決戦
もうすぐ、夜が明ける。
今日は、約束の試合の日だ。
二階のカルロスの部屋に朝日の光が射していた。
このままでは勝てる気がしない。
カルロスでもそれぐらいは分かっていた。
窓際に立って景色を眺めていても何も変わらない。
「……ん、眩しい」
もぞもぞと国雪が起きた。
彼は寝起きが悪く、ボーっとしているし、髪には寝癖が付いている。
それでも朝早くに起きるのだから不思議だ。
「……スミマセン。明日、試合があって」
「同じ一年とダブルスだっけ?」
カルロスは頷いた。
「でも、向こうは経験者で、勝てる気がしません」
「なにそれ根性だ、根性」
「気力とか、ガッツ以前の問題です。技術力100×120と100×20の勝負っすよ。勝てると思う方がおかしい」
国雪は虚ろな瞳をしながらもカルロスの話を聞いていた。
「俺が言えることは何もねぇよ。100%勝てる試合なんてねぇし、ビギナーズラックって言葉もある」
「分かってけど! もうちょいアドバイスっぽいのがあってもいいじゃん!!」
カルロスは国雪の肩をゆさゆさと揺らす。
「えー」
「教えてくれたら、部屋の広さの権利を国雪に……」
「そうだな。まぁ、俺はお前の奇行が運良く行くと願ってやろう」
「ひっでー!!」
「だって、俺藍夕の二年と試合やったことねぇから知らん。確かに、佐武将護ってすごいらしいな。噂は聞くよ。戦ってみたいけどな」
「……結局、さっちー先輩マジぱねぇってことっすか……」
カルロスはガックリと項垂れた。
「いいじゃん。負けたって。思いっきり暴れて来いよ」
「……え」
「負けたって、得るものはある。結局、何が起こるか分からないのが試合さ」
もう、国雪はジャージに着替えていた。
何となく、カルロスもそうしようか、と服を着替えて思い出す。
キッチンからお弁当箱を取り出し、国雪に渡す。
「……これ、親父が作った弁当」
「……」
「味は美味しいんだ」
国雪は深く息を吐いて受け取った。
「さんきゅ」
そして、カルロスは国雪から弁当箱を受け取った。
「……え、これ、国雪が作ったの!?」
「……そうだよ。ま、頑張れ」
まだ、家族なんて程遠いが、バドミントンを始めたことはいいことだったかもしれない。
自分が国雪の家族と自分の家族を繋げられるとは思わないが、バドミントンというきっかけがあるだけで会話することが出来るのだ。
甲斐透は同時刻、川原沿いをランニングしていた。
途中、犬の散歩をする婦人に挨拶をしたり、老夫婦に挨拶をしながら駆ける。走るのは好きだった。
その瞬間は何も考えなくていい。
目の前だけを見ればいい。
透には最早試合の理由が分からなくなっていた。なんのために試合をするんだ。
それでも、もう引き返せない。
初心者のカルロスにだけは負けたくなかった。
土曜日の午前中、体育館に集合する。
今回はさすがに新体育館をフル活用出来るらしい。
カルロスが到着すると既に全員揃っていた。
「ふふふっ、この俺が何もしていないと思ったら大間違いさ」
兼平は嬉しそうに立っている。
佐武将護は変わらず。しかし、アップも柔軟も済ませ緊張している様子もない。流石に試合慣れしていると透は感心した。
一方、一馬は練習試合とは言え、公式に試合をするのは久し振りらしく少し緊張した面持ちだった。
「えー? なんっすか!?」
そして一番緊張していないのがカルロスだ。
何でだよ、と透は内心でツッコミを入れた。
「ジャーン! 藍夕伝統のユニフォームさ!」
兼平は嬉しそうに両手でユニフォームを掲げる。全体が藍色で、サイドにオレンジ色のラインと襟の付いたユニフォームだ。
「おお! ちょっと格好いい!!」
「相変わらず、ミントンのユニってズボン短けぇよな」
「お前が大きすぎるんだよ」
透も少し一馬の言いたいことは分かる。しかし、ユニフォームを着ること自体が久し振りだった。
「藍夕のユニフォームは夕暮れの時の悪魔って呼ばれているのよ」
女性の声に、カルロスと透は驚く。振り向くと、金髪の美女が立っていた。黒いドレスコードに銀色の十字架が光る。
「そして、俺と一緒に審判をしてくれる、顧問の松前すみれ先生です!」
「よろしくね」
「あー! 英語のすみれ先生だ!」
「顧問なんていたんだ……」
「ああ。審判ぐらいしか出来ないけど」
透の問いにこっそりと将護が答える。
磨かれた体育館の床。設置されたコートにネット。審判台。この感覚は久し振りだった。
工業高校らしく、それぞれの物は使われていなくともきちんと整備され、シャトルも綺麗に揃っていた。
松前すみれはホワイトボードに大きく『安全第一』と書いている。意外にも達筆だが少し違うような。
「なぁ、いい加減、あの教訓どうにかしようぜ」
一馬が呆れた表情で言った。
「いいんじゃね? 工業高校っぽいし」
将護はシャトルを一つ一つ確認しながらどうでも良さそうに答える。
周囲を見回して、透はやはりスポーツドリンク係をやるしかなさそうだ、とボトルを数本持った。
「俺も手伝う」
ひょいっと数本、カルロスにボトルを拾われた。
二人で、別の棟にある家庭室でドリンクを作った。
「やっぱり、マネージャーも欲しいよな!」
「……ああ」
透は頷いた。
「……だから、負けて辞めるなよ」
そんなカルロスの気遣いに透はボトルを洗面台の上に落とした。
「……は?」
「万が一、ってことがあるじゃん」
「ない。絶対に」
「ある!! だってさ、100%勝てる試合なんてねぇし」
「それは結果論だ。圧倒的な実力者。圧倒的な点差を前に同じことが言えたら……少しは認めてやるよ」
「……なんだ。俺、お前のこと少し見直した」
「は?」
「だってさ、本当に辞めたいなら、わざと負ければいいんじゃん。そんな気すらないんだな」
「……あっ!」
正に目から鱗だった。
そうだ。
透がここまで身を砕く必要なんて最初から無かったのに。
「本当は好きなんじゃねぇーの?」
カルロスの言葉に、透は将護が言っていたあの言葉を思い出す。
『馬鹿に見せかけた、天才肌』
本当に油断は出来ないらしい。
コートに立つと、不思議と心が高ぶった。
体が覚えているのだろう。
朝の体育館はきちんと換気され、心地よい。
将護は前に、透は後ろに自然と立った。
後ろは任せた、と簡単なハンドサインが送られる。
透は頷き、射場一馬からのサーブを待った。
一馬からのアンダーサーブは意外にも威力がある。しかも、中々上手いコースだ。透は体を柔軟に体勢を低くしながらそのサーブを返す。
「さっすが!」
将護が叫ぶ。
直ぐに反応したのはカルロスだ。
しかし、それより先に将護は動いた。一馬とカルロス、二人が同時に動いた瞬間、その間を狙い射つように鋭利なスマッシュが放たれる。
二人とも、こんなに早く来るとは思っていなかったのか、固まって動くことも出来なかった。
「……なっ」
カルロスは落ちたシャトルを見つめる。
「まず、一点」
将護は気迫に満ちている。やはり、見た目と中身が真逆の人だ。
一馬は悔しそうに将護を見た。
「あの野郎、俺の足側を狙いやがった」
「え?」
「さっきのは全力でもなんでもねぇ。どんどん来るぞ」
一馬の言葉の通り、透はサーブを構える。透のサーブは威力よりスピードを重視したアンダーサーブだ。中学の時から、サービスは透のサーブから始める事が多い。
球の威力より動きの速さを重視したサーブはタイミングが取りにくく、カルロスは反応するも返すまでには至らなかった。
「二点目。なんだ。いいもん持ってるじゃん」
「っす」
「……分かっていたが、あの二人、一筋縄では行かないぞ」
一馬は悔しそうにラケットを振る。
カルロスは上手く動かない体に困惑していた。
見えているのに。動かない。いや、動けない。
一馬がいるからか。自分の動くタイミングが分からないのだ。
動けたとしても球を返せるかは分からない。
そんな試合をすみれは冷静に眺めていた。
「あの初心者君、どうして動けるのに動かないのかしら?」




