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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第2部 禁書庫の六使徒
72/112

第72話 幽霊の過去視

「俺も神じゃないし、人形の操り方はわからないけど、今の、つぶれちゃったひとが誰だか『見て』きてあげようか?」


 サーシャの声が耳をくすぐったので、カルラは少し首を傾げる。


「いいけど……あの音からして、顔、残ってると思う?」


「俺は死人だよ。――死ぬ前は、ろくに魔法の才能とか、なかったけど。死んでからは、色んなものがぐしゃぐしゃに見えるようになった。多分、時間の区別がなくなっちゃってるんだ。今も未来も過去も、めちゃくちゃに見える」


 サーシャの言葉に、カルラはふと目を興味の色に輝かせ、軽く手を叩いた。


「あっ、そうか。それよ、それ。私があなたと一緒にここに来た理由。幽霊って、たまにそういうふうに色んなものが見えるようになるから、穴の調査に使えるかなって思って」


「そう?」


 サーシャはあまり興味なさそうだが、カルラは気にせず軽やかに説明をする。


「うん。話の通じる幽霊さんが多くないから、正確にはわからないけどね。幽霊ってのは、基本的に人間界と魔界の間のズレみたいなところにはまりこんじゃった人間だって言われてるの。あなたは特にアレシュの力が魔界と人間界を混ぜちゃったところに居合わせたわけだから、完全に死んでなくて、世界のズレに巻きこまれた、それでこうしてはっきり残ってるって思うとつじつまがあうの。

 つまり、あなたは『どこでもない場所』に居て、人間界と接触してるときだけ一部が実体化してる。詳しく説明するのは難しいんだけど、そういう状態だと時間の流れとも無縁になるはずなんだ」


「……よくわからないけど、こっちに接触してるときだけ実体化してる、っていうのはなんとなくわかる感じがするな。なんとなく、だけど。

 俺はアレシュに引っかかってる気がする。アレシュのことを考えると、ちょっとだけ視界がはっきりするしね」


 サーシャはつぶやき、ぼんやりとした影のまま、するすると十字路のところまで進んで行った。

 カルラは少しだけ苦く笑い、彼の後についていく。


「それだったらもっと、アレシュに執着してあげればいいのにね。あー……ああああ、やっぱりさっきの奴、ひっどいことになってるわねえ。って、あれ? この服って……」


 サーシャの横から血まみれの路地裏をのぞきこみ、カルラはとてつもなく嫌そうな顔になった。

 荒れた路地にたたずむ巨大な人形と、飛び散った血。そこまでは大体想像通りの光景だが、予想外だったのは、見覚えのある手入れの悪い外套と、歪んだ眼鏡と、一切磨かれたことのない靴の残骸が残っていたところだ。

 これ以上ないというほどみっともなくよれた衣装の数々は持ち主の姿をすぐに連想させて、カルラは思わず遠い目になる。


「これは、やっぱり、あいつの持ち物よね。そっか……。こいつ、アレシュの煙草でぐだぐだになってたはずだけど、まだ生きてたんだあ。それで、取材してただけか」


「俺が見るまでもなかったかな。このひと、あの、よれた眼鏡の新聞記者……」


「わかった! わかったわかった、全部言わなくても大丈夫。そっかそっか。じゃあ、これはまあ、不幸な事故てことで忘れよう。殺すほどでもなかったけど、めんどくさかったし。気を取り直して、穴のほうの調査、続けましょうよ。あなたのその能力も使ってね」


 明るく言いながら、カルラは自分が淡い罪悪感を覚えているのに驚いていた。


(私、ちょっと甘くなったのかなあ。前は、それなりに嫌な奴なら殺してもなんとも思わなかったはずだけど)


 正義の味方なんて言葉は今だってぞっとするけれど、アレシュの妙に紳士的なやり方がちょっとだけ心地いいのも確かなことなのだ。

 なんとも言い難い感情でむずむずする胸をなで下ろしたカルラは、葬儀屋たちにこっちこっち、と合図を送ってから穴のほうへと戻っていった。

 もはや彼女を邪魔する者はなく、ズビニェクは決まり悪そうにとっとと退散していき、見物人たちも散っていく。


 やっと静かになったところで、カルラは軽く深呼吸して気持ちを切り替えた。

 穴の縁に立ち、また例のペンダントの輪を目の前にかざす。


「――そう言えば、サーシャ。あなたこの間、アレシュに『夜に来る』って伝言してたわね。あれって穴がらみの話なの?」


 カルラの問いに、輪の中ではっきりとした姿をとったサーシャは首を傾げ、ふわりと歩き出した。

 彼は生者と同じように歩いて穴の底へと降りていきながら、静かに語る。


「わからない。アレシュにとってとても大切なものが、夜に来る、のは見えたけれど、いつの夜かは知らない。……この穴の周りも、見てみるけど。色んなものが見えすぎるから、何が有益な情報かはわからないよ」


「情報の選別は私がするわ。なんでも話して。さっき言ったみたいに、ここって魔界の扉とは位置がずれてるの。とすると私が最初に立ててた推論は外れ。それにさっきの魔界の『犬』さんとやらが、変なこと言ってたのも気になるのよね……ここにはあいつがいる、とかなんとか」


 ちょっと危なっかしい歩調で歩くカルラを、サーシャはちらと振り返って言う。


「魔界の犬の言う、『あいつ』って……他の魔界の住人のことかい?」


「そよ可能性は高い気がするわね。この穴、ひょっとしたら、魔界の紳士の人間界旅行の結果なのかなあ? そのへんも気にして、ちょっと見てみてくれるかしら」


 カルラの言葉に、サーシャは小さく、了解、とつぶやき、穴の底で両手を組み合わせて空を仰いだ。

 カルラは彼から数歩の距離を置き、注意深くその姿を見つめる。

 常人よりもはるかに長く生きているカルラにとっても、サーシャのように意思疎通がはっきりできる幽霊というのは珍しいのだ。大抵の幽霊はもっと自分の世界に閉じこもって、独り言を言い続けるような存在になってしまう。

 幽霊の能力がどれだけ捜査に使えるか、まずはお手並み拝見といったところだ。

 サーシャの虚ろな瞳の中には恐ろしい速度で様々な色と光景が渦巻き、通り過ぎていく。彼は今、あちこちの時間に波長を合わせてさまよい、実に凄まじい量の情報にさらされている。傍目には、サーシャの瞳の中で色とりどりの砂が吹き飛ばされていくかのようだ。

 あんなふうに世界のすべてがばらばらに砕けて見えたとしたら、確かに生前の人間関係や執着なんて、すっかり吹き飛んでしまうのかもしれない。

 すべてが吹き飛んでしまって、生前とはまったく違う世界の中で、それでも生前心を傾けたアレシュを手がかりにして実体化するサーシャ。


(死ぬって、不思議なことよねえ)


 まだ一度も死んだことのない魔女がしみじみと思っているところへ、サーシャが囁く。


「……ここにあった建物は古かったね。ここがまだ、王を頂く王国だったころ。その直後くらいから立っていたみたいだ。ひとが生きて、死んで、笑って、泣きわめいて、血の痕を引きずって――星は流れたかな。どうだろう。見えない気がする――ここが完全に崩れる直前……何か白いものは、流れたよ」


 途中から彼の言葉は不可思議なものになっていくが、カルラは慎重にそれを聞いている。感覚からくる抽象的な言葉を読み解くのは、魔女の占いの本質だ。

 やがてサーシャはのろのろと視線を空から引きずり戻すと、少し歩いて穴の底の一点を指さした。


「穴が空いたときに、ここへ白いものが落ちてきた」


「白いもの。具体的に、なんだかわかる?」


 静かなカルラの問いに、サーシャは少しばかり考えこんだ後、ぽつりと答える。


「手袋」


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