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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第2部 禁書庫の六使徒
82/112

第82話 ひとを食べるのはなんのため?

 ミランは一転して真顔になってしばらく部屋を歩き回った末、部屋の隅にしゃがみこんで、こっそり囁いた。


「おい、サーシャ」


 ことん、とかすかな物音が彼に応える。

 ただし、ミランが見ていたのとは逆の隅から。

 ミランはすぐさま音がしたほうへ向き直り、生者にするように真剣に小声で話しかけた。


「……貴様、あれをどうしたらいいと思う? 俺の思いつく慰めはとっくにつきた。お前の番だろう、こういうときは」


 ミランが言うと、部屋の隅に赤い髪を持った幽霊の姿がうっすらと浮かび上がる。サーシャは不健康に痩せた首を緩やかに傾げ、床に落ちた漆喰の粉を指でこすって文字を書いた。


『でも、俺は死んでるから』


「死んでいるのは知っている。だが貴様が一番あれに愛されているのには代わりあるまい。愛は偉大だ、死んだふりをする阿呆を寝台から引っ張り出せるくらいには」


 ミランが真顔で言うと、サーシャは少し考えこんだ後、また文字を書く。

 今度は長文だった。


『彼が俺を愛しているのは、俺が死んだからだ。俺が彼のそばに居るのも、俺が死んだからだ。両方生きていたら、いずれ離れるか憎みあった。アレシュは置いて行かれると、置いていった相手を愛する。相手がずっと側にいると気づかない。俺もそうだし、両親もそうだし、ハナもそう』


「ふむ。つまり奴は基本的に照れ屋でガキで要領が悪いということだな。そんなことは知っている! 問題はそこから先だ。このままではあれはただのゴミだし、だからといって俺はあれを見捨てられない。ならばせめて、どうにかして使えるように固め直さねばならん。貴様が駄目なら、やはり、こういうときは……」


 大まじめにミランが考えこんだとき、いきなり壊れた窓から乳白色のレースの塊が飛びこんできた。


「アレシュ! 聞いて、あの魔界の紳士の正体、わかったわよ!」


 まさか壁を上ってきたわけはないだろうから、術を使ってやってきたのだろう。

 カルラはクリーム色のレースとシフォンたっぷりの身体にぴったりしたドレス姿で、夢中になってアレシュの寝台に歩み寄る。


「よしっ!! いいところに来てくれた、カルラさん! この甲斐性なしを襲ってしまえ!」


 ぐっと拳を握るミランを横目に、カルラは黒い巻き毛を揺らして寝台をのぞきこんだ。


「襲うだなんてひと聞き悪いわあ。ねーアレシュ、聞いて。無視とかしたら噛みつくわよー。私じゃなくて、育成中の使い魔ちゃん、もしくは新型人形が噛みつくわよ?」


 物騒なことを可愛く言いながら、カルラはアレシュの寝台の上によじ登った。


「……なに」


 寝台の軋みが気になったのか、脅しが利いたのか、さしものアレシュも視線だけはカルラの顔の上へやる。

 弱った彼の顔はいつもより少年めいてみえ、カルラはぽっと顔を赤くした。


「あ、まずい。ちょっとときめいた。どうしよ。えーっとね、えっとね、今日はその……うん。一応、ほら、ハナちゃんを攫っていった紳士のことで、来たはずなんだけど……」


「……あれは攫ったんじゃないよ。ハナが、自分の足で歩いて行ったんだ。婚約者のところに」


 アレシュが言う。

 その即答具合がまた、彼の悲しみの深さを表しているようでもある。

 カルラはそんな彼の頬に、胸の間から取り出した革の白手袋をぴたぴた当てた。


「でも、それって早合点なのかもしれないわよ? あの後この手袋を持って帰って調べたんだけど。これ、山羊革なんかじゃなかったの。人間の革だったの」


「人間?」


 カルラの言葉に、アレシュの赤い瞳がかすかに光を帯びる。

 サーシャはぼうっとしたままだったが、ミランは盛大に顔を引きつらせた。


「人間革で手袋だと? なんという悪趣味だ! 奴はそんなものを使い捨てていたのか」


「そういうことよー。人間の革なんてひとりからそこまで大量に取れるわけじゃないし、扱いだって面倒くさい。魔界でだってそんなに流通はしてないわ。使い捨てするほど人間の革があるってことは、多分、あいつ自身がいっぱい人間の皮を剥いでるってことなのよねえ」


 カルラはちょっと嫌そうに言い、目を細めて自分のつまんでいる白手袋を見やった。アレシュものろりと手袋を見やり、ぼそぼそと言う。


「僕が香水で呼び出すような魔界の紳士は、大抵ひとを食べるけれど……グリフィスは本当の紳士だった。僕の香水をやけにかってくれたし、ひとの形をしていたし。綺麗、だったし」


 アレシュの思考が動き出したのを感じ取ったのか、カルラは彼の上に座りこんだまま人さし指を振り回す。


「魔界の紳士の人肉食傾向については、確かに昔は『遊びなんじゃないか』『奴らが野蛮なせいだ』なんて言われてたわ。でも、私の見解を言わせてもらうなら、魔界の紳士は単なる雑食よ。人間以外もなんだって食べる。で、食べたものの力を取りこむ呪術を行ってるみたいなのよねえ」


「力を、取りこむ。――獣の心臓を食べたら心臓が強くなるとか、そういう類かい?」


 アレシュの瞳から徐々に濁りがとれていき、声も少しだけなめらかになってきた。彼は枕元の手袋を見ながら考える。

 人間の世界でも、食べものと同化して己を強くする、そういうった信仰が生きる地域はある。彼らは大抵自分たちより強い獣を狩るか、同じ人間を生け贄として食うのだ。

 カルラは軽くうなずいて続けた。


「そうそう、それよ。魔界の住人は長命すぎて生態がわかりづらいんだけど、私の研究によると、幼少時の彼らの容貌は私たちと大差ない。食べたものの力を取りこんでいく過程で、食べたものと容貌が混じりあっていくの。角のある獣を食べれば角が生えて、魚を食べれば鰓ができて。魔界の住人の中でも強い奴、歳取った奴は、それだけ強い奴をいっぱい食べて奇っ怪な容貌になってる」


「ならば、ほとんど人間型だったというグリフィスはやたらと若いか、あまり強力なものを食べていない弱者ということになるな。にしてはばかでかい使い魔を使役していたようだが」


 ミランが大まじめに首をひねるので、アレシュは思わず苦笑してしまった。


「……違うよ、ミラン。彼には確かに力があった。凄まじい力が」


 ぽつり、と口に出して、アレシュはついに起き上がった。

 よし、とばかりに無言で喜んでいるミランには気づかず、カルラを押しのけて寝台の上にあぐらをかく。膝の上に頬杖をつき、彼は自分の直感を思考で補強し直しながら言葉をつむいだ。


「最初から違和感はあったんだ。なんとなくグリフィスの容貌は不自然だった。言うなれば……そう、引っかかりがないんだ。歪みがない。つるっとしている。誰もが美しいとは思うだろうけれど、それは芸術的な美しさではない、仮面の美しさ。それってつまり――」


 いったん言葉を切って考えを確かめ、アレシュは囁く。


「『平均値』だ。

 なんの特徴もない、均衡の取れた顔。山ほどの人間の顔立ちを足して割った平均。多分グリフィスはわざわざ特徴の薄い人間や、人間と遠くない容貌の魔界の住人ばっかりを選んで食べているんだ。ある種の美意識に従って――あの顔を作るために」


 言葉を進めるうちに、アレシュの脳裏にはまざまざとあの男の容姿が蘇ってきた。

 仮面のような顔。

 きっぱりとした縫い目の、手に吸いつく形の手袋。

 人間には作り得なかった、さりげないが華やかな香り。

 彼にははっきりとした美学がある。


 そしてそれは、人間にとってはあまりにまがまがしいものであった。


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