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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第2部 禁書庫の六使徒
91/112

第91話 六使徒対魔界の獣たち

 すばやく前へ出たカルラが、懐から取り出した薔薇形の小箱を開ける。そこからこぼれ出た白銀色の粉が、ひとりでにするすると床へ大きな円を描いた。円はアレシュたちを取り囲んでいる。


「やっぱりこうなったわね。みんな、絶対にこの円から出ちゃ駄目よ!」


「すまない、巻きこんだ!」


 アレシュは叫び、上着の裏の香水瓶に手をかけながら獣たちをねめつけるた。

 カルラが作ったこの円は呪術の基礎の基礎、魔法円という。

 魔界のものや呪いから、自分たちの身を守るための結界だ。

 魔界でどれほど有効かはわからないが、カルラの結界が効かなければ他のどんな人間の作った結界だって効かないだろう。


 ミランは鋭すぎる灰色の瞳をぎらつかせ、懐からぞろりと大量の札を取り出した。


「巻きこまれたも何も、ハナさんを取り戻すのは我々の総意だ! 見ろ、俺も今まで遊んでいたわけではないぞ。これぞ、俺から魔界への贈答品ミラン特製の札の効果だ! まずは……」


 叫ぶミランの足を、影のように走ったルドヴィークが思いきり払いのける。


「うおっ! 貴様、何をする!」


 ミランは見事に転倒、しかしそのまま一回転して起き上がった。

 その真横を何かが高速でかすめ、日に焼けたミランの頬が一文字に裂けて血が飛び散る。ミランは驚愕に目を見開きながらも、とっさに身を低くする。

 視界の端をかすめる、銀色の何か。

 その何かに向けて、ルドヴィークは唇に薄ら笑いを貼りつかせたまま鋭く踏みこむ。

 神速で切り上げる仕込み杖。

 かろん、と世にも美しい音がして、巨大な刃物がはじかれ、宙に舞う。

 ルドヴィークの眼鏡の奥で、死んだ魚の瞳が光った。


「ほう、斬ったかと思いましたが。見た目とは、材質がだいぶ違うようだ」


「材質が……って、おい、今のは一体……!」


 ミランが皆まで言う前に、カルラが引いた魔法円ぎりぎりの位置に双頭の獅子が着地した。獅子は長いサソリの尾を持っており、尾の先にはさっきルドヴィークにはじかれた巨大な針がついている。


 やっと状況を把握したミランは、ぽかんと口を開けて呆然とつぶやいた。


「なんだ? あれか? 壁から出てきて、俺たちの上を飛び越える途中で、尾だけを自在に動かして攻撃を仕掛けてきたというのか?」


「ここではすべての法則が人間界とは異なり、しかも彼らは様々な獣を食っていいところを取りこんでいる、と。なかなかの強敵と言わざるを得ませんな。これが一体何匹ですか」


 ルドヴィークはどこか楽しげに周囲を見やり、さらにクレメンテが真剣な顔で黄金の籠手を輝かせて叫んだ。


「魔界の獣とはいえ、そのようなやみくもな食事はいけません! 暴飲暴食は病気のもと!」


 真摯な叫びと共に、クレメンテは金の髪をひらめかせて獅子へと組みつく。

 凶悪な牙の生えそろった口を力強くとらえ、クレメンテは華奢に見える容貌からは信じられないような力で獅子を抑えこもうとした。

 とはいえ彼も以前ほど万能ではなく、すぐにはとどめがさせない。獅子は床にねじ伏せられながらも、水が泡立つような音を立ててうなり続ける。


 アレシュは懐から小さな香水瓶を取り出すと、素早く獅子の口の中へ投擲した。

 獅子は素早く口を閉じ、歯の間で硬質硝子が砕ける。

 同時に、辺りにはすっとする緑色の香りが漂う。


「樹海の糸――父が作った、定番の鎮静の香り。この量があれば、人間界ならどんなに大きい獣だって昏倒するはずだけれど」


 アレシュは言い、しばし双頭の獅子を注視する。獅子は不快げにぶるりと首を振ったが、そのままふたたび激しく身もだえし始める。


「――効かない?」


 ぞっと冷たいものが背筋を這う。

 ミランは周囲の人間離れした戦闘をにらみながら立ち上がろうとしたが、床にまいた自分の札が残らず消えているのに気づいて声を上げた。


「おい、カルラ! どういうことだ、俺の素晴らしい札が軒並み消えているぞ!」


「あー……身体から離れた時点で、周波数が元の世界に戻っちゃったんだわ。ここでは、武器を投げて使うミランとアレシュは駄目ね。あんたらはおとなしくしてらっしゃい!」


 カルラは珍しく声を荒げて叫び、いったん目の前で指を組み合わせてから、すっと横に開いた。

 左右の手にした指輪の間に透明な糸が張られたのを、アレシュはぎりぎりで視認する。

 巨大な蛇の舌を斬り飛ばしたルドヴィークが、カルラの傍らに添ってうっすらと笑った。


「カルラ殿の戦いが見られるとは、さすが魔界の化け物相手の立ち回り。この絶望に浮き立つ気持ちは、何やら若造のころを思い出しますな。――少々面白くなってきました」


「男の子って、いつまでたっても男の子よねえ。私はそもそも、あんまり荒事は好きじゃないんだけどな! おいで、子猫ちゃんたち! あとでたっぷりご褒美あげる!」


 カルラが声を張り上げると、空中に黒い筋がふたつ生まれる。

 それらはみるみるうちにぺったりとした黒いしみみたいなものになり、やがて凶悪な角を持つ黒豹となって、辺りの化け物とがっちり組み合った。


 その隙に、今度は天井画からずるずると巨大な羽虫が這いだす。羽虫はカルラめがけて真っ逆さまに落ちてきた。

 カルラはそちらを見ることもなしに優美に腕を一閃させる。

 きらり、透明な糸のきらめきだけを残して、羽虫は真っ二つになった。死んだ羽虫の羽根はまさに硝子のように砕け散り、美しい音を立ててしゃらしゃらと床になだれ落ちる。


 悪夢じみた戦いを眼前にアレシュが床に膝を突いていると、ミランが叫んだ。


「アレシュ、お前は走れ! ここは、我々がどうにかする」


 あまりに芝居じみた台詞に、アレシュは思わず顔をゆがめる。


「ミラン、格好をつけるな、気持ち悪い。ここまで新聞屋は追ってきてくれないぞ。大体お前、ろくなことはやってないだろ」


「阿呆、お前はもっと何もやっておらんだろう! 考えろ、俺たちはなんのためにここに来たのだ? ハナさんのためだ。そして、お前のためだ! ハナさんを助けるのは貴様だ。そうでなくてはならん!

 彼女はずっとお前のことが好きだった。本当に好きで、見ていていじらしくてたまらなかったぞ! 気づいていなかったのはお前だけだ!」


 予想外の話で叱り飛ばされたので、アレシュは何度か瞬く。カルラに切り飛ばされた化け物の欠片を帽子でどうにか避けながら、一応ミランに確認した。


「……ミラン、お前は、ハナが好きなんだよな?」


「だから! お前のことを好きなハナさんが! 好き、なのだ!」


 力一杯叫んだミランを、アレシュは思わず見つめ返した。

 日に焼けた彼の顔は、どことなく赤くなっている。


「前から思ってたけど……お前って変じゃないか?」


「俺が変人なら、お前はよっぽどの鈍感で変態……うわっ!」


 最後まで言い終える前に、巨大な猛禽の爪がミランをつかみ取る。

 アレシュはとっさにミランの手を取った。

 しかし、猛禽の爪を持つ犀のごとき獣は、鼻先の鋭い角を威嚇するように振りながら圧倒的な力でミランを引き寄せようとする。


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