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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第2部 禁書庫の六使徒
64/112

第64話 新聞記者ヤルミル

 歳は三十も半ばほどなのだろうか?

 シャツもタイも外套も、顔に引っかかった眼鏡でさえも、何もかも手入れが悪くてよれて歪んだままにしている男だ。見るからに不摂生で、無精髭に覆われた皮膚は妙に黄色い。

 何をどうしたらこうも小汚くなれるんだろう、とアレシュが理解できないものを見る目でじっくり彼を観察しているうちに、男はすり足で近づいてきた。

 彼はアレシュの華奢といってもいい肩を抱き、恋人みたいに耳元へ囁きかける。


「あらあら、ちょっと聞き捨てならないですねえ。なんでここで帰っちゃうのかな? 思わせぶりにしといて期待をあおろうって作戦ですか? だとしたって、もうちょっと餌を撒いてからじゃないと、見物人にはあんたたちが何をやってるかはわかりませんよ?

 民衆ってのはね、永遠に賢くならないんです。与えられたものをがつがつ食って肥える豚なわけですよ。で、あたしらは餌を撒くほうだ。


 あ、申し遅れました、あたしは、ヤルミル・フランシチェク。百塔街新聞社の記者です。連絡先は……どこやったかな。ほしきゃ後であげますわ。んね、六使徒のアレシュさん。もうちょっと、この穴についてわかったこと。教えてくれないかなあ?」


「……ミラン!! お前の管轄だろう、これは!」


 記者、と聞いて、アレシュはすぐさまミランのほうを振り返る。

 ところがヤルミルと名乗った男は、先回りするようにアレシュの顔をのぞきこんできた。


「おっと、ここはあんたと話させてくださいよ! あんた、六使徒の首領なわけでしょ?」


 不躾にそこまで言って、ヤルミルは眼鏡の奥で瞳を潤ませた。だらけた笑みがゆがみ、粘りけを含んだ囁きがアレシュの耳を打つ。


「あんた……こう見るとほんとに美人さんですねえ。腹の底がむずむずします。異形の美っていうんですか? いいですねえ、男女両方に受ける。しかも自分がこれから街を救おうってのに、それを隠してワルぶるあたりもいい。二面性ってやつだ。

 次の見出しは『六使徒、百塔街の危機に乗り出す!』『ヴェツェラ氏は解決への自信をにじませた!』に決定かな。今のうちにちょいと帖面に書いときましょうね、忘れるともったいないからね」


「……ヤルミル、僕は切実に気分が悪くなってきた」


「おやおや、ご病気ですか、そりゃいけない!」


 ヤルミルは笑って言い、アレシュの帽子をつかんで引きはがした。


「な……」


 アレシュが唖然としているうちに、ヤルミルはアレシュの額から髪をかきあげ、互いの額をくっつけた。

 粗悪な煙草の匂いが鼻先で香り、アレシュは衝撃のあまり大いによろめく。

 眼前に迫る不摂生な顔、度を超した不作法さ、そして悪臭!


(死ぬ)


 すっと意識が遠のきかけ、大いによろめいたアレシュの身体を、すかさずミランが抱き留めた。

 彼の腕は実に冷たくて不快なのだが、さすがのアレシュも今はおとなしく彼に抱かれる。ミランは不作法で二流だが、ヤルミルよりは大分まともな顔だ。

 ミランはヤルミルに人さし指をつきつけ、勢いよく叫んだ。


「貴様、何を考えている!! こいつは確かに顔はいいが、それだけしかいいところのない駄目人間だぞ! あと、こう見えてもきっぱりはっきり男だから余計な期待は捨てろ!」


「あはは、こう見ても目は見えてますよお。あなたはミランさんですね? これからも百塔街新聞社は六使徒の活躍を応援してますんで。是非情報のほう、お願いしますねえ。今んとこあんたらのことはなんでもかんでも記事にしたげますからね。こんなの滅多にないですよ。そうそう、記事の挿絵にしますから、みなさん並んで! ぱぱっと素描しちゃいますよ、せっかく全員いるわけだし」


 あまりにも強引なヤルミルの言いように、カルラとルドヴィークはちらと互いに視線を交わした。

 サーシャは姿を隠したままだし、ハナも勘定台の陰から動かない。

 アレシュはミランの腕に抱かれたまま、気絶してしまいたい欲望をどうにかねじふせて足を踏ん張ることにした。他の人物に任せたらすぐに血なまぐさいことになるのは明白だからだ。

 ヤルミルはばかで汚いが、殺されるほどの悪人ではないかもしれない。

 かすかな慈悲の心にすがって、アレシュは不快の固まりみたいなヤルミルの顔を見つめて告げた。


「――いいかい、ヤルミル。僕らは君たちの新聞を面白くするために存在しているわけじゃないし、六使徒は本当の街の危機の時にしか動くべきではない。記者なら記者らしく、本当にあったことを描写したまえ。この街には、書くべきことなんて山ほどあるだろう?」


「あらあら、アレシュさん。あなた、ひどく間違ってらっしゃる! あたしたちの新聞、何部売れてると思います? あたしがこっちの新聞社に入ったのはほんの数ヶ月前のことですけど、入社時と比べて今の部数、三倍ですわ、三倍。

 あなたたちの活躍はもちろんすごいです、あたしにゃできない。でも、それをみんなが望むようにうまーく調理してやって差し出してるのは、あたしなんですよ。調理なしの真実なんざ、誰も見向きやしません」


「へえ。まるで、百塔街の住人を君たちが操っているとでも言いたげだね?」


「んふふ。みなまで言わせないでくださいよ。あんた最近、やけに注目されてるでしょ? 気持ちがよかったでしょうが。まだもうちょっといけますから、ここは是非、格好いいことでも言ってくださいよ。とろとろしてたら《《あっち》》の主張が通るかもしれませんよ?」


「あっちって……ああ……あっちか」


 ヤルミルの叫びにアレシュはしぶしぶ大穴の対岸を見た。

 そこにはさっきから結構な数の見物人が密集しており、少々場違いとも思える真っ白な装束をまとった男が澄んだ声を張り上げている。


「みなさん! これはこの罪深い街に神が下した鉄槌なのです! 神は言っておられます。『悔い改めよ』と。しかし、わたしは問いたい。わたしたちは、いかに改めるべきなのか? 善とは一体なんで、正しき道はどこにあるのでしょうか? それをみなさんに教え導くことができないわたしなど、一体なんの役に立つのでしょうか!? 正直わからないことだらけです!! 困った、何がどうしたら、こうなってしまったのでしょう!?」


「……あれってクレメンテよねえ?」


「例のクレメンテ司祭ですな」


「うむ、どこからどう見てもクレメンテだ」


 カルラ、ルドヴィーク、ミランがぼそぼそ言うのを聞いて、アレシュはさも嫌そうにクレメンテの姿から視線をそらす。


「……最後まで見なかったふりをしたかった」


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