第56話 「僕らの家」
「ハナ……! 無事だったのか、ハナ! カルラ、君が助けてくれたんだね? ありがとう!」
「おいこら、俺を押しのけてそっちか!? 真っ先に貴様の心配をしてやった俺はどうなるんだ、一体! いいか、アレシュ。貴様はいいかげん自分が喧嘩のできない男だと自覚しろ‼ 館に帰って『さらわれたハナを助けに行きます』とかいう置き手紙を見たときには、まさに体が凍るかと思ったぞ!」
ここぞとばかりにぎゃんぎゃんわめくミランを両手で横に押しやりながら、アレシュはじっとカルラの腕の中のハナを見下ろす。
ハナはいつもより青ざめた顔色で、薄いまぶたを閉じていた。
別段外傷はないようだが、こんこんと眠りこんだまま起きる気配はない。
肌に触れたいな、と思ったけれど、それすら躊躇われてしまって、アレシュは彼女の髪に指先を触れさせた。その感触はなめらかで、でもちょっと荒れていて、しごく普通の女の子だ。
そんなアレシュを眺め、カルラが静かに告げる。
「あなた、今回は一応ミランを褒めてあげたらいいと思う。ミランはね、あなたが目覚めた、って私のところにわざわざ知らせに来てくれたの。それだけじゃなく、使徒全員でまたアレシュの館に集まろう、ってすごく熱心で。私も祭壇の封印が終わったところだったから、そんなに熱心に言うんならそうしましょうか、ってミランと一緒にルドヴィークのところへ行って――そうしたら、彼が葬儀屋に幽閉されてるじゃない? これはおかしいわ、っていって、ことの次第がわかったってわけ」
「……なるほど。何もかもミランのおせっかいのおかげ、っていうわけか」
「誰がおせっかいだ、誰の何が」
むすっとして言うミランを横目に、アレシュは乱れたハナの髪を整えながらカルラに提案した。
「ハナは、僕が抱いていってもいいかな」
「まあ、そうなさいな。この子は葬儀屋配下の呪術師たちが捕まえてた。すっかりクロイツベルグ派だったのね、彼ら。それにしたって『扉を開けられる』この子が人間に捕まるなんてびっくりよ。よっぽど《《何か》》に集中してたところを襲われたのかしらね?」
カルラの声からにじむトゲに我が身をさらしつつ、アレシュは両手を伸べてハナの体を受け取った。腕に抱いてみると、彼女の体は拍子抜けするほどに軽い。
こんな体で、と思うと急にひどく悲しくなってしまって、アレシュは壊れ物を扱うようにして彼女の頭を自分の肩に添わせた。
「僕の食事なんか、ビスケットでも放り出していけばいいのに。……困った子だ」
「あなたは相変わらずですな。やけに自分を無力なものと思いたがる。記憶が戻れば治るかと思えば、そういうわけでもなさそうだ」
喉の奥で笑って言ったルドヴィークに、アレシュは苦みを混ぜた笑みを向けた。
「僕は無力だよ。こうして彼女を助けてくれたのも、クロイツベルグを殺したのも、君たちだ」
「ほう。では、アマリエを亡くしてふぬけ状態で捕まっていたわたしがなぜ、ここへ来たと?」
ルドヴィークの声に苛立ちに似た響きを聞き取り、アレシュは瞬く。
そういえば、どうしてだろう?
「……ミランの阿呆さにほだされたとか、カルラが説得したとか?」
おそるおそる聞いてみると、ルドヴィークは容赦のない哄笑を放った。
「ははははは! まあ、両方といえば両方ですが。ミランとカルラはこう言いました。『アレシュはあなたの友だちだろう』『あなたが深淵の使徒から抜けたら、少なくともアレシュはこの街で生き延びられない』と。そう聞いて、はっとしたのです。アマリエを葬ったのはあなたですが、わたしのアマリエへの愛を理解する人間もこの世にあなたしかいない。あなたを亡くしたら、わたしはあなたの中のアマリエの思い出すら葬ってしまうことになる。
……もう二度となくしたくない。そう、思いましてな」
ルドヴィークの声がかつてなく人間的なかすれを帯びたので、アレシュはあっけにとられて彼の顔を見上げる。
ルドヴィークは意味もなく黒眼鏡を直し、にやりと笑った。
お世辞にも気持ちのいい笑いとは言えなかったが、照れ隠しであることはよくわかる。驚きがふわりと穏やかな気持ちになるのを感じ、アレシュは思わず小さく声を立てて笑った。
「ありがとう、ルドヴィーク。そうだね……。女性においていかれたときにどうしたらいいかの助言なら、僕にもできる。ふられることに関しては、僕は相当な玄人だから」
「あなたのような美しい方でそうならば、わたしなどこれから一体どれだけふられなければならないのか。気が遠くなりますな。実に恐ろしくも楽しみだ」
いつものなめらかな物言いに戻ったルドヴィークにうなずき、アレシュは皆を振り返る。
血の香る部屋にたたずむ、善人とは言い難い三人と、腕の中のひとり。
アレシュの恐ろしさを知っても、変わらずそばに居ると選んだひとたち。
彼らにどんな言葉を投げていいのか悩んだ後に、アレシュは言う。
「……じゃあ、そろそろ帰ろうか。僕の家へ」
ミランが、ルドヴィークが、カルラが、互いに顔を見合わせ、小さく笑う。
他に特に言葉はなかったが、彼らに異論がないことはわかった。
ひょっとしたら、誰もがみんな、このときに自分たちを仲間だと認めたのかも知れない。『使徒』がただの遊びでも、誰もが明日にはくるりと立場が変わって敵になっているかもしれなくても、とりあえず、今は仲間だ。
それでいいんだ。
心の欠けた部分にその思いがしっくりとはまって、アレシュはめったに見せない、屈託のない笑みを浮かべて歩き出した。




