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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第1部 廃王国の六使徒
37/112

第37話 なくしたものは取り戻せるから

「……ルドヴィーク?」


 見たこともない彼の動揺に、アレシュの視線が持っていかれた。

 直後、ルドヴィークはいきなり剣を振り捨て、自分の外套の心臓の位置をつかむ。


「アマリエ……! アマリエ?」


 彼が呼ぶのは愛しい人形の名だ。

 アマリエがどうした。彼はどんな戦いのときにも、アマリエをけして離さない。まさか、大立ち回りの間にアマリエが壊れた、もとい、負傷でもしたのか?

 アレシュが彼の名を呼ぼうと欄干から身を乗り出したとき、祭壇の隙間からひときわ強い光が零れた。


 同時に、ルドヴィークから甲高い悲鳴があがる。


(そうか、そういうことか!)


 アレシュの脳裏にひとつの考えがひらめく。

 その瞬間、アレシュは空中回廊を走り、欄干を乗り越えてルドヴィークのもとへ飛び降りた。急激に貯水槽の底が近づきいてきたかと思うと、衝撃が身体を突き抜ける。

 うまいこと堪えられずに、無様に床に転がった。


「これだから、肉体労働は嫌いなんだ……!」


 悪態を吐きながら床に手をつくと、そこは血でぬめっていた。

 だが幸い、五体満足で戦える教会兵は今のところひとりもいない。アレシュは何度か滑りながらモザイクタイルの床を踏みしめ、ルドヴィークの腕をつかんで声をかけた。


「ルドヴィーク! アマリエに何かあったのか。あの子は……ひょっとして、《《呪われた人形》》だったのか?」


「…………」


 ルドヴィークは答えない。

 ただ、黒眼鏡の奥で限界まで瞠った目をアレシュのほうへと向ける。

 彼の外套の隙間で、筋張った手が震えているのがわかった。

 彼の手の中を見つめて、アレシュもまた目を見開く。


「これは――」


 今、ルドヴィークの手の中にあるのは、アマリエの三分の一ほどだった。

 人形は、顔も、体も、衣装ごと縦に裂け、三分の二を失っている。

 斬られたわけではない。

 人形の断面は腐食したかのようにぼろぼろで、まばゆい金色に光っている。

 粘土細工の人形は砂金に変わりつつあるのだ。こぼれた砂金は風に乗り、残らず祭壇の隙間へと吸いこまれていく。


 簡単な話だった。アマリエはあらかじめ強く呪われていた。

 もしくは、人形のふりをした魔界の生き物だったのかもしれない。

 ルドヴィークですらそれを知らなかったせいで、彼は神界の力が満ちたここへ下りてきてしまった。


「ルドヴィーク、少しでも祭壇から離れろ!!」


 とっさにアレシュは叫んだ。


「ばかを言うな。わたしに命令だと? この、わたしに? は、はは、あはははは、ははははは……わたしに! 命令を!!」


 ルドヴィークはすっかり正気を失っている。

 高さの安定しない叫びは不気味そのものだが、いまさらそんなことでひるんでいる暇はない。こうしている間にも、アマリエはどんどんと祭壇に吸いこまれて行く。

 

 アレシュは赤い瞳をきらめかせて怒鳴った。


「ああ、命令だ!! 僕はただの人間だ。親の遺産を食い潰すしか能も無い。だが、ただの人間だからこそ、神気を浴びても死にはしない! この僕があなたのアマリエを取り戻して、祭壇を閉じてやる。だから、どいていろ!」


 彼の声は不思議な迫力を持って響き、辺りの大気がかすかに震える。

 ルドヴィークはわずかに震え、のろのろと顔を上げた。

 気味の悪い瞳と、アレシュの赤い瞳がかち合う。

 いつもはただ妖艶なだけのアレシュの瞳。その奥にぽっちりと灯った赤い光を見たルドヴィークは、どこか操られるようにふらふらと祭壇から離れた。


「それでいい。僕の火事場の馬鹿力に期待してくれ」


 アレシュは微笑んで言い、光を零し続ける祭壇の隙間へ己の腕を突っこんだ。


「アレシュ! 何やってるの! それは駄目よ、やめて、アレシュ!」


 カルラの悲鳴みたいな声が聞こえる。

 みっともない、それが千歳にもなる魔女の声か。

 アレシュはほんの少しだけ笑ってしまう。彼女はいつだって大げさで、悲観的だ。


「大丈夫!! 僕、こういうことには慣れてるからね!」


 叫び返してから、アレシュは少しだけ不思議に思った。


 こういうことって、なんだ?

 僕は、何に慣れてるんだろう?


 なんだかよくわからない。ただ、妙な確信だけがある。

 この、瞳を焼く白い神の光。その中に消えていったもの。


 《《それを無理やりに取り戻す方法を、僕は知ってる》》。


 どこでやったんだっけ、こんなこと。

 うまく思い出せないけど、とにかく慣れている。

 一度失ったものは取り戻せるんだ。信じてさえ居ればもどってくる。

 大丈夫だ。とにかく今は集中しよう。こういうときは、相手の姿形をはっきりと思い出すのが大事なんだ。

 えーっと、アマリエはどんな姿だったっけ。

 粘土細工とは思えない、綺麗な子だったよな。

 陶器も同然に磨き上げられた白い肌。髪の毛はまっすぐで、さらさらで、いつだって丁寧に整えられていた。指は少女らしくふっくらで、桜貝みたいな爪が生えていたっけ。

 

 アレシュは、祭壇からこぼれる白い光の中に、アマリエの姿を思い描く。


 ――と、その輪郭は徐々に実体を持ち始めた。


 アレシュの記憶をよすがに、ぱらぱらと『何か』が寄り集まってくる感覚。

 祭壇の中で生暖かさだけを感じていたアレシュの指に、段々と堅い感触が戻ってくる。これはアマリエの感覚だ。そうだ、アマリエ。


(帰ってきて、アマリエ。ルドヴィークの大事な、アマリエ)


 最後に強く呼ぶと、祭壇の蓋の隙間から零れていた光がわずかに薄らいだ。

 今だ、とばかりにアレシュは力をこめ、掴んだものを祭壇から引っこ抜く。

 

「……ほら、できた。ルドヴィーク、アマリエだよ」


 引っこ抜かれたものは、確かに見覚えのある少女人形だ。吸いこまれる前と、髪の毛一本だって違っては居ないだろう。

 アレシュはほっと安堵して笑い、人形を抱いて振り返る。

 ルドヴィークはこちらを見ていた。


「アレシュ。……あなたは……」


 なんでだろう。彼はいつもより人間的な顔で、アレシュを見ている。

 アマリエではなく、アレシュを。


「ルドヴィーク? どうしたんだ? 

 こんなときだ、僕じゃなくてアマリエを見ろよ。おかえりって言って抱いてやってくれ。……ああ、ひょっとして、僕がアマリエを抱いているのが気に食わない? ごめん、こんなときだから無作法をした。もう返すよ。さあ、手を出して」


 せっせと話しかけても、ルドヴィークは歩みよって来ないし、アマリエに手を伸ばすこともしない。

 ただ、アレシュを見ている。

 驚いたような、哀れむような、懐かしむような……そうだ、これは、親しい人間の死体を見るような目だ。


「ルドヴィーク……? あなた、変な目をしているよ」


 途方に暮れたアレシュが囁いたとき、頭上で美しい音が響いた。

 全身が緊張し、意識が上へ向く。

 円蓋形の屋根があるだけの、頭上。

 そこから、ひらひらと花びらが落ちてきた。

 辺りがかぐわしい花の香りで満たされる。香水ではなく、生の花の。


(さっきまでこんな匂いは少しもなかった。まるで、何もない空間から花が生まれたような……)


 そんなの、ただ奇跡だ。

 とっさに誰かの顔を思い出し、アレシュが身を翻そうとした、が、間に合わない。

 すとん、と、目の前にひとりの男が着地した。

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