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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第1部 廃王国の六使徒
55/112

第55話 真犯人の切り札

 化け物に。

 自分でそう言った瞬間から、アレシュの心臓は鼓動を早め始める。

 落ち着け、と言い聞かせるものの、走り出した鼓動はそう簡単には止まらなかった。

 わかっている。自分はまだ恐れているのだ。

 サーシャを、アマリエを化け物に変える羽目になった、自分の力を。

 クロイツベルグはそんなアレシュの心を見抜いたかのように、薄い唇に不吉な笑みを浮かべる。


「そんなに自在に使える力とも思えませんね。俺は覚えてますよ、昔のあなたのこと。サーシャのことも」


「……サーシャ……?」


 急に何を言われたのかわからず、アレシュはクロイツベルグを凝視した。

 彼は無機質な灰色の瞳を刃のように輝かせ、恐ろしいほど静かに言う。


「やっぱり、知りませんでしたか。サーシャは、あいつは当時、俺の弟分として葬儀屋の使い走りをしてたんです。元は飄々とした奴でしたが、最後のほうは色々無茶をやって金を貯めていてね。『どうしたんだ』と聞いたら『守りたい奴がいる』と言ってましたよ。ばかな奴でした。俺の見たところ、放っておいてもあと何年も生きられないような体でしたが」


 ――守りたい。


 恋人のことだろうかとも思うが、すぐに心が否定する。まさか。彼にはそんな相手などいなかった。アレシュはそのことを知っている。


 じゃあ、守りたい奴って?


「魔法小路で、あなたをクレメンテのところへ招いた呪術人形。覚えていますか?」


 どくん、と、鼓動が大きく響く。

 あのとき、実体を持っていたサーシャ。生きているときと、まるで同じ――


「あれはサーシャともよく組んでいた呪術師が作ったんです。あなたの気を引くように呪いのかかった人形でしたが、あなたには奴に見えたようですね」


 胸が苦しい。

 酷く圧迫されている。

 サーシャ。呼んでも答えない友達。

 あの人形からは、確かにサーシャの匂いがした。

 アレシュを見つめたまま、クロイツベルグが目を細める。


「あなたは思ったより、本気でサーシャのことを思っていたようだ。あいつはあいつで、ずっとあなたのために生きたがって……いや、違うな。多分あいつは、あなたのために死にたがっていた。一緒に生きるより、あなたに何かを残して死にたがっていたんだと思います。


 よかったですね。あなた自身の手で奴を殺せて」


 急に声を甘くしてクロイツベルグが言い、引き金にかけた指に力をこめる。

 しまった、とアレシュのまぶたが痙攣する。

 あまりにクロイツベルグの話を集中して聞きすぎた。

 銃口は見えていたのにそちらへ意識が向いていなかった。

 これから動いても、もう遅い。

 撃たれる。

 死。

 その単語が脳内で明滅する。

 死ねば今度こそサーシャに会えるかもしれない。

 でも、そうなったらハナは。ミランは。


(生きないと)


 ほとんど本能的に動こうとした、そのとき。

 目の前がふっと暗くなった。

 撃たれたのか、と思う。

 しかし、すぐに新たな男性香水の匂いに気づいてはっとした。

 この香りを知っている。これをつけているのは、


「……ルドヴィーク……?」


 呆然とアレシュが口にすると、彼の目の前を覆っていた闇がしなやかに動いた。

 漆黒の袖無し外套を揺らして振り返り、ルドヴィークが不吉に笑う。


「はい、わたしです」


 深みのある声で囁いた彼の手には、抜き放たれた仕込み杖が握られていた。

 一体いつの間にアレシュとクロイツベルグの間に割って入り、剣を抜いたのか。

 相変わらず化け物じみた体技を披露したルドヴィークの刃の先から、つ、と鮮血が零れ落ちる。

 ならば斬られた相手は――と見ると、クロイツベルグの手首が、銃を持ったまま床に落ちるところだった。


「……あ……」


 今まで冷静そのものだった唇をかすかに震わせて、クロイツベルグがなめらかな傷口を残った手のひらで覆う。

 みるみる真っ赤に染まるその手を、青ざめていく顔色を、ルドヴィークは愛しげに見つめて笑った。


「お疲れ様です、クロイツベルグ。色々と任せてばかりでしたが、もう休んで結構ですよ」


 穏やかな囁きの後、ルドヴィークの剣が斜め下から跳ね上がる。

 冷たい風と共に血が舞い飛び、クロイツベルグは大きく後ろへよろめいたかと思うと、重厚な椅子を巻きこんで床に転がった。

 後には、もがく気配すらない。

 拍子抜けするくらいの静けさ。

 すぐには何も言えないアレシュを置いて、ルドヴィークは音もなく机の向こう側へ回った。クロイツベルグが事切れているのを確認すると彼のまぶたをそっと閉じさせ、するりと頬を撫でてから立ち上がる。


「それなりに、有能な男でした」


 薄ら笑いを浮かべて言うルドヴィークに、アレシュはゆっくりうなずく。


「……だろうね」


 後には血の香る沈黙が残った。

 とめどなく流れる血を、上等な絨毯が静かに吸っていく。

 アレシュが小さくため息を吐いたとき、いきなり辺りに場違いな大声が響き渡った。


「おいっ、アレシュ! 貴様いいかげんにしろ、この!」


「ミラン……痛っ」


 後ろから思い切り頭をはたかれ、アレシュははじかれたように振り返った。

 見れば、ミランがいつものしかめっ面で立っている。さらにその後ろには、ハナを両手に抱えて悠然とやってくるカルラの姿があった。

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