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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第1部 廃王国の六使徒
52/112

第52話 再び、喪の街区へ

「……ああ、いらっしゃい、ヴェツェラさん。今日は、ザトペックさんはいらっしゃいませんよ」


 赤い空が徐々に紫に染まり、夜への入り口が見え始めるころ。

 逆さ聖堂から出て野暮用を済ませたアレシュは、喪の街区の入り口にいた。

 傷の痛みは未だにじくじくと神経をむしばむが、アレシュはあえて朗らかに微笑んで、喪の街区の門番に軽く小首を傾げて見せる。


「それは残念だな。でも、彼は留守中でも構わない。今日は実質的にここを仕切っているひとに会いに来たんだ。名前は……えーっと誰だったかな。綺麗な茶色い髪に、灰色の瞳の」


「クロイツベルグさん?」


 探るように聞かれたので、アレシュはにっこり笑って指を鳴らした。


「そうそう。多分そのひとで間違いないよ。案内してくれるね?」


「そうですね。では、中でちょっとお待ちください」


 喪服姿の門番は陰気に言って、古い城壁の門を開けた。

 彼はアレシュが中へ入るのを待ちながら、ちらりと辺りを見渡す。その手がすばやく上着の下に入ったのを見て、アレシュはもう一度高らかに指を鳴らした。


「止まりたまえ」


 笑い含みのやんわりとした命令に、葬儀屋の一味が従うわけもない。

 彼は上着の下から慣れた手つきで銃をつかみ出す。

 ところが、引き金にかかった指は動かなかった。


「っ……? くそっ、なんで動かん……!」


 焦って低くうめいてみるものの、門番はまるで彫像でも変わってしまったかのようだ。引き金を引く指どころか、全身がその場に固まってしまって動けない。

 アレシュは唇に邪悪な笑みを含む。


「なんでって、それは君がつけている香水の効果だよ。君はこれから僕の下僕だ。さあ、行きたまえ、僕の下僕二号。ほらほら、僕を撃つはずだったその銃を前に向けて僕を守るんだ。行き先はクロイツベルグのところだ、間違うなよ」


「くそっ、くそっ……! 畜生、誰のおかげで魔香水使って生きてると思ってやがる! こんなクソ香水、クロイツベルグさんにゃきかねえぞ!」


 門番はなおも口では抵抗していたが、体はぎくしゃくと勝手に動き初めていた。

 彼は銃を手にしたまま門をくぐり、喪の街区へと入りこんでいく。

 アレシュは白い指で装飾過多の帽子を小粋にかぶり直し、鼻歌でも歌いそうな様子で門番についていった。

 やがて墓地にさしかかると、話しこんでいたふたりの葬儀屋が銃を手にした門番とアレシュに気づく。

 彼らは慌てて銃を抜こうとしたが、わずかに早く、アレシュに操られた門番が発砲した。

 乾いた銃声が響き渡り、ふたりの葬儀屋が倒れこむ。

 アレシュは軽やかに手を叩き、前を行く門番を褒め称えた。


「さすがだ! 門番にしておくには惜しい腕だね、君」


「やめろ……やめろぉ、もう、やめてくれよ……! 今の奴は、俺の兄弟みたいなもんだったんだぜ!?」


「おや、泣いているのか? ひとりふたり殺してそれじゃあ、葬儀屋の名が泣くよ。それとも葬儀屋って泣き女の役もやるのかな。涙を拭くかい? 心を落ち着かせる香水を吹いてあげてもいいよ。クロイツベルグと対面した後、君がまだ生きていたらね」


 小さく笑いながら言うアレシュの瞳は、少しも笑ってはいない。

 門番はもはや答えることもできずに泣きじゃくりながら、それでも銃を下ろさずに足早に進んで行く。

 と、そのとき、喪の街区のあちこちでがらん、ごろん、と鐘の音が響き始めた。

 門番の横顔がわずかに明るくなったのをちらと見て、アレシュはつぶやく。


「ふぅん。あれが警鐘か。急げ。僕らにはあんまり時間がなさそうだ」


 容赦ない囁きに、門番の体は死者の家の扉を蹴り開けた。


「なんだ!? おい、貴様、銃を下ろせ!」


 死者の家にいた葬儀屋たちが、門番の姿を見て声をあげる。

 門番は涙をこぼして必死に主張する。


「駄目だ、こっちに来るな、俺を殺せ! 俺を……!」


 叫びとはうらはらに、門番の指は引き金を引いていた。

 銃声が連続し、彼はあっという間に銃弾を撃ち尽くす。

 死者の家の中は一気に騒然とした空気に包まれた。間をおかず、反撃の銃弾が次々に門番の体に食いこむ。


「う……!」


 門番が低くうめいてくずおれたのを横目で確認しながら、扉の横にうずくまって隠れていたアレシュは香水瓶をひとつ取り出す。

 扉の隙間から瓶を投げ入れると、中からは獣めいたうなりが聞こえ始めた。

 次いで、悲鳴と派手な銃声が連続する。


「おー、怖い怖い。早く終わってくれ、そら、みんな頑張ってバンバン撃てよ……。ふむ。……そろそろいい、かな」


 やがて銃声が収まるのを待って、アレシュはそっと死者の家へと入りこんだ。

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