第53話 真犯人のもとへ
冷えた石の建物は、今やすっかりと血で装飾されていた。
床には何人もの葬儀屋たちが血を流して転がり、己の運命を呪ってうめいている。
今回の香水の効果は『攻撃的な幻覚、幻聴』。彼らはアレシュの香水で化け物が襲ってくる幻覚を見た結果、同士討ちして戦闘不能に陥ったのだ。
不吉な音楽のようなうめき声の間をぬって、アレシュは慎重に先へと進む。
(ここまではうまくいったけど、ちょっとうまくいきすぎた。案内に使えそうな奴がほとんどいないじゃないか)
はたしてクロイツベルグはどこなのか。
倒れた葬儀屋をつついてみても、みな苦痛を訴えるのに忙しくて案内はしてくれなさそうだ。
幹部の居場所となれば、外から攻めづらいところかな、と思いながらアレシュは広間を抜け、体を低くして細い通路の様子をうかがう。
すると、通路の先のほうに数人の葬儀屋がたまっているのが見えた。
アレシュの香水にはやられていない。抜け目なく周囲を警戒しつつ、この騒ぎでも持ち場を離れようとはしていない様子だ。
(当たり、かな?)
アレシュは軽く息を吐いて心を決め、すっと背を正すと、その通路へと入りこんだ。
喪服姿の男たちはすぐにアレシュを見つけ、数人が銃を構える。
「――ヴェツェラさん。止まってください」
明らかな警戒の気配はあるが、まだ言葉には敬意の欠片があった。
警鐘は聞いていても、アレシュが侵入者だという確信はないのだろう。
彼らの態度に淡い不快感をかき立てられて、アレシュは毒を潜めて笑う。
「君がどうしてもというのなら止まってあげたいけれど、今日だけは駄目なんだ。どうしてもクロイツベルグさんに会わないと。案内人が僕の不注意から死んでしまったから、代わりに君がクロイツベルグさんの部屋まで案内してくれるかい? ちなみに、抵抗は認めない」
アレシュは言い、自分のつけている香水の効果範囲を計算して指を鳴らした。
「さあ、動いて」
アレシュの声に、五人ほどいた男たちは面白いほど簡単に従う。
瞳からぱっと意思の光が消え、五人はきれいに整列した。ひとりが通路の端にあった扉を開けて、あとはぞろぞろと全員扉の向こうへ入って行く。
アレシュが慎重に後へ続くと、扉の向こうはちょっとした控え室だ。
壁紙も、ソファと茶卓の組み合わせも、壁にかかった絵も、どれも落ち着いていて調和している。
そんな部屋の片側の壁に、やけに上等な木で作った扉があった。
葬儀屋の男たちは、その扉の前に固まって沈黙する。
「なるほどね、この先が彼の部屋っていうことか。ではそこの君、銃を構えて。僕が安全に会話できるように、クロイツベルグさんをおどしつけてくれないかな?」
アレシュの指示で、ひとりが銃を構え、ぎこちなくクロイツベルグの部屋の扉を叩いた。
直後、くぐもった銃声が響いた。
少し遅れて、扉を叩いていた男がよろよろと後ろへさがったかと思うと、上等な絨毯の上へ倒れ伏す。
「ん……? 何だ、今の」
一体、誰がどこで銃を撃ったのだろう。
アレシュが今ひとつ状況を理解していないうちに、さらに何発か銃声が響き、扉の正面に居た男たちがあとふたり、銃弾を受けて倒れた。
アレシュは扉に空いた小さないくつかの穴を見つめ、恐れるよりも先にびっくりしてつぶやく。
「えーと、つまり。今の数発の銃声は、扉の向こうから撃った銃声ってわけか。扉を貫通させて、人間に弾を当てた、と。……ねえ、君たちの上司、本当に人間かい? 物騒だなあ。これからはもう少し注意して扉を開けたらいい」
「は……はは、ははは……嫌……もう嫌です、クロイツベルグさんにゃ、絶対勝てる気がしねえ! 許してください……!」
衝撃のあまり多少正気を取り戻したのか、葬儀屋のひとりが半笑い、半泣きになって叫んだ。アレシュも一瞬慈悲の心をだしそうになったが、弱肉強食、悪が悪を食らうのは百塔街の掟である。
「いや、僕より君のほうが身体能力的には絶対ましだよ。頑張って先に立ちたまえ、ほら」
アレシュが無責任に葬儀屋を元気づけ、指を鳴らすと、ふたりの葬儀屋は泣き顔のままで扉の脇に控えた。
中の気配をうかがい、ひとりが扉に体当たりをして中に飛びこむ。
もうひとりも、間をおかずに飛びこんだ。
すると今度は、たん、と一発だけ銃声が響く。
(ふたり対ひとりで、銃声がひとつ。――こっちの勝ちかな?)
アレシュが考えながらそっと扉の向こうを見ると、そこにはクロイツベルグの姿があった。
彼は重厚な書き物机の向こうで、くわえ煙草に火をつけているところだ。
ちなみに、クロイツベルグの片手には拳銃。
机の手前には、葬儀屋の死体がふたつ転がっている。
ひとつの死体の胸の真ん中に焼け焦げた銃創があり、もうひとつの額には、細く美しい銀のナイフが柄近くまで押しこまれていた。
「なるほど。一瞬でひとりを撃ち殺して、ひとりはナイフでやったのか。それなら銃声ひとつでふたり殺せるね」
すっかり呆れてしまい、アレシュは何度か軽く拍手した。
なんだかここまで鮮やかだと、見世物でも見ているかのようだ。
「お久しぶりだね、クロイツベルグ。葬儀屋っていうのは、奇人変人並みに戦闘能力が高くないと上に立てない職業なのか?」
アレシュが言いながら室内へ踏みこむと、クロイツベルグは手首の返しでオイルライターの蓋を閉じ、じっとアレシュのほうを見つめてきた。
「ごきげんよう、ヴェツェラさん。派手な登場ですね」
冷たい声に、冷たい瞳。自分の部下を自分の手で殺した直後でも、彼は完璧に落ち着いている。これなら嘘を吐くなんてお手の物だろう。
こいつは本物の悪人だ。
この街に掃いて捨てるほどいる悪人の中でも、悪いほう。
アレシュは緩やかに笑って、軽く肩をすくめてみせた。
「君たちのお出迎えが盛大すぎるから、ついついつられて派手になるんだ。君がもうちょっとの間だけ僕の味方のふりをしてくれてたら、多少は地味になったと思うんだけど」
「ならばもっとゆっくり来てくださならないと。こちらにも対策を立てる時間はいるんです。……クレメンテは、どうなりました?」
無造作に出されたクレメンテの名に、アレシュはそっと赤い瞳を細める。
やはりだ。
確信と共に唇をゆがめ、アレシュは囁く。
「ハナをさらって、クレメンテと僕が対決するように仕向けたの、君だね?」
クロイツベルグは答えない。
その沈黙は肯定と同じだ。




