第71話 葬儀屋の切り札
カルラは石畳に座りこんだまま、ちょっと困り顔でため息を吐く。
「あー……やっちゃったか。もうちょっとワンちゃんの話聞きたかったけど、お人形は融通が利かないからなあ。ま、いいわ。よくやってくれました。――で、と。ズビニェクさんは、まだ私たちとやるつもりなのかしら?」
カルラの言葉を受けて、巨大な拳の主は大型犬程度の大きさになった『犬』を片手で握りこみ、ズビニェクたちに対峙した。
拳の主。
すなわちカルラの『お人形』は、一応、紳士服に外套、まぶかに帽子をかぶった紳士装束だ。ただし身長はカルラの身長の倍近く、幅なら四倍近く、さらに両手は地面に届くほどに長く、拳もばかみたいに大きい。
魔法で動くいびつな巨漢のばか力に、ズビニェクたちはぽかんと口を開けている。
カルラは緩やかに立ち上がり、腰に手を当てて残念そうに笑った。
「そもそもあなた、どうして六使徒が百塔街の支配を企んでるなんて思ったの?」
「それは……それは、誰もが思うところであろうが!」
やっと正気に戻ったズビニェクが叫び、カルラは顔をしかめて片耳を覆った。
「あのねぇ、言っとくけど、私、いいかげん歳なのよ。野望があるならとっくに実現させてるって。ルドヴィークだってそう。やる気になったら街の支配くらいできるだろうけど、やっても商売の損になるだけだからやらないの。
六使徒は、アレシュちゃんの善意……んー。善意とちょっと違うけど、まあ、善意に近い気まぐれでやってる団体なのよ」
「ふ、は、はははは、善意! この街で、善意とは! まったく酷い冗談だな! この歳になるまで、そんな冗談は聞いたことがないですぞ」
やけっぱちのように笑うズビニェクに、カルラもどことなく少女じみた顔で笑う。
「まあね。私も、まさかこの歳でこんなこと言うことになるとは思わなかったんだけど。若い子の冗談につきあうのも、意外と気持ちいいの。そのアレシュが待ってるから、いいかげんここは切り上げさせてね?」
愛らしく言い、カルラが指を鳴らす。
ズビニェクは息を呑んで、目の前の巨大な人形を見上げた。
しかし、人形は動かない。
反応したのは黒服の男たちである。
群衆を静かにかき分けてやってきた喪章をつけた男たちは、ズビニェクたちを速やかに取り囲んだ。彼らの死者のごとき沈黙に、ズビニェクは唾を呑みこむ。
「貴様ら、葬儀屋か」
「お待たせしたわね、葬儀屋のお兄さんたち。じゃ、ズビニェクさんにあれをやっちゃって」
カルラの指示で、葬儀屋が懐に手を突っこむ。ズビニェクはおびえて周囲のちんぴらを見やったが、彼らは残らず戦意をなくしてあとずさったり、六使徒ファンの方に身を寄せて同化を試みたりしていた。
「貴様ら……‼︎ こうなったら、わしだけでも……っ!」
血走った目で振り返ったズビニェクは、突きつけられたものを見て凍りつく。
そこにあったのは静かに光る拳銃……ではなくて、質のいい革の財布であった。
「これ、は、どういうことだ」
おそるおそる訊いたズビニェクに、葬儀屋は至極淡々と答える。
「アレシュ・フォン・ヴェツェラ様から、あなたへ、店を買い取る代金です」
「代金だと……? いいか、あの店の価値を、あのような若造が理解できるわけがないのだ! 寄こせ!」
ズビニェクは唾を飛ばして叫びながらも財布を受け取り、その意外なほどの重さによろめいた。疑わしげに眉をひそめて革袋の中身をのぞきこみ、みるみる蒼白い顔になる。
「これは……これは!」
ズビニェクは荒い息を吐いてつぶやくと、革袋から一枚の大きな金貨を取り出して、残り少ない歯で噛みついた。金貨にははっきりと醜い歯形が刻まれる。
それを見てますます震えるズビニェクに、葬儀屋はあくまで事務的に告げた。
「ご覧の通り、もっとも金の含有量の高かった頃の旧帝国金貨です。粗悪な北方三国の紙の金などではございません。それでも足りないとおっしゃるようでしたら、勉強させていただきますが――まあ、あまりにも欲を掻かないのが商売のコツ、と申し上げておきますよ」
ズビニェクは素早く視線を周囲に投げて、集まって来た葬儀屋たちの数を数えてから、何度か唇をひん曲げて囁いた。
「そのとおりですな。いや、確かに、わたしも商売人です。こういう話なら……わからんでもありません。いやはや、あの若造も、案外話がわかるじゃあないですか!」
「あらまあ、現金だこと。ほんとはもうちょっと叱ってあげたいとこだけど、私、別に気になってる男がいるのよねえ。なんかこう、ずーっと、覚えのある気配がこっちをうかがってるような気がして……」
カルラは言い、視線を路地の向こうへ投げた。視線の先にいた男が、びくり、と肩を震わせたかと思うと、全速力で逃げ出す。
「そいつよ、逃がさないで!」
カルラが指を鳴らすと、彼女の人形が動いた。
ぐっと踏みこんだかと思うと、その巨躯からは想像もつかない軽やかさで人々の頭上を飛び越えて着地。一息で男が逃げていった十字路の角を曲がった。
数秒後、べき、ぼきばきべき、という嫌な音と、長く悲壮な断末魔の悲鳴が辺りに響き渡り、ひとびとがざわめく。
ひとり平静なカルラは、しかし、途方に暮れた顔で額を押さえた。
「……あー……逃がさないで、って言っただけなんだけどなあ。生かして捕らえろっていう命令を人形に理解させるのって、どうやるんだろ? 人間の魂に似たものを合成して入れてあるはずなんだけど、どーしても最後の最後で融通効かない。神様への道は遠いわ」




