第34話 地下水道での儀式
百塔街に上水道が最初に作られたのは、はるか二千年以上も昔のこと。
二千年前といったらもちろん百塔街ができる前だし、その前身であった呪われた国ができるよりもさらに前。はるか古王国時代の設備ということになる。
だからといって機能が劣っているわけではない。百塔街の地中に張り巡らされた当時の水道は傾きだけで遠くの川から水を運んで浄水までしてのけるしろもので、今も充分現役である。
そして今、その浄水施設はかつてないほどのひとにあふれていた。
「我らが神、偉大なる、ゼクスト・ヴェルト神よ! 今、我々の世界への扉を開き、この穢れた水を清き神の慈愛へと変え給え。この街に浸みたる呪いを、その根から浄化され給え!」
ひとりの教会兵の声を合図に、浄水槽に集まった兵士たちの歌がうねるように盛り上がった。湿った空気が震え、その震えが巨大な地下水槽の水面へと伝わり、わんわんと反響する。
そう、そこはまさしく地下宮殿じみた空間であった。
高い円蓋を支える柱が林立した荘厳な大広間。その床が残らず青い水で満たされている。こここそ二千年前に作られた浄水槽だ。水槽は階段状になっており、奥へ行くにつれて浄化される仕組みとなっている。
どこか神秘さえ感じさせるその場所を、ぐるりと囲む空中回廊。
整備用に作られたであろうその場所に、今はぎっしりと教会兵の姿があった。
数で言えば、二百人近く。
一糸乱れぬ様子で歌を歌い続ける教会兵たちの間で、ふと、何事かが囁き交わされる。
「何? ラウレンティス様が来られない?」
「ああ。今、あちこちで同時に仲間が行方不明になってる。百塔街側の大規模な反抗が始まっているのかもしれない。猊下はそちらを直接確かめるそうだ」
「大規模な反抗――ついにきたか。では、儀式のほうは」
「先に始めているように、と」
そうか、と派手な礼服を着た士官がうなずき、眼下の水面を見やった。
ゆれる水面の下、モザイクタイルを貼った水底には、なんと聖ミクラーシュ教会にあった純銀の祭壇が移設されている。
恐ろしい重量を持つ祭壇を、地下水路を使ってこっそりここまで運ぶ――それだけで途方もない手間だが、彼らの信仰心と義務感は見事面倒な作業をやってのけた。
もちろん、街の目立つところをクレメンテや教会兵たちが練り歩くことで、この地味な作業の目くらましになっていたのも間違いない。
(祭壇を扉として神界と浄水槽を繫ぎ、百塔街全体の水を聖水とし、あらゆる呪いを浄化する。失敗は、ゆるされんな)
士官は緊張で乾いた唇をしめし、高らかに声をあげる。
「さあ、今こそ扉が開かれるとき。第七の門よ、我らの前に開かれよ!」
「開かれよ!」
教会兵たちが唱和するとびりびりと水面が震え、振動が水を伝わっていく。わずかな時間で祭壇まで震えが到達すると、ずるり、と祭壇の蓋がずれたのがわかった。
――もう少し。あと少し。すでに術は完成している。
目に見える成果に元気づけられ、ますます歌声は高まり、不協和音を含んだ音が浄水施設をいっぱいに満たし、これ以上はどんな音の入る隙間もないと思われたとき――変化は起こった。
いきなり、なんのきっかけもなく水に亀裂が走る。
そう。《《水が割れた》》のだ。
これぞ、エーアール派のみがなし得る奇跡。
水は祭壇の真上でまっぷたつに割れ、あっという間に複雑なモザイクタイルの床が、銀の祭壇が、大気に触れる。
かき分けられた水は祭壇の左右でぷるぷると震えながらそびえ立つ。
その間に、祭壇の蓋はさらに、ずる、とずれた。
(よし、成功だ。もう少し……もう少しで、扉が開く)
奇跡は確かに起こっている。
士官はなおさら緊張して拳を握り、自分も声を出して奇跡を呼ぶ歌を歌い始めた。奇跡。それは、呪術と鏡写しの技。すなわち、呪術は魔界の力を引き出し、奇跡は神の力を引き出す。
百塔街の住人には『出不精』とされる神だが、この人数が命を賭けて喚べば、必ず答えてくれる。何しろここには、クレメンテがいるのだ。
神の寵児、奇跡を衣のようにまとう男。
彼のことを思えば、教会兵たちの心は安らぐ。彼らは全てを忘れ始める。百塔街にいるという恐怖を。呪術師たちへの恨みを。奇跡を成功させなければという焦りを。成功したい、誰かに目に物を見せたいという欲を。
あらゆる欲が消えたのちの安らぎは彼らの声を安定させ、その歌詞と節によって神界の扉を叩き続ける。
さあ、開いて。
扉を開いて、こちらへおいでになってください。
ここはあなたのいるべき場所。
あなたの世界の前庭。
みずみずしい祈りを感じに、是非散歩にいらしてください。
神よ――私たちは、ここにいます。




