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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第2部 禁書庫の六使徒
96/112

第96話 希望は劇毒

 アレシュは形よい眉を寄せ、彼に問うた。


「……ずっと疑問だったんだ。君は、どうしてそんなに僕らに突っかかってくるんだい。僕らは君に何かしたか?」


「殺したでしょ、三度! それで充分……ってのはまあ、個人的な問題だから置いときましょ」


 ヤルミルはふざけた調子で言ってから言葉を切り、不意にがらりと雰囲気を変えた。


「だってあんたら、悪人だから」


「悪人?」


 何を今さら、とアレシュが瞬く。

 ヤルミルはひるまず、顔からゆるりと笑みを消して告げた。


「そう。そもそもあなた、今までに何人殺しました?」


 不意打ちの問いだった。日常的に死が増産される百塔街の住人に、殺した数を聞くなんて不躾だ。

 それでもあまりに不意打ちだったせいか、アレシュの目の前にはサーシャの赤い髪の色がちらつく。


「……僕の指は、ナイフを握るためにはできていなくてね。この手で殺したのは、ひとりきりさ」


 素っ気なく言うと、ヤルミルは驚いたように肩をすくめて見せた。


「この手で! 洒落た言い方をなさいますねえ。だけどよくないよ、真実を洒落たもんにしちゃうのはさ。あたしは散々死んだけど、ひとを手にかけたことはありませんよお。一方あんたらは人殺しの悪人なのに、一方ではこの街を救うとかなんとか言ってんでしょ。そこが駄目だ。

 あたしはね、殺されるのは別にいいんです。馴れてるんでね。ただ、馴れないことってのもあるんですなあ。それはほら。絶望、ってやつですよ」


 ヤルミルは言いながら、ゆっくりと首を振って歩み寄ってきた。

 重い足音を立てて、彼の顔が近づいてくる。


「――アレシュ。もう一度殺しましょうか」


 耳元でルドヴィークが囁く。アレシュはわずかに迷ったが、小声で返した。


「少し待ってくれ」


 アレシュの言葉に、ルドヴィークは特に異論を挟まなかった。

 ここでヤルミルを殺したら、背後に控える百塔街の住人たちがいきり立つ。

 彼らを全員殺すなり、負傷させるなりして先へ行くことは可能だ。可能だが、最善ではない。百塔街にも百塔街なりの倫理はある。ヤルミルに扇動されただけの人間を何十人も殺しては、百塔街に数倍の数の敵を作るだけだ。


 大体、今この瞬間も、グリフィスは自分たちを見ている。

 彼はおそらく、アレシュたちが対話と取引に値する相手かどうかを見極めようとしているのだ。


(何か、もっと他にやりようはある)


 考え続けるアレシュから数歩離れたところで、ヤルミルは低く囁く。


「人間ってのはね、どん底の絶望がずーっと続けば、結構慣れちまうものなんです。だがそこに一滴の希望が混じると、ひとは生き返ったみたいになる……

 助けてもらえるのか? 本当に? ひとらしく生きられるのか? そうやって芽生えた一瞬の生の欲望、人々の希望、一筋の光、それを与えられた上で、いきなりむしり取られたとき! 再生された絶望は新鮮な苦しみになってひとを襲う! 心臓が食いちぎられる。血反吐を吐くどころじゃない。自分で胸に爪を立てて肋骨ごとばりばり引きはがしたくなる、あの気持ち!」


 マスクの中で熱弁を振るうヤルミルの目は、徐々に奇妙な光でぬめっていった。沼のきめ細やかな泥のぬめり。

 死んだような瞳だ、と思ってすぐにアレシュは自分の考えを撤回する。

 これは本当に、死を見飽きた目なのだ。

 死。

 死んでいた父親。

 よくわからない混合物と化したサーシャ。

 手に終えなくなったサーシャを処分した後の、カルラとミランの姿。


 ヤルミルの目が、アレシュにとって一番強烈だった死の思い出を引きずり出す。

 サーシャを処分したとき、カルラは冷淡な瞳で元サーシャだったものに相対していて、でも、こちらを見るとものすごく優しい切ない顔で抱きしめてくれた。

 ミランはもう少し切羽詰まった、怖いような目でこちらを見ていた。


 自分にとって一番恐ろしかった死は、あの死。


 大好きだったサーシャに、喜んで欲しくて、生きる気力を与えてあげたくて、助けてあげる、といって伸べた自分の手。

 その手はサーシャの手に届いたけれど、そのせいでサーシャは死んだ。

 届いた、助けられた、そう思った後の凄まじいまでの絶望は、アレシュの世界全体を高熱の風で焼いて、まっさらにしてしまった。

 ヤルミルの言う絶望を、自分は知っている。

 アレシュは息苦しさにたえかねながら言う。


「それはもう、何度も死ぬような苦しみだろうね」


「そう――そのとおりですとも。知ってますよ。苦しいんです。それでね、苦しみが強すぎるとね、周りも離れてくんです。最初は苦しんでる奴に同情してるんだけど、同情しきれなくなってねえ。まるでそいつ自身が災厄みたいな顔して離れてく。あたしはそうやってひとりになった。

 あんたたちのやってることは、言ってみりゃあたしみたいのの増産ですよ」


 そこまで一息で言ってから、ヤルミルは意味もなくけらけらと笑って、急に表情を改めた。

 彼はどことなく、聖職者じみた慈悲深さで言う。


「だからね、気楽に希望なんか与えるもんじゃねえんです。あんた、どうせこの街の人間全員に対して責任なんかとれないんでしょう? だったらよしなさいよ、こんな真似。まだ遅過ぎやしませんから、『六使徒』がほんとにこの街の希望になる前に、ただの悪人に戻って、ちまちま稼ぎなさいよ。そしたらあたしも、あんたらをゆるしたげます」

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