第75話 オルゴールのお嬢さん
「これ?」
ルドヴィークの言いようが不思議で、アレシュは一刻も早く地下に潜りたい気持ちをどうにか抑えて彼に向き直る。
するとルドヴィークは、珍しくひとにあまり恐怖感を与えない類の笑みで、静かに外套を開いた。
「このお嬢さんも、穴の中で見つけたものなのですが、わたしに譲っていただけないかと思いましてな。そう。なかなか美しいでしょう?」
「ああ……これはまた――純朴そうだけれど、魅力的なお嬢さんだね」
ルドヴィークの両手の中に置き時計のようなものをとらえて、アレシュの目はわずかに和んだ。
ルドヴィークは冷血な葬儀屋の首領ではあるが、人形に関しては妙に一途なところがある。以前は寝ても覚めても、鬼気迫るような清冽さの少女人形を抱えていたのだが、はてさて、今回のこれは一体なんの目的で作られたものなのだろう。
ルドヴィークが抱えた置き時計状のものには、文字盤がない。
ならばこれはただの素朴な彫刻なのだろうか?
とにかく大切なことは、台座の上に背景を背負った素朴な少女人形がたたずんでいるところと思われる。木彫りに彩色した人形はずいぶん素朴だが、丁寧な作りと色彩の選択と調和がなんとも心地よい品でもあった。
アレシュはルドヴィークに数歩近づき、不躾にならない程度の距離でそっと『彼女』を眺める。
「アマリエとはだいぶ育ちが違いそうだけれど、みずみずしさがあって綺麗だよ。最初は置き時計かと思ったけど、文字盤がないね?」
「おそらくは、精巧なからくりつきのオルゴールではないですかな。三つ目の穴で見つけたものを、ついつい手にとってしまいまして。お恥ずかしながら、アマリエを亡くしてからも少女人形には目がありません。美しさについてはあなたを見ていれば大方満たされますが、あなたはわたしの腕の中にいるべき存在ではありますまい」
「残念ながら、まだ人形になる気はないね。この子は君の無聊を慰めてはくれるだろうけれど、アマリエの代わりにはならないだろう。カルラ、君、何か曰くのある美しい人形とかには詳しくない、の……!?」
カルラに話しかけようと振り返った瞬間、アレシュは開く扉で額を打ちそうになった。
慌ててよろめくように後ろに下がってみると、目の前に古びた扉が出現している。もちろん、本来はそんなところに存在するはずのない扉だ。
その扉を出現させた張本人は、扉の影から顔だけ突き出して陰鬱な声を出す。
「ご主人様たちは、この家に、一体何を持ちこんだんですか?」
「ハナ! お前、今まで一体どこにいたんだ?」
アレシュが驚いて声をあげても、自分が出現させた扉にすがったハナは彼を見ようともしない。切羽詰まった表情で辺りを見渡し、ルドヴィークの手に持ったオルゴールを見ると、さっと顔色を変えた。
「駄目、それ、駄目です!」
細く叫んだかと思うと、ハナは恐れげもなくルドヴィークにすがりつくと、猛然とオルゴールを奪い取ろうとする。
ぎょっとしたのは他の面々だ。
「ハナさん! よりによってそいつはいかんぞ! からむならアレシュのばかにしておけ!」
ミランが皆の気持ちを代表して叫び、カルラが心配そうに爪を噛む。
「ハナさん? どうされました」
ルドヴィーク本人は特に表情も変えずに言い、しっかりオルゴールを抱えているだけだ。しかし、彼の空いた片手が仕込み杖にかかっているのを、アレシュは見逃さない。
(ルドヴィークのことだ、ハナを殺しはしないだろうけど、いざとなったら手首のひとつくらい斬りおとすな。何せ人形がらみだし)
魔界の住人は大概人間よりも丈夫にできている。
それでも、彼女の小さな手首が床に落ちるところは見たくなかった。
「ハナ、手を離せ! お客様に無礼を働くようなメイドはこの屋敷には要らない!」
アレシュがとっさに叫ぶと、ハナは大きく目を見開き、意外なほど派手に硬直した。
ルドヴィークの手は何度か杖を握り直した後、ゆっくり杖の握りに戻る。
「ルドヴィーク、すまない。メイドの不始末は主人の責任だよ。僕の教育がなってなかったんだ。というか、正確には教育というもの自体がなされていなかったというか」
真剣な顔で言い出したアレシュを、ルドヴィークはそっと手のひらで押しとどめた。そしてしばらく呼吸を整えた後、血の気のない顔にぎこちない笑みを浮かべる。
そして少々鈍い動きで、抱えていたオルゴールを、なんとハナのほうへと差し出してしまった。
「……ハナさん。そんなにも気に入ったのなら、これはあなたが持っていてくださっても構いません。わたしはこの彼女には情をかけてはおりますが、アレシュの言うとおり、彼女はわたしの運命のひとではない。ただ、受け取るからには、大切にすると約束してくださいね」
彼にしては抑揚がたらず、つっかえつっかえの台詞であったが、だからこそ辺りには驚愕が広がる。
カルラはルドヴィークの顔と人形を交互に凝視し、長い睫毛を震わせた。
「ルドヴィーク、いいの、それ? ほんとにあげちゃって大丈夫?」
「そうだよ、ルドヴィーク。ハナの今のは単なるわがままだ。罰を与えられこそすれ、君の大事なひとを捧げてもらう理由はない」




