹いている。夕暮れまでには大方の水滴は渇くだろう。
「お前の家はこっから近いのか?」
近くに停めてある透の自転車を見て将護は尋ねた。
「あ……いや、ちょっと遠いっすね。スーパーがあって、山の方にある鉄工所です」
「あー、あそこか。あそこってまだやってるんだ。甲斐鉄工所……そっか、おまえ甲斐透だもんな。親父が社長なのか?」
「……一応」
「家、継ぐの?」
「考え中っす」
透は将護から未開封のスポーツドリンクを渡される。色々と用意のいい人だと透は関心したが、将護は手の平の傷と打撲が気になるのか手を開いたり閉じたりしている。透は将護のスポーツドリンクを取って蓋を開けた。
「そこまで酷くねぇよ」
「でも、病院は……」
「親父が整形外科だから、いる時にでも診てもらうよ。多分ただのかすり傷と痣だけど」
「……すみません」
「謝るなよ。……どうしたらいいか分からない」
「……え?」
「正直に言うよ。お前との距離感が分からない」
将護は足を抱えて言った。
「大友先輩にさ。好きにしろって言われてるんだ。あの人は部長としちゃ抜けてるし、何考えてんのか分からないし、統率力なんてない」
「ちょ、言い過ぎじゃ……そりゃ、詐欺師みたいな人ですけど」
「でもさ。誰にでも特技はあるんだ。あの人は空気を作るのが上手い。雰囲気って言ったらいいのかさ。そういうやつ。だから、悪くない部だぜ。少人数だしな」
「……空気」
「部活、サークル、どこかに所属するとそこの空気がある。熱血で喧しい所も、強豪でひたすら競技しか見えてない所も。指導者で決まる。ウチの校訓は自主性、安全第一。で、監督もいない」
「じゃあ、指導は大友さんが?」
「それはどうかな。頼もうと思えばOBはいるし。我々のやる気次第っすわ」
「つまり、大友先輩はやる気はあるんですね」
「あるんじゃねぇの。俺、あんまり他人に興味ないから詳しくねぇんだ」
「……え?」
「……ん?」
透は不思議そうに将護を見つめる。
「先輩はとても社交的で友人多いですよね?」
「あー、そりゃ、苦手だから適当に上手くやってるだけだって」
「……他校にも知り合いいますよね?」
「いるよ。そこそこやってるし」
「……うーん。俺は先輩が分からない」
「うん、俺も自分が分からない」
将護は豪快に笑って手を差し出し立った。
「ま、こんな先輩だけど、しばらくよろしくな」
「……はい」
その手を透は握り返す。
「……あー! そうだ、夕食の買い出しがあるんだ!」
「……先輩!」
「ん?」
「無理、しないで下さい」
「それは無理だ」
将護の後ろ姿を見て、透は少し不安になった。透の家族は個性的だが、決して透に物事を押し付けない。判断は透がする。しかし、結果的に流されていることは多いが、将護の生き方には選択肢がないかのような息苦しさを感じてしまう。
最初はきっちりした人だから、だと思っていたが、将護は歳の割に己の感情を切り捨て切り換えるのが速すぎる。それが彼の選手としての長所でもあると思う。
このまま、誰かに甘えてバドミントンを続けてるなんて駄目だ。
「結局、俺は……流されて、誰かに付いて歩いているだけかよ」
日が落ち、電灯に明かりが灯る。青い空気が黒に変わる。
透は自転車を転がしながら決意した。
佐武将護という上級生と関わって行く、と。
このまま、任せっきりでは何も変われない。




