戦の選手
たった数ヶ月。
されど数ヶ月。その月日に何をしたのか。
それが試合で諸に出る。
ラリーが続く度に一馬の一歩、一歩が重くなった。
しかし、ネットの向こう側から見る将護は久しぶりでも、まるで動揺の様子もない。
部活に参加せずとも、トレーニングを怠らなかったのだろう。
突然、守りに撤していた透がスマッシュを打った。体が反応しきれず、向こうに点が入る。
当然だ。あの身長でスマッシュが打てない訳がない。将護の影で動く壁だけでもやっかいなのに。
「……くそっ」
「……ぱい! ……先輩!」
「あ?」
思わず、カルロスに凄んでしまった。
しかし、カルロスは怯まず、一馬を見つめた。
「次は俺、ちゃんと打ち返します!」
その言葉に一馬は呆然とする。
このままだと、負けると分かっているだろうに。
一馬が息をすれば、頬から汗が落ちた。
「……お荷物は俺か」
「……先輩」
ラケットを握りしめ、一馬は決意する。
先制出来た方が楽。更に二点先取して終われた方がいい。
現実はそんな簡単には行かないだろう。一馬の足を見越してラリーで揺さぶったが、一馬の目は死んでいない。
しかし、一馬は数歩下がってラケットを持ったまま止まった。
その姿を将護は冷静に見つめる。
透がサーブを打つと動いたのはカルロスだった。
一瞬、透が動揺した気配が将護に伝わる。
将護はその球を返す。
「甲斐、次もアイツだ」
「……っ、はい!」
予想通り、動くのはカルロスだけだ。不変則的な球が来る。
考えられる作戦は三つ。
一つ、体力の温存
二つ、透の動きの観察
三つ、将護のスマッシュを待っている、もしくはコートを広げてカルロス動き易くしている。
ハーフタイムでざっと小声で透に将護は話した。
「アイツの足の状態は悪くない。むしろ、稼働していた右足との違和感を治している。それが前半だけではどうにもならないと見込んだな」
「ちょっと待って下さい、そんなことしたら余計に」
「一馬は極限状態の方が切れがいい。それに賭けた、と同時にカルロスに賭けたんだ」
試合中の将護の瞳は鋭い。
ボトルから一気に水を飲んで手の甲で口の端を拭う姿は完全に策士だ。
「じゃあ、俺がカルロスを押さえます」
透は自ら立った。
「それで? 俺は何をすればいいんだ?」
「最高の瞬間に最高のスマッシュを打って下さい」
「了解」
将護が立ち上がる瞬間、にやりと僅かに笑みが溢れた。
試合をするのは久しぶりだ。
しかし、佐武将護は冷静だった。
まず、相手はよく知る一馬と初心者。元々、練習よりは実践で透との試合運びを調整する予定だったので、前半は透が動くだけで点が取れる。
透はこれまで全然試合をしていなかったが、カルロスと一馬よりもバドミントンの経歴は長い。
そもそもの基本的な技術量が違う。
カルロスもよく動くが、一馬は意外にも空気の読める選手だ。飛んで来た羽をカルロスが無茶に拾うことを察して一歩下がっていた。
この辺は練習の成果が出ているな、と将護は冷静に観察した。
元々、一馬は将護と組んでいた時もサポートの方が上手かった。
しかし、カルロスの羽が明後日の方向に飛ぼうが、流石に透は華麗に対応する。
そもそも、動きの切れが違う。プロと初心者だ。
将護は自分の方に飛んで来た羽を軽く返した。
一馬はおそらく、将護のスマッシュのみに集中している。しかし、残念ながら、将護はフェイントも得意だった。
伊達に全国は行っていない。
開く点差。ボードを捲りながら兼平は考えた。
将護は透に自主性と自分のスタイルを目覚めさせる気なのだろう。つまり、これからは守っているだけでは勝てない。
この二人はこのままダブルスで行ける。
前半が終了した。
それは後半戦が始まった瞬間だった。
一閃がコートを貫く。
誰も動けなかった。そのスマッシュを放った佐武将護以外は。
カルロスは無言のまま、アウトラインギリギリに転がるシャトルを見た。
「交換だ。羽が折れてる」
一馬に言われてハッとする。
カルロスはそのシャトルを呆然と見つめた。
「それが佐武将護のスマッシュサーブだ。見えたか?」
カルロスは首を振る。カルロスの目でもまるで見えなかった。
「教えたが、普通、サーブはアンダーで打つ。その後の対応がしやすいからだ。絶対的に点が入ると分かっていない限り」
「……くそっ!」
単純にカルロスは悔しかった。運動能力には自信があった。それでもどうにもならない何かがここにはある。
カルロスはもう一度ラケットを構えた。
「いいね。諦めの悪いその顔」
「先輩、その台詞だと丸っきり悪役ですけど」
兼平は概ね予想通りの試合展開を冷静に分析する。将護と透は個人ダブルスで優勝を狙わせた方がいいかもしれない。それを狙えるだけの実力もポテンシャルもある。
そうなると、負担を考えると今年は団体戦の参加は厳しい。
兼平はどちらも可能だが、今年は最後の挑戦となる。当然、彼も選手だ。奥に秘めた燻る闘志はある。出来れば個人戦に出たかった。
と、なると残りはカルロスと一馬だ。まだまだ初心者のカルロスと発展途上の一馬も出来ればダブルスでこのまま切磋琢磨して欲しいと思うが、これからの伸び代次第ではシングルでも行ける選手に育てられる。彼らは一年を猶予と特訓に捧げてくれるだろうか。
試合終了のホイッスルは非情にも響く。
カルロスの悔しそうな顔が兼平には印象的だった。
格上相手に良くやったよ、なんて言葉はきっと無粋だろう。
案外、部長なんて出来ること少ないな、と大友兼平はため息を吐いた。
試合終了後、それぞれクールダウンと反省会をしている選手を兼平は集めた。
「はーい。みんな集合だよ~!」
「ゆるい!!」
一馬の文句も聞き流す。
「なんですか!!」
カルロスは嬉しそうに寄ってくる。犬の尻尾と耳が見えそうなタイプの子だな、と兼平は思った。
「今回の試合で個人の課題は分かったね?」
部員たちはそれぞれ、皆感慨深い表情をしている。いちいち言わなくても分かるだろう。
「それを考慮して、今年は団体戦には出ません」
「……え!?」
「……団体戦??」
「インターハイは?」
「それぞれ、シングル、ダブルスの個人戦に集中してそれぞれの能力アップに今年は努めてもらいます」
「……今年は?」
「俺は今年で最後だから。俺が卒業したら、君たちの好きにするといい」
「……俺は……試合に出られますか?」
不安そうにカルロスは呟く。兼平は正直に答えた。
「君、次第かな。ダブルスなら出してもいいけど、優勝は厳しい。まぁ個人でも厳しいけど、ダブルスなら一馬と組んでもらうよ」
「……っ」
「何、一回負けたぐらいで悄気んな」
将護らしいフォローだ。
「ちょっと、考えてもいいですか?」
カルロスは一馬を見つめた。一馬は案外、優しい表情で首肯く。
「好きにするといい」
「はい! 今日はここまで。後は各自で適当に解散!!」
どことなく、それぞれ暗い選手を見て、兼平は叫ぶ。
「目指す所は違えど、俺達はチーム藍夕だぞ!」
兼平の声は夕暮れの陽射しに向かって響いた。
その日、カルロスはそのまま帰宅せずふらふらと外に出た。
夕暮れの町並みを河川敷から見下ろす。この町には海はないけれど川がある。大きく、穏やかだが流れのある川だ。
「まるで歯が立たなかった」
あのスマッシュ、サーブを思い出す。打って来ると分かった。しかし、そう思った時には羽は落ちていた。
鷹飛国雪とも違うスタイルだ。
「ああ、そうだな」
隣に一馬が座ったので、カルロスは驚く。
「えっ!?」
「やってられねぇ、って……昔なら逃げてたさ」
「射場先輩……」
「でも、お前見てたらそんな気分にはなれなかったよ」
「……っ、何言ってるんですか、経験者なのに!」
「無理に笑うな」
一馬はワシワシとカルロスの頭を撫でる。
「先輩……」
「俺も、もうちっと強くなるからさ。付き合ってくれよ」
「……え、それって、俺とダブルスを組んでくれるんですか!?」
一馬は無言で頷いた。
「お前には才能がある。良くやってるよ。……それに」
「それに?」
「お前を見てたら、俺もなんか悔しくなって来ちまった。部活に戻って来る気も、ダブルスも懲り懲りだ、って思ってたんだけどさ」
「……先輩……えっ!?」
カルロスは一馬が突然、長い髪をハサミでジョッキリと切ったので驚いた。
「先輩、髪、……髪!?」
「いいんだよ。負けたらこうするつもりだった」
まだ、少し長い黒髪の前髪が夕暮れの風に靡く。
「俺はビビってあのスマッシュに手すら出せなかった。返してやるって意気込んで、恥ずかしいったらねぇ」
「……先輩」
「カルロス。お前は良いのか?俺に試合出るなって言えばお前が出る事だって出来る」
「……そんなことしたって意味がありません。俺は今、先輩と、勝ちたいです」
カルロスは手を差し出した。一馬はその手を強く握り返す。
「強くなろう。……二人で」
「……はい!」
カルロスは始めて運動部の先輩、というものをこんなにも近くに感じた。
今までは試合に出るだけだった。チームメイトではない。仲間でもなかった。けれど、今は違う。
それが少し嬉しかった。
そのまま帰宅する。と、自然と気持ちは落ち着いていた。初夏の夜、虫が鳴く声が聴こえる。
家に帰ると、国雪が玄関に立っていた。
「おかえり」
「……ただいま」
「あー、まず、汚れたジャージは着替えろ。ユニフォームも洗濯機!! 後はお袋がやるってさ」
「え、はい!」
カルロスは急いで洗濯機に向かった。
「靴下とか、汚れ物は分けろ」
「はい!」
「お前の親父が飯、作ったってさ」
「……はい」
カルロスはうとうとと、そこで寝落ちた。
目覚めると己の部屋だった。全体的に暗くなっていて、国雪の勉強机にはライトが点いている。
「目、悪くするっすよ」
「今まで悪くならなかったんだ。大丈夫だろ」
空気は、夏間近で暑すぎはしないがどんよりしてる。
国雪がパタパタとうちわで扇ぐと生温い風が吹いた。
目の前には麦茶がグラスで置かれていて、グラスの回りには水滴が無数に落ちていた。
カルロスは色々思い出して、一気にその麦茶を飲む。
「負けたんだな」
「……はい」
カルロスは素直に頷いた。
チリン、と風鈴の音がする。そういえば、国雪も兼平も今年は受験生でもあるのだ。
「そっか、俺が負けたのっていつだったかなぁ」
「先輩は無敵じゃないんですか?」
「まさか。始めたばかりの頃は親父にボコボコにされたよ。シャトルって頭にぶつかると痛いんだぜ」
聞いただけで壮絶そうな特訓だ。
「兼平に会うまで、バドミントンなんて大嫌いだった」
それでも、それは意外な言葉だった。
「……え?」
「あいつとダブルスやるまで、俺が強すぎて相手が誰もいなくてさ。親父のせいだって憎みもしたさ」
「……誰も?」
「状況は今と変わらないさ。親父が俺を仕込んだせいで強くなりすぎて一人勝ち」
「……じゃあ、どうして、先輩は大友先輩と同じ高校に行かなかったんですか?」
「……怖く、なったのかな。兼平まで置いて行ってしまったら、俺は何と戦うんだろう、って」
しばらく、妙な間があった。カルロスはぼんやり、お腹が空いたなぁ、と場違いなことを考える。
「……今の俺が言っても、あんまり説得力ねぇけど、絶対にいつかアンタと並んで戦えるような選手になってやる」
「……期待しないで待ってるよ」
国雪は苦笑しながら言った。
「そうしたら……」
「……ん?」
「俺は鷹飛って名乗ってもいいかな?」
「……好きにしな」
国雪は否定せず、カルロスにお盆を差し出した。
「お?」
「親父さんがお前に、だって」
上にはおにぎり四つ。
「やった! 親父の作るおにぎりは旨いんすよ! 先輩も食べよう」
「いいのか?」
「何で四つあるんスか。二人で分けろ、ってことでしょ? 夜食、夜食」
「……頂きます」
二人で、夜中にもそもそとおにぎりを食べる感覚は不思議な気分だった。
どんなに強くなっても、思うことがあるんだな、とカルロスは国雪の横顔を見て思った。




