32.激突2
『これで後は、しばらく漬けこめば良い感じに瘴気も抜けるだろう』
「漬け込むって…」
『あの【沼】には瘴気を抜く効果がある。瘴気さえ抜ければ、あいつも昔のまともな状態に戻る』
「えっ!あの紫色の塊は沼なの!いえ、それよりも、先生が昔の状態に戻るというのは?」
声の主から、聞き捨てならない言葉が飛び出してきました。先生が昔に戻ってくれるのなら、私は本当に嬉しい。
けれど、それが本当なのか疑う自分がいます。
『あいつがおかしくなっている原因は、この施設で行われていた人体実験。その際に発生していた、瘴気を取り込んでいたからだ。瘴気は生物に吸収されることにより、生物の思考を狂わせる作用がある。他のプロジェクトメンバー達がおかしくなったのも、それが原因だ』
「そんな!」
私は今ようやく、みんながおかしくなった理由を知りました。
ですが、知るのが遅すぎました。
なぜなら、もう数十年もの間彼らは人体実験を続けてきているのです。
止められなかった私にも責任はありますけど、被害はすでに甚大なものです。
もういくつもの国が倒れ、その国の民が犠牲になっているのですから。
『それについては感謝しているがな』
「えっ!?」
それとは何を指すのでしょう?それに、感謝しているというのは?
『それというのは、近隣の国々を滅ぼしたこと。感謝している理由は、滅ぼされた相手が俺達の敵だったからだ』
「えっ?……まさか!」
声の主が私の内心の疑問に答えたことに、私は驚きました。そして、一度だけではなく二度も正確に答えをくださったことから、私はある一つの予想を立てました。
彼は私の心を読んでいるという予想を。
『正解だ』
そしてその予想は、すぐに彼本人から肯定されました。
「あなたはいったい?」
自己紹介は後ですると言われてはいますが、ここまでくるとこの声の主である彼。その正体が非常に気になってきます。
私の口から声を出し、私の内心を読む相手。
紫色の霧を操り、この施設にいる同僚達を行動不能に追いやることが可能。
また、このダンジョンの制御も奪っているとのこと。
戦闘能力も高いようで、無数のゴーレムを一度に生み出して操ってもみせました。
さらには紫色の沼を天井に浮かべ、逆さまに雨を降らせることも出来る。
先生がああなってしまった原因を知っていて、すでに滅んだ近隣諸国を自分達の敵だと語る。
つい今しがたから知った情報を並べていくだけで、かなり異常だということがすぐにわかりました。
『ふむ。たしかにそれだけの要素があると、すぐにでも俺の正体が知りたくなるよな。だが、あいつがまだしぶとく耐えているから、やっぱりそれは後回しだ』
「えっ!?」
私は慌てて、先生が沈んだ辺りを見ます。
いつの間にか滝のような豪雨は止んでいましたが、沼の水面が現在も荒れています。
今の話しからすると、先生が沼の中で暴れているということになります。
悪魔化しても、溺死しそうになっているのでしょうか?
『いやいや。悪魔が溺死とか、ないない。ただたんに、抵抗を続けているだけだ。さすがは瘴気を糧にする、デーモンタイプの生体兵器。この施設の瘴気濃度だと、簡単には無力化出来ないな』
「瘴気濃度?それに、先生は先生達を狂わせている原因を糧にしているのですか?」
『ああ、そうだ。それが生体兵器、タイプデーモンの特性だ。デーモンタイプは、瘴気や人の負の感情を周囲から吸収し、それを自分の力に変える能力を持っている。戦場では死や悲劇が溢れているから、かなり効率的な能力と言えるだろうな。だが、能力には裏表が存在する。自身の力を効率良く向上させられる反面、吸収しきれなかった瘴気の影響をだんだん受ける。瘴気が蓄積していくと、倫理感が欠落していき、人道を見失う。最終的には、人としての精神性を全て失い、周囲に破壊を撒き散らして糧を得るだけの、完全な化け物に成り下がる』
「そんな!」
まさかそこまで酷い仕様だったなんて!
私は、自分がこの施設産の生体兵器のことを甘く見ていたことを理解した。
そして、私は後悔に苛まれた。
『気にするな。少なくとも貴女は、何もしていなかったわけじゃないんだからな』
「えっ!?」
どういう意味でしょう?私は何も知らず、何もしなかったから後悔しているというのに。
『それは貴女に自覚がないだけの話しだ。実際には、かなりあいつの助けになっている。もしも貴女がいなければ、俺があいつを元に戻してやることは不可能だっただろう。少なくとも、あいつ以外の奴らは瘴気汚染が酷くて、浄化もままならないからな』
「えっ?」
私はいったい何をしたのでしょう?
それに、先生以外の同僚達が浄化出来ないというのは、いったい…?
『貴女がやったのは、瘴気の浄化。貴女があいつと会う度に、貴女がヘルから貰った神力が、あいつの魂を少しずつ浄化していき、瘴気の浸蝕を抑えていたんだ。逆に接触がほとんどなかった他の奴らは、瘴気を浴びっぱなし。すっかり魂が瘴気に汚染され尽くして、魂自体が歪んでしまっている。あれだと、例え無理矢理瘴気を浄化しても、もう元には戻らない。根本の部分が正常じゃなくなっているからな』
「そんな!」
彼が言ったことには、私も心当たりがありました。
たしかに彼の言うとおり、私と会う機会の多かった先生はまともな期間が長く、私があまり会わなかった同僚達は、このプロジェクトの初期の方でおかしくなっていました。
でもまさかそれが、ヘル様のお力の影響だったなんて。
やはり私がもっと積極的に行動していれば。頻繁に彼らに会って止めていれば、事態がここまでになることはなかったのですね。
彼はフォローしてくれたのでしょうが、私はやはり後悔してしまいます。
『あまり気にするな。どうせ戻れる可能性があったとしても、ここで死んでもらうんだからな』
「えっ!?」
彼は先程先生を元に戻すと言っていました。
なのに、他の同僚達は切り捨てると言っています。
何故先生だけを助けようとしているのでしょう?
『あいつには利用価値があるからな。いや、もっと根本的な理由は、あいつが貴女方の助けになったから、情けをかけてやろうと思ったからだな』
「………」
見ず知らずの人をこういうのはなんですけど、随分と打算的な人ですね。
というかなんでこの人は、先生が私達の助けになっていたからという理由で情けをかけるのでしょう?
『その理由は簡単だ。俺は貴女方を仲間にしたい。ただそれだけのことだ』
「私達をですか?」
『ああ、そうだ。魂の管理神ヘルの巫女である貴女と、その管理神達の使いである神獣の魂を宿すニクス達。貴女方を俺の仲間にしたい。俺達と管理神達の為にも』
「あなた達とヘル様達の為にも?いえ、それよりも、夫達が神獣の魂を宿しているというのはどういうことです?あら?」
私がこの疑問を口にした途端、夫であるニクスや、一部の子供達の夫と嫁が、明らかに挙動不審になった。
これは何かあるということかしら?
『ああ、そういえば貴女は魂を見ることが出来なかったな。ヘルも神託で知らせていないことだし、知らなくても無理はないか』
「それはいったいどういう…」
ドゴーン!!
私が彼の言葉の意味を問いただそうとする中、このフロア全体に大きな音が響き渡った。
「何事ですか!」
私が音のした方を見ると、そこには先程の先生と同じ姿をした悪魔達の姿があった。




