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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第1部 廃王国の六使徒
45/112

第45話 伝説の調香師か、伝説の無職か

 びっくりして目を開けると、玄関広間を突っ切ったミランがアレシュに気づかず通り過ぎたところだった。

 彼の後ろには、ちょこちょことハナが付き従っている。


「……ハナ。どうしてお前、帰ってきたんだ? 僕に愛想を尽かしたんじゃないのか」


 アレシュが唖然として声をかけると、ハナはすぐに彼に気づいて足を止めた。


「……どうして……?」


 彼女は思いきり不機嫌そうな顔になり、両手に持っていた買い物籠を円卓にたたきつける。


「ご主人様は、本当に、いつまで経っても、最高にばかですね! 一回死にかけてもばかなんだから多分一生ばかなんでしょう。もう遠慮することはありません、いっそ永遠に生きて恥をさらしてください!! 大体水だけで七日間も寝てたっていうのに、どうして起きた途端に勝手に動き回れるんです!?」


 まくしたてるハナに、アレシュは何度か瞬いた。

 完全に、いつも調子だ。


「――あれから、七日も経ったのか。……ひとりで寂しくなかったか? ハナ」


 少々ぎこちなくいつもの返事をすると、ハナの顔は無表情のまま、雰囲気だけぱあっと明るくなった。


「私のことはどうでもいいんです。私はご主人様みたいに無駄に繊細で儚くて夢見がちでか弱かったりしませんから健全健康に生きています。別にひとりじゃありませんでしたし」


 明るい口調でがなりたて、ハナはじろりとミランを睨む。

 行きすぎたミランはやっと足早に戻ってきたところで、新聞片手に満面の笑みを見せていた。


「アレシュ、そこだったか! もう動いても大丈夫なのか? さすがに若いな!」


「歳なんか大して変わらないだろ。……おい、よせ、新聞でつんつんするな!」


「ふはははは、ここかー? ここかー、折れたのは!」


「同じところを粉砕骨折させますよミラン。負傷したこのばか……もとい、ご主人様に苦痛を与えていいのは私だけです。これ以上やるようなら、私があなたを殺します。死に方くらいは多少選ばせてさしあげますが、結果はどちらにしろ死のみですよ」


 ハナは本気の殺気をにじませてミランの足を蹴るが、今日のミランは動じなかった。

 無駄に堂々とした笑顔でたたずみ、爽やかな笑顔をハナに向ける。


「ハナさん、落ち着いてください。これだけ騒げるようなら大丈夫、アレシュはあと半月もしたら普通に歩けるようになります。それより新聞ですよ、新聞! そーら、アレシュ、見てみろ! お前のことが載ってるぞ」


 後半はアレシュに向けて言い、ミランは手にしていた新聞をつきつけてきた。

 アレシュは顔をしかめて首を後ろへ引き、どうにか紙面に焦点をあわせる。


 質の悪い紙の上には、やけっぱちのように巨大な見出しが躍っていた。

『深淵の使徒、ふたたび』という見出しの下には、崩れ果てた浄水施設と、その瓦礫の上に押された巨大な獣の足跡が細かなペン画で描き出されている。

 アレシュは受け取った新聞をしばし眺めたのち、ゆっくりと言う。


「深淵の使徒……僕たちのこと、か」


「そうだ。我々以外の百塔街の住民の抵抗活動も、すべて『使徒』の仕業ということになっているがな。そのへんは、怪我をしてまで頑張ったぶん、多少のおまけがついたと思え。表だって名誉を受けるのはお前だ。ほら、ここにちゃんと名前が出ている」


 ミランが指したところを見ると、なるほど、『深淵の使徒は、伝説の調香師、アレシュ・フォン・ヴェツェラとその館に集う者たちで構成されていた』とある。

 活字になった途端に見慣れない雰囲気をかもしだす自分の名前を見つめ、アレシュはわずかに首を傾げた。

 あまりにも虚を突かれたため、何をどう感じていいのかすらわからない。

 とりあえず、アレシュは記事を指で弾いて言った。


「色々間違った記事だな。まず『伝説の調香師』っていうのがまずい。僕は『伝説の無職』だよ。これじゃ調香の依頼が舞いこみかねないじゃないか」


「いいではないか、この際いい機会だから無職は卒業しろ! 昔は自己流でやっていたのだろう? 真面目にやれば、きっと出来る。さあ、これからは忙しくなるぞ! 調香師として、そして使徒として、この街の奴らもやっとお前のことを認めるようになる。お前の、真の実力と統率力を評価することになるのだ!」


「『アレシュの腹心は天才符術士ミランである。彼の伝説は彼の幼少期に遡り……』以下延々とお前の賛辞が続くが、ひょっとしなくてもこの記事を新聞社に売りこんだの、お前か? ミラン」


 試しに聞いてみると、ミランは天井を仰いだまま鼻歌を歌い始めた。

 もはや芸術的なまでに、嘘をごまかせない男だ。

 追求するのも面倒になり、アレシュは小さくため息を吐いて話を進めた。


「記事によると、上水施設は僕の呼んだ客人が踏み潰したんだな? カルラとルドヴィークも無事とあるけど、今はどうしてる?」


「貴様の呼んだ魔界の住人は香水の効果が切れるまで大暴れして、凍死を免れた教会兵もほとんど片付いた。施設が壊れたせいで街は少々水不足だが、広場ごとに井戸もあるし、何せ今回は事情が事情だ。特に不満は聞かん。

 カルラは祭壇を元通り閉じるのに、あれからつきっきりだ。本来なら何百年もかかるものを七日で終わらせると気合いを入れていたぞ。ルドヴィークは組織のお守りだ。街に残っていた教会兵のほとんどは葬儀屋が片づけたからな」


 なぜか誇らしげなミランの報告に、アレシュは心の底からほっとする。体から変な緊張が抜け、心臓の辺りが淡く温かみを帯びてくる気がした。その温かみはゆるゆると全身に流れ出し、痛みをわずかながら軽くしてくれる。

 アレシュは自然と子どもっぽく微笑み、ソファの背もたれにもたれかかった。


「大した活躍だ。みんな、すごいな」


「他人事か? 貴様こそ、あんな人間離れした技を使っておきながら」


 揺らがぬ笑顔のミランに、いつもなら『当たり前じゃないか、この僕だよ』などと答えるアレシュだが、今日は喉に言葉が詰まってしまった。

 様々な記憶が脳内で渦を巻き、どこから話せばいいのかさっぱりわからなくなって、しまいにはめまいがしてきたので、アレシュは話を逸らすことにした。


「……それより、お前は大丈夫なのか。怪我とか、そういったものは?」


「俺か? 俺は例の呪いのおかげでな。見てのとおりだ」


 大げさに胸を張るミランをじろりと見上げ、アレシュは彼を指で招く。


「そうか。下僕、こっちへ寄れ。もうちょっと。そう、身をかがめて」


「ん? なんだ、いつもは『あっちへ行け』ばかりなのに。珍しいな」


 怪訝そうに言いつつも寄ってくるミランに手を伸べ、アレシュは彼の外套をがばっと左右へ開いた。ものすごい冷気が流れ出して一瞬眼前が曇り、アレシュは顔をしかめる。

 当のミランは野太い悲鳴をあげてアレシュの手をふりほどくと、大きく後ろ跳びさがって叫んだ。


「おおおおおお!! おおおおおお前、な、なんなのだ突然! 俺を脱がせて、どっ、どどど、どどどどどどういうつもりだ!」


「そうですよ、ご主人様!! 脱がせたり脱がされたり、そういう行為はせめて女性相手にしてください!」


 さっきまでおとなしく成り行きを眺めていたハナが、色をなくして騒ぎに加わる。

 アレシュは痛みを堪えて咳きこみながら、軽く片手を振った。


「こんなこと女性にはしないよ……失礼だろ。怪我でも隠していたら嫌だと思ったんだけど、平気そうだね。ならいいんだ。でも、ミラン。お前はもうちょっと自分を大事にしろ。お前は僕を助ける必要なんかなかった。……五年前も、七日前も」


 なるべくこともなげに、言えた――と、思う。

 

 呪われたミラン。呪いが解けない限り不死ではないかと言われているミラン。

 それでも、アレシュの力が加われば一体どうなるかわからない。

 この街では、おせっかいは毒だ。持ち主を殺す、即効性の毒。

 さっきは彼が来てくれて、正直ほっとはした。でも、いつまでも甘えていてはいけないと思う。この街で長生きしたいのなら、ミランはもっと……。

 

 そこまで考えたところで、パァン!! と派手な音がサルーンに響いた。


「…………?」


 数秒後。

 わずかに痛む頬を押さえて、アレシュはきょとんとしている。

 見上げると、ミランが猛禽の瞳でアレシュを見下ろしていた。

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