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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第1部 廃王国の六使徒
57/112

第57話 廃王国の六使徒

 すっかり荒れ果てた死者の家を出ると、外はとっぷりと暮れている。

 夜の匂いの中で、カルラが後ろから甘く囁きかけてきた。


「ねえ、アレシュ。あなたとハナちゃん、そうしてるととっても絵になってるけど、そのぶん妬けるわ。私ね、ほんとはついさっきまで、ハナちゃんにいい魔女ぶった魔法をかけてあげようかと思ったんだけど。気が変わっちゃった」


「よかろうが悪かろうが、君はいつだって素敵な魔女だと思うけど。それって一体、どんな魔法?」


「こういうのよ」


 カルラは満面の笑みを浮かべ、わずかに目を細める。

 と、アレシュは急に体の均衡を崩しかけてよろめいた。

 慌てて足を踏ん張り、腕から転がり落ちかけたハナの体を抱き直す。波打つ栗色の髪が腕からあふれ、白い顔が頭の重みであおのけられる。

 豊かな髪の間から彼女の顔があらわになった途端、アレシュは驚愕に目を瞠った。


「…………な…………」


「こ、これは…………」


 いつの間にやら、横でミランも愕然と声をあげている。

 それはそうだろう。アレシュの腕の中にいるのは、いつの間にやら十六、七歳の、とんでもない美少女になっていたのだ。

 薄く繊細な鼻筋や顎の線と、ふっくらと優しい頬と、艶やかな髪と、人形のような長いまつげ。すべてが硬質な美貌の中で、うっすら開いた唇だけがなまめかしい。

 その不均衡も含めて、十人男がいたら九人までが視線をくぎ付けにされそうな美しさだった。

 どんな美辞麗句を尽くそうかと思いながらぼうっとしてしまったアレシュの横で、カルラの声が無情に響く。


「はい、おしまい」


 声が消えると同時に、ハナの姿は緩やかにぼやけて元の十歳くらいに戻ってしまう。

 アレシュとミランは、はっと我に返って勢いよくカルラに向いてくってかかる。


「おい、カルラ! どういういじめなんだ、今のを一瞬だけ見せるとかありえないだろ!」


「そうだ、一体なんなのだ今の壮絶なる美の幻は!? 頼むからもう一回!」


 子供っぽく叫ぶふたりに向かってカルラは優しく微笑み、硝子ビーズのやまほどついた小さな鞄から色とりどりの飴を取り出した。

 ひとつを自分の口に放りこみ、ハナの体の上にひとつ、ミランの口の中にひとつ、それぞれ投げ入れて言う。


「素直すぎるわ、ふたりとも。見てくれなんかにだまされてるんじゃ、まだまだ。――さ、帰りましょ、帰りましょ。とりあえずはお茶よ。あと、美味しいご飯。で、みんなの怪我をとっとと治して、クレメンテの処遇なんかも考えて。あとは、楽しい楽しいこの街の日常が待ってるわよ」


「いや、それにしても……」


 ミランは口ごもるが、飴のせいで派手な無駄口はたたけないようだ。

 アレシュは昏々と眠るハナを見下ろし、小さくため息を吐いた。


「……まあ、それもそうだね。近道を急ぎすぎるとろくなことがない。生き残ったからには、この後も人生は続く、ってやつだ。ゆっくりやるか」


 そもそもハナが大人の姿になったままだと、アレシュの腕力では抱きかかえ続けることが難しい。今はこの姿がちょうどいいのかな、なんて思いながら、アレシュは曲がりくねった墓地の小道を抜ける。

 旧市街に戻ってきたアレシュたちに、ぼちぼち表に出てきた住人たちが気軽に声をかけてくれる。今夜の百塔街はどことなく浮かれた空気だ。まるでお祭りの前夜のよう。


(やっぱり、この街の夜は美しいな)


 アレシュは満ち足りた気分で空をあおいだ。

 真っ黒な空にばらまかれた星は銀の粒に似て、巨大な月から注ぐ光で照らされた街はきらびやかでちゃちな舞台装置みたい。汚れや古さはみんな美しい闇の底に沈んでしまい、絵本じみた家の軒先から軽やかな音楽と笑い声が聞こえてくる。

 なんらかの呪術に関するものであろうが、ただ小さなしあわせを祝うものであろうが、歌と笑いはいいものだ。どちらも、クレメンテたちがやってきてから途絶えがちだったからなおさらだ。


(あれ。これは――あれか。『愛こそすべて』)


 昔、サーシャが歌っていた古い歌がきこえた気がして、なんだか胸がたまらなくしめつけられる。アレシュがくるりと振り返ると、それぞれぽつぽつと話し合いながらついてきていた仲間たちが、石畳の上でアレシュを見つめ返した。

 いつの間にかそこらでお菓子を買い食いしているカルラ。

 未だにアレシュの腕の中のハナに注目しているミラン。

 不吉に微笑んで首を傾げるルドヴィーク。

 そして、その脇で微笑む、真っ赤な髪の男。


「――え……?」


「どうした、アレシュ」


 愕然とした様子のアレシュに、ミランが素早く反応する。

 アレシュはミランを見つめ、もう一度ルドヴィークの隣に立つ長い赤毛のひとを凝視した。


 ――これは、間違いようもない。忘れようもない。


 どう見ても、サーシャだ。

 サーシャはアレシュに何度か手を振ってから、皮肉げに顎をあげてこちらをにらんでくる。

 その姿の向こうにはぼんやりと街の光景が見えることからして、実体ではないのだろうが、それにしても鮮やかな幻だった。


(なんだ? 僕はまだ、彼の幻に縛られてるってことか?)


 アレシュが半分開いた口を閉じられずにいると、不意にミランが顔をしかめた。


「お前、ひょっとして、やっと見えるようになったのか?」


「……え……!?」


「あらあ、遅いわー。ほんとに遅いわー。びっくりするわね、この子の鈍さ」


「ふむ? ああ、この幽霊君のことですか。いつもアレシュのそばに居ましたな」


 みんなの言いように、アレシュはますます青ざめる。


「ま――待ってくれ。みんなにも見えてるのか? いや、むしろ、ずっと見えてたのか? ミラン、お前にも?」


「これだけはっきり残っていれば、呪術の才能がある奴には誰にでも見えるわ、阿呆が」


「下僕のくせに僕のことを阿呆とか言うな! だったらお前、どうして『サーシャの幽霊なんかいない』みたいな態度をとり続けてたんだよ!」


 アレシュが怒鳴ると、ミランはびしり、とアレシュの顔を指さして告げた。


「それはな、アレシュ。お前だけが、いつもこのサーシャのいるところと別のところを向いてぼそぼそ話しかけていたのが哀れというか腹が立つというか、そういう絶妙に駄目な感じだったからだ!」


 ほとんど厳かなミランの言いように、アレシュは今度こそその場に固まった。

 それは、つまり。

 まったく信じたくないことなのだが。

 偽りの記憶につかまった自分だけ、本当のサーシャが見えていなかった、ということか。


 彼は、ずっと側にいてくれたのに?


「…………ひどい…………」


 今にもその場にくずおれそうになりつつ、アレシュがうめく。

 ミランはさすがにあきれ果てた声を出した。


「いやいやいや、ひどいのは貴様だろう! この呪いだらけの百塔街にあってだな、ここまで邪気のない幽霊など俺は今まで見たことがない! どれだけ愛されていて、しかもそれを無視しまくっていたのだ、お前は! 俺は常に胸が痛くて痛くてたまらなかったぞ、このばか!」


「……ミラン、お前は台詞がいちいち恥ずかしい……」


「こんなときでもそこは反応するのか、貴様!」


 うなだれたままミランとやりあったアレシュは、のろのろともう一度サーシャのほうを見る。柔らかな視線を合わせて、サーシャが笑う。

 その笑顔だけで彼がちっとも怒ってなんかいないことがわかってしまって、アレシュの声は喉に詰まってしまった。

 頭のどこかで、ちかちかと美しい光が輝いているような気分だ。

 得がたいものが、もう二度と得られないと思ったものが、自分の上に降ってきた。これを奇跡と言わずになんと言おう?

 今なら、クレメンテにもっとはっきり言ってやれる気がする。


 ――百塔街も、そんなに捨てたところじゃないよ、と。


 ここに善人はいないけれど、悪人だって、気まぐれに美しい心を見せることもある。その心が明日どうなるかわからなくたって、それがどうしていけない?

 外だって同じじゃないか。

 美しいものはうつろう。

 でも、だからって美しいものが存在しないわけじゃない。

 確かに、ここにあるんだ。


「どうした、黙りこくって真剣な顔をして。こういうときはもっと、泣いたり笑ったりわめいたりするものではないのか? まさか、怪我が痛むのではあるまいな」


 少し真面目な顔になったミランに向かって顔を上げ、アレシュはとびきり綺麗に笑った。


「嬉しいなって、思っていたんだよ。僕に力があることが。君たちが、ここにいることが。ねえ、ミラン。僕は君たちが赦すなら、これからも、この、王様のいない街の守護者になる。気まぐれかもしれないけど、今は本当に、ここを守りたいと思うんだ」


 彼の言い分を聞き、皆が顔を見合わせる。

 ……もちろん、サーシャも。

 そして、結局代表してミランがにやりと笑って言った。


「ならば、我々は『深淵の《《六》》使徒』だな。それなりにあてにしているぞ、アレシュ・フォン・ヴェツェラ」


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