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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第2部 禁書庫の六使徒
87/112

第87話 六使徒、魔界へ

「さて、それで、魔界行きなんだけど――みんな、その格好のまんまで行きたいわよね?」


「……あえて訊くけれど、君の言う『格好』は、服装のことではないだろうね?」


 アレシュの問いに、カルラは邪気なく微笑んで言う。


「うん。魔界と人間界じゃ世界の法則が違うから。手早く行き来できる方法を取ると、私の使い魔ちゃんみたいにだいぶ格好が変わっちゃう可能性が……」


「手早くなくていいから、確実な方法で頼む」


 最後まで聞かずにアレシュは言い、少々青ざめてタイを直した。

 寝台でどろどろと蕩けていた身体を綺麗に拭いてとびきりの外出着に着替え、やってきたのは百塔街の中央広場である。

 教会や旧市庁舎に囲まれた四角い広場の真ん中に立つカルラは、魔界の紳士録片手に小首を傾げた。


「あ、やっぱりそうなる?」


「そうなるよ、当然だろう。ふ――太った、自分の姿を考えるだけでも呼吸困難になりかけるのに、体の一部が蜘蛛か鮹にでもなったら、僕はその場で気が狂う。美意識のある男と対決するっていうのにあんまりだ」


 アレシュが静かに熱弁を振るう様子を、カルラは面白そうに眺めて言う。


「あなたとグリフィスの間には不思議な共感がありそうね? 香水の趣味もあうみたいだし。ちなみに、紳士録に載っていたグリフィスの正体なんだけど……」


「何、わかったのか!? ひょっとしたら弱点も?」


 勢いこんだのはミランだ。カルラは彼に向き直ると、手にしていた古い本の一ページを指で押さえた。


「うん。多分、これよ」


「これ……『教授』? なんだ、通称しか書いてはいないではないか! 本名もなし、図版が入っているわけでもなし、一読するに真偽不明の与太話ばかり――これがなんの役に立つ?」


 ミランが落胆するのも無理はない。カルラの開いたページは無駄な装飾語やら雑談じみた記述に満ちていて、紳士録という言葉から想像されるものとはだいぶおもむきが異なっていた。

 カルラはミランの鼻先で素早く本を閉じると、困り顔になって続ける。


「何言ってんの。魔界の住人の名前は書き記す方法がないし、容貌なんて絵にした時点で画家が発狂するのがほとんどよ? 記述を読んだだけでいかれちゃうこともあるから、わざわざ無駄話で内容を薄めてあるの。ミランとかはあんまり熟読しない方がいいわ」


「っ、だったらそんな危ないものをわざわざ俺の目の前で開くな!」


「まだ生きてるから問題なし!『教授』は、通称『図書宮殿』に住んでいるからついた呼び名みたい。

 紳士録によれば、『首から上は魔界の紳士にしては珍しく、彫像のごとき美しさの人間男性形。ありとあらゆる知識に長じ、貴族的な芸術趣味を持つ。首から下についてははっきりと確認されたことはないが、大変丈夫である。全体的に物理攻撃はほぼ無効と考えられる』ですって」


「それが本当ならば、無敵ということではないか」


 ミランが呆れた声を出すと、カルラは深くうなずいて本を閉じた。


「はい、当たり。最低限の準備はしてきたにせよ、殺すっていうより交渉する気で訪問したほうがいいわねー。相手はあれで理性的だし、言葉も通じるもの。これってほんとにありがたいことよ。

 で、平和に魔界へ行くのに使われてきた施設はこの街にはいくつかあるけれど、昔から有名なのが、これ」


 そう言ってカルラが見上げたのは赤い空にそびえる石の塔であった。

 ハナを抜かした五人の使徒たちは、残らず彼女に従ってその塔を見上げる。


「なんというか――色々な意味で有名すぎるようにも思いますな。この街の象徴のひとつではないですか」


 みんなの感想を代表して、帽子のつばに手をあてたルドヴィークが言う。

 彼の視線の先にあるのは、上下にふたつの文字盤を持つ時計塔であった。上方の文字盤上には月や星々の運行が、下方の文字盤上には主には農業に関わる様々なひとの営みが、それぞれ円の中に描かれ、複雑に噛み合っている。

 古びてはいるが未だにしっかり時を刻むそれを見上げ、アレシュはつぶやく。


「この街がまだ王を頂いていたころ、大魔法使いが作った時計。当時は星の力を操り、様々な魔法の助けになったという話だけれど……まだ実用に耐えるんだね?」


「そうよ。上の文字盤が宇宙の星の動きを擬似的に再現する仕掛け。普通に待ってたら何百年、何千年に一度の力ある星の配置を模型で再現することで、その力を地上に引っ張ってこようって仕掛けね。で、下がそれを人間世界の時間とうまくすりあわせるための仕掛け。

 星の力はどんな魔法にだって使える強大な力だけれど、肝心の星の配置が秘密になってて、私たちの業界では裏で奪い合いになってるわけで――ミラン、眠い?」


 カルラが途中で訊くと、ミランが大まじめな顔で返した。


「むしろわからなさすぎて目が醒めた」


「下僕はいつも気持ちがいいくらいにただの下僕で気持ちがいいよな……」


 アレシュが心の底から言い、ミランが勢いよく振り返ったそのとき。

 あらぬ方向から、よく通る澄んだ声がかかった。


「お待ちなさい、あなたたち! よからぬ魔法の気配を感じます……そこで一体、何をしているのです。悪巧みなら、このわたしが許しません!」


 どうしようもなく聞き慣れた声に、使徒たちの間には微妙な空気が流れる。

 無視するか、かまうか。

 探るようにちらちら互いに視線を交わしている間に、広場の向こうから白いひとの姿が近づいてきた。

 彼は早足で歩きながらも、恐ろしい肺活量で熱心に言い募る。


「親切な方に教えていただき、布教の足を伸ばして正解でした! アレシュ、これ以上罪を重ねてはいけません。世界の法則はそのようなからくりでゆがめるべきではないのです。

 あるがままなり、ぶちこわすときは神の意志で! それがエーアール派の教義です。実に暴力的! じつによくわからない! しかしそんなことを考えてはいけない、そっちに思考を傾けてはいけない、とにかく何はなくとも悔い改めるのです!」


「貴様も実に相変わらずだな……。しかし、俺たちの居場所を教えてくれた親切な奴とかいうのは、一体誰だ?」


 ミランの怪訝そうな声に、アレシュは自分の頬をひっかいた。


「どうせあの変な記者だろ。ヤルミルだっけ? 僕の煙草の一件で直接顔を出すのはやめて、他の奴らを寄越すことにしたんじゃないかな。へんてこな記事は出続けてるし、しつこい男だ」


「えっ、それは――」


 カルラが妙な声を出したので、アレシュはふと気になって彼女を見やった。

 すると、カルラはそのまま決まり悪そうに視線をさまよわせる。

 一体どうしたんだ、と訊こうとしたところへ、ルドヴィークが声をかける。


「……それで、クレメンテ殿ですが。処分しますか?」


 確かに、今のクレメンテならルドヴィークにも斬れるだろう。とはいえ、真の敵に相対する前に多少なりとも消耗するのは賢いとは思えない。

 アレシュは少しばかり考えた後、クレメンテを指で招いた。


「もっと簡単な手を取ろう。――クレメンテ!」


「はい!」


 素直な返事に、アレシュはにっこり笑って告げた。


「頼む。僕らを助けてくれないか」



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