訪れる恐怖
大陸北東部、クゥール地方。そこにあるルーフ王国。その国でもアスター王国同様、ある時期から異変が起きていた。
最初の異変については、アスター王国とまったく同じだった。
始めに小さな虫達が姿を消し、小動物、大型動物、魔物。そして植物達が、順番にルーフ王国の領土内からその姿を消していった。
異変の内容が異なりだしたのは、ここからだ。
アスター王国では植物達の消失の後、環境に異変が起き出していた。
しかしルーフ王国では、大地や気候が砂漠のようになることはなかったし、大気の異常や地面からガスが吹き出してくることもなかった。
だが、別の異変はたしかに起き出していた。
最初にその異変をルーフ王国の人々が認識したのは、ルーフ王国の辺境にある村でのことだった。
その辺境の村で、ある変死体が発見されたのだ。
その変死体の死因は、心臓を体外に強制排出されたことによるものだった。
しかしそれは他殺なんかではなく、自殺であった。
なんと変死体になった村人自身が、自らの手で自身の心臓を体外にえぐり出していたのだ。
最初それを見た村人達や、国の兵士達は偽装工作の類いを疑ったが、他殺の痕跡はどこからも見つけることは出来なかった。また、その変死体の死に顔は、とても奇妙なものだった。
何かこの世ならざるものを見てしまったのかのように目はかなり見開いており、その顔には強い恐怖の色が色濃く残っていた。その半面、口元はなぜか何かから解放されたかのように、満面の笑みをたたえていた。
そのあいはんする表情は、それを見た人々にとても不気味な印象を与えた。
そして変死体が発見されてから数時間の調査の結果、その変死体は自殺であるということでケリがついた。
…なぜ自殺したのかという理由は、この時点では誰もが皆目見当もついていなかったが…。
それから後も、毎日のように変死体が発見されることとなった。
最初は一つの集落で一人の犠牲者だったのが、日を追う毎にその人数を増やしていった。
小さな村などでは、二日目の時点で村人の半数が変死体となっていたこともあった。
また、その変死体の遺体の状態も、変死体が増える毎にバリエーションを増やしていった。
心臓を握り潰した者。舌を噛み切った者。首を掻き切った者。髪で首を括った者。頭をかち割った者。喉をえぐった者。腹を引き裂いた者。手足を引きちぢった者。
変死体のいずれもが、死亡者自身の手で自らの肉体をあちこち損壊させていた。
そして、損壊させていた部位はどれもこれもバラバラであったにも関わらず、その死に顔だけは全て一致していた。
そう、恐怖と満面の笑みである。
日々増えていく変死体に、ルーフ王国の人々の間で恐怖が蔓延していった。しかし、その理由についてはある日まで判明することはなかった。
そしてそれが判明した日こそが、ルーフ王国の落日となった。
その日の始まりは、いつもと変わらない夜明けから始まった。
村人達は朝早くから畑に向かい、町人達もそれぞれの仕事に向かっていく。
そしてそこで、今までのように普段はいる人物達の欠落を知る。
ここ最近のパターンであれば、この後山狩りなどで行方不明の村人や町人を探すことになる。しかし、その日はそうなる前に新たな事態が起こった。
連日変死体を埋葬した墓地から、『恐怖』が溢れ出したのだ。
最初に墓地から溢れ出したのは、連日埋葬されていた変死体達。それらがアンデットとなり、土の中から地上に這い出して来た。
これには見た人々が一様に恐怖を覚えていた。だが、一番恐怖を覚えていたのは、その変死体達の遺族達ではなく、変死体達を浄めて弔った聖職者や神官達だった。
それも当然のことだろう。たしかにアンデットにならないように処理をしたはずなのに、変死体達が現世にさ迷い出て来たのだから。
だが、すぐにそんなことで恐怖している暇は無くなった。
なんと今度は、ここ数日の間に埋葬した変死体ではない死体達までもが黄泉帰りだしたのだ。
日々埋葬されてきた人々。それらの死体が、一斉に地の底から地上に溢れ出したのだ。
もちろん、村や町だけじゃない。かつてあった村や町の跡。森や平原、あちこちにある山道や街道。昔の古戦場跡など、人々の死体がある場所、あった場所。
それらから一斉にアンデットが溢れ出し、半刻もすればルーフ王国内は、際限の無い無数のアンデットの徘徊する大地に成り果てていた。
人々は大きな街や都市。魔物避けの結界が張られている場所にそれぞれ逃げようとしたが、その頃には各拠点は分断されていて、各々が孤立した状態となっていた。
また、魔物避けが張られている場所でも普通にアンデット達は徘徊していて、たとえ魔物避けがある場所に逃げ込んだとしても、あまり意味がないのが現実だった。
こうしてルーフ王国の人々は、アンデットに怯え、逃げ惑う一日を過ごすこととなった。
疲れを知らず、休むことも知らないアンデット達との攻防は、ルーフ王国の人々の気力をがりがりと削り取っていった。
不眠不休で襲いかかって来るアンデット達に、ルーフ王国の人々も不眠不休で対応せざるをえなかったからだ。
もしも対応しきれなければ、即アンデット達の仲間入り。
アンデットになりたくない人々は、無理矢理にでも頑張るしか残された道はなかった。
それからルーフ王国の人々がそれぞれが頑張ったことによって、アンデット達とある程度の拮抗を保つことに成功していった。
だがそれは、つかの間の平穏でしかなかった。
あるいは、拮抗したこと事態が作為的なものだったのかもしれない。
なぜなら、さらなる恐怖がルーフ王国の人々を襲ったからだ。
各拠点ごとに、それぞれ少しずつ違う異変が起きていった。
街中に突如アンデットが発生したり、街人の一部が突然発狂したりもした。かつて村や町を襲っていた山賊が姿を現し、数十年前に討ち取られたはずの魔物達もその姿を現した。
一つ一つの出来事がルーフ王国の人々の恐怖心を煽り、やがてその恐怖心が暗いオーラとなって、ルーフ王国全域を覆っていった。
そして、その暗いオーラはやがていくつもの形を形成し始めた。
爛れた腐肉のスライム状の何か。
目玉が撓わに稔った大樹。
複数の虫や魔物達がまぜこぜになったキメラ。
無数の死体や骨が組み合わさったアンデット。
無数の拷問具で形成されたリビングアーマー。
状態異常を周囲に振り撒く影。
具現化した恐怖達はルーフ王国内を闊歩し、さらなる恐怖をルーフ王国の人々に与えていった。
そして恐怖のキャパシティーを超えていった者達から次々と発狂。
SAN値(正気度)直葬された者達は、次々と恐怖から逃れる為に自殺していった。
その死に様は、連日発生している変死体達とその多くが一致していた。
やがてルーフ王国の人々が全て発生し、ルーフ王国の歴史に幕が下ろされた。
「………」
それを見届けたのは、無貌の仮面をつけた人物。《ヒュドラ》のナイアルラトホテップだった。
「………」
ナイアルラトホテップはルーフ王国を滅ぼした後、宝玉の捜索を行った。
しかし、ルーフ王国跡地では宝玉は発見出来なかった。
「………」
それを理解したナイアルラトホテップは、アンデットや自分の分身達を引き連れ、他国への進撃を開始した。




