34.激突4
「・・・あら?」
私は至近で暗闇を認識しましたが、いつまで経っても攻撃の衝撃がきません。
私はゆっくりと、目の前の暗闇を見ました。
そして、それが暗闇ではなく、何か巨大な生物の身体であることを理解しました。
私は数歩後ろに下がり、その身体の全体像を確認します。
「ヒュドラ!?」
そこに居たのは、先程までたしかに離れた場所に居たはずのヒュドラでした。
そこに居たヒュドラの頭は、八つの頭の内三つの頭が消し飛び、首周りの鱗にも目立つ傷がいくつも刻まれていました。
それを見た私は、状況を理解しました。
このヒュドラが私の盾になってくれたのだということを……。
「・・・何故」
『俺が命じたからだ』
「なぜそんなことを命じたのです!」
『貴女を守る為。そして、ヒュドラをさらに強靭にする為だ』
「えっ?」
私を守る為というのは見ればわかります。ですが、ヒュドラを強靭にする為というのはいったい?
『ヒュドラを見ればわかる』
「えっ!ああ!」
言われるがままにヒュドラの方を見た私が見たものは、八つの頭が健在なヒュドラの姿でした。
いえ、頭だけではありません。全身にあった傷も一つ残らず消え失せています。
そこにいるヒュドラの姿は、最初に見た時と変わりないものでした。
『いったい何が起こったのだ!?』
攻撃を仕掛けた悪魔達も、目の前のヒュドラの姿が信じられないようでした。
それも当然でしょう。たしかに大きなダメージを与えたはずの相手が、無傷の姿でそこにいるのですから。
「これはどういうことです?」
向こうは完全な混乱状態。
私はその混乱を見つつ、彼に現状の説明を求めました。
『あのヒュドラの通常スキル、[超再生]の力だ。効果としては、自身の欠損部位などを瞬時に再生させることが出来る』
「まあ!」
たしかにヒュドラには、強力な再生能力があることは私も知っています。
ですが、あそこまでのダメージを瞬時に癒せ程では断じてありません。
あのヒュドラは、相当に規格外なのだと理解しました。
『さあ、敵は混乱している。この隙に、まとめて糧にしてしまおうか!』
彼がそう言うと、ヒュドラの姿が沼の中に消えて行きます。
『『ぎゃあああ!!』』
私が何をするつもりなのかと目の前の沼を見ていると、沼ではなく上空で異変が起きたようです。
私が慌てて悪魔達の方を見上げてみると、そこにはヒュドラの頭にそれぞれ食いつかれて暴れている、悪魔達の姿がありました。
そしてさらに驚いたのは、そのヒュドラの首の根元です。
ヒュドラの首達は、それぞれ先程まではなかった、空中に新しく発生した沼から伸びていました。
沼に潜ったヒュドラの頭が別の沼から伸びている。
これはつまり、沼達は独立して存在しているわけではなく、中で繋がっているということでしょうか?
『そうだ。あの【沼】達を発生させているのは、同一の能力によるものだからな。だからあの【沼】達は、全て中で繋がっている。そして、だからこそ今の瞬間移動みたいなことも、可能となる』
「なるほど」
私は彼の説明に納得がいって、一つ頷きました。
まさかあの沼にそのような効果があるなんて、ただただ驚きです。
ですがこれで、同僚達に勝ち目は完全になくなりました。
彼らの攻撃は当たってもすぐに再生され、まともにダメージを与えられない。対するヒュドラは、奇襲をかけ放題。
さらには沼に潜ってしまえば、攻撃も避け放題。
これで勝てたら、まさしく奇跡です。
『さて、お味はどうかな、っと?』
「お味?」
『『『グウアァァ!!!』』』
彼が変なことを言ったと思った直後、ヒュドラに噛まれている悪魔達から、次々と絶叫が上がりました。
私が何事だろうかと同僚達の方を注視して見ると、悪魔達の身体から無数の黒い光が溢れ出しているところでした。
「あれはいったい?」
『あれは、あいつらの経験を視覚化したものだ』
「経験の視覚化ですか?いったいなぜ?」
『先程言ったとおり、食べる為だ』
「食べる?」
『ああ』
私は視線をヒュドラの方に向けました。
するとそこには、悪魔から溢れ出している黒い光を食べる、ヒュドラの姿がありました。
ヒュドラはゆっくりと光を食べていきます。
当然同僚達は抵抗していますが、ヒュドラはすぐに再生などしてしまう為、いつまでも噛み付かれたままです。
ヒュドラが光を食べる毎に、食べられている悪魔達の姿がだんだん薄くなっていきます。
このまま薄くなっていくと、彼らはどうなってしまうのでしょう?
『当然消滅する。あいつらが失っているのは、経験。それはつまり、自分が今まで生きてきた時間。言い換えると、人生そのものだ。経験が失われると、その経験した過去自体があいつらから失われる。それであいつらがどうなっていくのかというと、存在が回帰していく。経験を全て失った先に待っているのは、何も経験していない無垢なる存在に戻ること。その対象の発生した基点となる核の部分だけの状態にだ。生物なら、魂や最初の細胞、卵の状態などがこれに当て嵌まる』
「………消滅」
さすがにそれは酷いような気が………。
『どの辺が酷いんだ?弱肉強食、食物連鎖。よくある自然界の掟だろう。それに、あいつらは人体実験を繰り返してきた狂人だ。もうまともな状態に戻ることもないのだから、ねこそぎ消滅させた方が誰の為にも良い。俺達はあいつらからの被害を受けなくなる。あいつらは、魂の歪みが正される。一応は皆の問題が片付くぞ』
「そう説明されると、そうなのでしょうね」
彼らを救う手立てはないのですね。
いえ、ここまでくると、彼には手があるような気がします。
ですが、彼にその気はないのでしょうね。
『ないな。それに、俺には魂に介入する手段はろくにないぞ。それは魂の管理神、ヘルの巫女である貴女の領分だ』
「そう、ですね」
彼の言っていることに間違いはありません。たしかに魂を救うことは、ヘル様に仕える私の領分なのですから。
『そして、もう終わりだ』
「えっ!」
私が同僚達の姿を見上げると、彼の言うとおりもう消えるところでした。
悪魔達の姿が全て黒い光となり、彼らは何も残さずに消滅していきます。
それはあまりにも呆気ないものでした。
『ふむ。味もまあまあだったな。さて、残りはどう料理してやろうか』
私が彼らの冥福を祈っていると、ヒュドラが再び動きだしました。
このままでいけば、彼らもヒュドラに食べられて終わることになるでしょう。
『そう簡単に終わってたまるか!』
私がそう思っていると、悪魔が何か不気味なオーブを懐から取り出しました。
『待て!それはまずい!』
それを見た他の同僚達が、慌ててその悪魔を止めにかかりだしました。
あれはいったい何なのでしょう?
『うるさい!一矢も報いずに終われるものか!』
『『『止めろぉぉ~~!!!』』』
悪魔達が悲鳴を上げる中、悪魔はオーブを握り潰します。
その途端、その悪魔を中心に闇が溢れ、傍にいた同僚達を全て飲み込んでいきました。
同僚達を飲み込んだ闇は、やがて球形の繭のような状態になりました。
ドクン、ドクン
繭はゆっくりと脈打ち、私はだんだん寒気を覚えてきました。
周囲を確認すると、夫や孫達も私同様に寒気を覚えているらしく、見てわかる程に身体を震わせています。
『出て来るな』
そして、やがて繭の表面がほつれだし、繭の中から一際濃い闇が吹き出しました。
闇はこの階層全体に広がっていこうとしたようですが、紫色の霧に触れると、触れた端から闇は消失していきました。
「あれは……」
そして闇が吹き出すのが終わると、繭のあった場所に、何か大きな影が出現していました。




