第62話 謎の大穴
百塔街の空は真っ赤に晴れている。
外界からこの街を訪れた者にとってはぞっとするような異世界感をもたらすこの色も、百塔街で生まれ育ったアレシュにとってはもっとも落ち着く色のひとつだ。
彼の真っ赤な瞳に、真っ赤な空に流れる雲が映りこむ。
そして、目の前の廃墟同然となった街の一角が。
「それにしても……見事に壊れたものだね」
アレシュが薄い唇から紫煙を吐いて言うと、横でミランが大げさに嘆いて見せた。
「貴様は、言うに事欠いてそれか、アレシュ! もっと親身になれ。驚け。呆れろ。ついでに怒れ。生まれ育った街だろうが!」
「まあ、確かにこれはちょっと珍しいかな」
つぶやいたアレシュの全身に、埃っぽい風が吹きつける。
目の前にあるのは、文字通り『穴』だった。
三角形に近い形の、いびつな穴。
古い石造建築がみっしりと生えそろっていたはずの旧市街に出現した穴の直系は、集合住宅四つ、五つぶんくらいあるだろうか。深さはざっと建物一階ぶんほどで、底はすべて瓦礫で覆われている。
アレシュたちがいるのは、穴の縁だ。
かつては古道具屋か何かだったのだろう。重厚で薄暗かったであろう店はすっぱり半分だけ穴の中に消えてしまっていて、アレシュたちはかろうじて残った一階部分から穴を見渡しているのだ。
ここって屋内なのかな、屋外なのかな、などとどうでもいいことを考えながら、アレシュは続けた。
「とはいえ、ただの穴だからね。強大な呪いにしては死人もほとんど出なかったって話だし、どっちかっていうと事故や天災に近いものなんじゃないのか? 実際のところ、深刻な事態と思ってる人間もあんまりいないみたいだ」
アレシュが言うとおり、穴の周りにたかった人々の表情はそう暗くはなかった。
むしろここが商売所、とばかりに
「魔除けの札だよ!」
「穴見物のお供に、素敵な香辛料入りのあったかい葡萄酒はいかが?」
なんて声を上げている人々の姿や、ここぞとばかりに怪しげな店の看板を抱えて穴の中に座りこんで
「ここはそもそも俺の先祖代々の土地だ!」
なんて主張している姿も見える。
ほとんどお祭りだな、と思ってアレシュが辺りを見やると、今度は何人かのやじうまと目があった。
「……?」
少し不思議な空気を感じてアレシュが彼らを見やると、人々は慌てて目をそらしたり、手を振ったりしてくる。
しまいにはひとりの男が穴の縁を危なっかしく渡ってやってきたかと思うと、砂ですっかり白くなった絨毯を踏み、もじもじと声をかけてきた。
「あのう……六使徒のアレシュさんですよね? 応援してますんで! あんたは救世主だと思ってるんで……何かあったら言ってください!」
「アレシュはアレシュだけど……ここへはちょっと様子を見に来ただけだ。気にしないでくれたほうが、ありがたいんだが」
アレシュが戸惑いがちに微笑んで言うと、男はなぜかうっとりした様子で何度かうなずきながら下がっていった。
そして、他の見物人たちと
「遠慮してるみたいだぜ」
「六使徒ともなると、色々秘密にしなきゃなんねえこともあるってこった。にしたって、すげえ美人だよなあ」
なんて話している声がこっちにまで届いてくる。
自然と顔が歪むのを感じて、アレシュは帽子を深くかぶり直した。
またか。
ここでも求められているのは『六使徒』だ。昨日サロンに呼ばれたのも、今朝の菓子を贈られたのも、自分ではなく『六使徒のアレシュ』というよくわからない虚像なのだ。
あっという間に最低な気分になったアレシュの横で、ミランはやたらと勝ち誇った声を出した。
「そら見ろ、周りもびっくりするほど期待している! 俺の言ったとおりだろう?」
「……こんなわけのわからない期待が嬉しいか? 単なるお祭り騒ぎだよ。熱狂が去ればおしまい。僕は動物園の猿になるのはごめんだね」
アレシュはすっかり機嫌を損ねて吐き捨て、穴から身を翻そうとした。
そこへカルラの手が伸び、アレシュの袖をつまんで身を添わせてくる。
「待って、アレシュ。失礼なこと言った子たちは、なんなら後で、みーんな使い魔の餌にしちゃいましょ。でもね、今はこの穴の話よ。
私、この穴はあなたが思うより、ちょっとだけ大事だと思ってるの」
「大事?」
少しだけ忍耐を取り戻してアレシュが訊くと、百塔街一の魔女は目を細めてそっと笑った。
「この穴、ものすごーく、魔界の気配がするのよ」




