第69話 魔法書店主ズビニェク
一方そのころ、第三の穴のすぐ側では。
「『六使徒、百塔街のために立ち上がる!』『二つ目、三つ目の穴では負傷者、死者多数。求む、救世主!』『三つの穴の正体は一体何? 六使徒は手がかりをつかんでいる模様』
……めげないわあ、百塔街新聞社。あのヤルミルとかいうのをやっつけても、飛ばし記事が全然なおんないじゃない」
路地の壁に貼られた新聞をにらんで言うのは、豊満な身体を紳士服仕立てのスーツに押しこんだカルラだ。
彼女は細い腰に手を当て、くるりと背後を振り返る。
「こっちは仮説をひっくり返されて途方に暮れてるところだっていうのに、なぁにが『手がかりをつかんでいる』よねぇ。この三つ目の穴と、あっちの二つ目の穴は魔界の扉とは全然関係ない場所に空いてる。これって一体どういうことなんだと思う、サーシャ?」
「……どう、も何も」
答える声はどことなく甘くかすれていた。
そして、声の主の姿は、ぼんやりとぼやけた赤と黒の影にしか見えない。
カルラは胸元に押しこんであった首飾りを取りだし、鎖の先についた金属輪の細工物を目の前にかざした。魔法の術式を書きこんだ輪の中から見ると、路地裏にたたずむちょっと柄の悪い出で立ちの青年の姿がはっきりする。
物憂げに目を伏せた赤毛の青年は、数年前に死んだアレシュの友人、サーシャの幽霊だ。
彼は緩やかに腕を組み、首を傾げて言う。
「そんな新聞より、あっちでずっとあなたを睨んでるひとたちの相手をしてあげたほうがいいんじゃない? 俺はもう死んでるんだ、君を守れないよ」
「あらら、私のこと守ろうだなんて! サーシャって真面目だわあ。さすがあのアレシュの最初の友達ね。私って千歳越えの魔女なうえにあなたにとどめを刺した人間なんだけど、もう忘れちゃった?」
「覚えてはいるけど、どうせ俺は死人だ。誰かを恨んで生き返れるわけじゃないし、そもそも生きたくて生きてたわけでもないし。そんなことは、どうでもいいのさ」
素っ気ないサーシャの言いように、カルラはつまらさなそうに首飾りを胸元にしまい直した。
「そんなものかしら~? 淡泊な男も素敵だけど、なーんとなくアレシュが可哀想になったなー」
「可哀想? なんで。彼は恵まれてるよ。才能にも、君たちみたいな友人にも」
「うーん。いやあ、アレシュのほうはあなたを『混ぜちゃった』ことを後悔もしてるけど、《《特別》》にも思ってるんじゃないかなって……あー、いや、駄目だわ。破廉恥だわっ、これ以上は口に出して言えないわ!」
カルラは勝手に真っ赤になって身もだえ、サーシャは冷めた目で彼女を見守る。
そんなふたりのやりとりにやりきれなくなったのか、路地の向こうから濁った咳払いの声が聞こえてきた。
「……ごきげんよう、百塔街一の魔女よ。お仲間との話は終わりかな?」
凄まじくいらだった老人の声に、カルラとサーシャがそろって振り向く。
視線の先には、狭い路地にぎっしり詰まった人間たちの姿があった。
人間たちは大きく二派に分かれている。
一派は『頑張れ六使徒』などと書かれた看板を持った六使徒のファン。
もう一派はいかにも物騒な雰囲気の男たちで、先頭にはやたらと巨大な本を片手にした小さな老紳士がいる。
カルラは老紳士をじっくり眺めたのち、鼻にかかった声を出した。
「終わってないけど、別に終わらせてもかまわないわ。お喋りってそういうものだもの。あなたは、えーっと。……ズビニェクさん? 何度かお取引したことがあったような気がするんだけど。古本屋さんだっけ?」
脳内の人名録をめくってカルラが言うと、紳士は片眼鏡の奥で目を細めて笑う。
「ほう、ほう。覚えていていただいたとは光栄です。ええ、わしは曰く付きの本を扱う本屋でしてな。ちょうどその穴の中央に店を構えておりました」
「中央かー。それは残念。なーんにもなくなっちゃったわねえ」
カルラはちょっと切なくなって言い、肩越しに背後を見やった。
彼女とサーシャの背後には、三つ目の穴があいている。ひとつめの穴と同じように密集していた建物の姿は影も形もなく、破壊された建築物から山ほど出たであろうがらくたの類も一切見当たらない。調査のため、アレシュがすべて買い取ったからだ。
「今回は死人も結構出たって話だしなあ。私、あなたのとこの本、まだまだ買う気だったのよ。結構な使い魔が封じられてるのが何冊もあったじゃない? まとめ買いしたかったんだけど、こっちに余力がないと逆に食べられちゃうから……慎重になったのが敗因だったわ」
「敗因、とおっしゃいますか。それはそれは……。しおらしい顔をなさっても、あなたは魔女だ。その美しい顔の裏で、してやったりと笑っておられるのでは?」
「あら? それってどういうこと?」
きょとん、としたカルラに、六使徒ファン一派のひとりが声をかける。
「気をつけろ、カルラさん! そいつの持ってる本……!」
「黙らせなさい」
ズビニェクが冷たく言い放つと、ごろつきのひとりが早速今叫んだ男をとっつかまえにかかる。




