第41話 百塔街の掟
(こいつ……靴にも、金属仕込んでる)
あまりの痛みに、身じろぐことすらできなくなった。
かすかにあえぐ。それだけで痛い。とにかく痛い。汗が止まらない。苦しい。
クレメンテとミランの会話が遠く聞こえる。
「――っ、おい、俺の弟分に何をしてくれるのだ、貴様は!」
「あなたには善良さの欠片がある。しかし今は彼に同情すべきときではない。彼の存在は誰の得にもなりません。下がりなさい」
「ふ。得だと? ばかばかしい! 俺が見かけ上の損得で動くような者に見えたか? 貴様はさっき言っていたな。アレシュは神にも、ひとにも、魔界の住人にも忌まれると。いいではないか。だからこそ、アレシュはこの街の象徴なのだ!」
「象徴? 彼が?」
「そのとおり!! 俺は五年前、実際に奴のやったことを見た。あんなのは初めてだった。誰かに口外したことはないが、どこからかアレシュの正体についての情報は漏れているだろう。そういう街なのだ、ここは。
だが、俺はもちろん、この街の住人は誰もがアレシュの存在を許してきた。――なぜだと思う?」
(……なんの話だ、一体)
ミランの言いようが引っかかり、アレシュは彼を見ようと視線を動かした。
その拍子に、自分が手にしているアマリエが視界に入る。
正確に言えば、アマリエだと思って、祭壇の中から引きずり戻したもの。
『それ』の大体の輪郭をとらえた時点で、全身が総毛立った。
(これは……!)
アレシュの白い片手に握られているのは、混沌だった。
アマリエをいったんばらばらにして、でたらめにくっつけなおし、さらに植物とも海産物ともつかない極彩色の水玉模様の断片や、妙につるりとしたバネや大量の釘を差し込み、さらにむちゃくちゃに混ぜたようなしろもの。
あまりの無秩序ゆえに生理的嫌悪感を絶妙に刺激する塊は、生き物みたいに蠢きながらゆるゆると姿を変え続けていた。
これが、自分の『人間界と魔界を混ぜる』力がもたらしたものか。
サーシャもこんなものになったのか、と思うと、吐き気が喉もとまでせりあがってくる。こんなものを見せつけられて、未だに正気で居るミランが理解できない。
それともあの男も、とうに狂っているのだろうか?
混乱するアレシュの頭上で、クレメンテはなおも悲しげにミランに告げた。
「人々が彼を放置したのは、恐怖からでしょう。彼を滅ぼすのは実に難しいと思います。でも、わたしなら……」
「ちっがーう!! ばかかお前は!」
力一杯ミランが叫んだので、アレシュは今度こそぎょっとして顔を上げる。
クレメンテと対峙したミランは、血のにじんだ顔で妙に堂々と言い放った。
「アレシュはありとあらゆる世界の決まりを破る存在かもしれんが、百塔街の掟だけは守っていた。だから文句を言われなかっただけだ! 義務を果たしさえすれば、あとは好き勝手やればいい、それがこの百塔街。その象徴こそが、アレシュだ!」
(どんな理屈なんだ、それは……!)
適当なことを自信たっぷり言い切るミランに、アレシュは頭をかかえたくなる。
本当に、ばかなんじゃないのか。いや、確実に、ばかだ!
今すぐ殴ってやりたい、そんな気持ちがアレシュの弱った心と体を奮い立たせた。
少しだけ気が楽になったのを感じ、アレシュはゆっくりと息を吸う。
すると案の定、痛みが全身に回って目の前が一瞬真っ白になる。
けれど、どうにか。……少しなら、動けそうな気もした。
そこへ、クレメンテの声が響く。
「あなたたちはことの重大性がわかっていないのです。わたしは神の使い。この街から世界を壊すわけにはいきません。
神よ。偉大なる、ゼクスト・ヴェルトよ! わたしに力を!」
声が途切れるか途切れないかのうちに、クレメンテの全身を光が覆った。
視界が真っ白に塗りつぶされるのとほとんど同時に、アレシュは片手に握っていたもの――かつてアマリエであったかもしれないもの――を、クレメンテめがけて投げつける。
「――……っ!」
クレメンテは飛来するものの気配に気づいたのか、はっとして振り返った。
彼はそのままクレメンテもなく『それ』をはらいのけようとしたが、『それ』は、じゅう、と何かが焼けるような音を立ててクレメンテの籠手に貼りついてしまう。
そのうえ、その場で音もなく四散した!
「なんですか、これは! っ、あ……まさか……!」
クレメンテは初めてあからさまに顔色を変え、動揺を示してよろめく。
「これは……おい、アレシュ! どういうことだ!」
ミランが目を瞠って訊いてくるが、アレシュもそれに答えている余裕はない。
四散した『それ』の欠片はクレメンテの頬や腕に貼りつき、じわじわと火傷じみた赤い傷を広げているところだ。
クレメンテは必死にはがそうとしているが、かつてアマリエだったものに触れた途端に彼の皮膚は引きつれ、ねじ曲がり、皮膚自体が何か別の形でも表そうかとでもいうように蠢きはじめている。
(おそらくは、僕の力が――人形に残っていたんだ。僕の力は、神界と魔界をすら、混ぜるんだ!)
クレメンテがひるんでいる隙に、アレシュが叫ぶ。
「ルドヴィーク、祭壇の蓋を閉じてくれ!」
ルドヴィークがはじかれたように顔を上げ、アレシュを見つめて一瞬ためらう。
それはそうだろう。彼のアマリエはとんでもないものに変質してしまった。
だめか、と思ったろころへ、急に紫色の巨大な影が落ちてきた。
派手な金属音を立てて祭壇の上へ着地したのは、巨大な蜘蛛と蟹の中間のような姿のカルラの使い魔だ。
その背には、カルラ自身もたたずんでいる。




