第28話 竜の暗示
サルーンの隅にぽつんと出現した扉を、ハナが無造作に開ける。
きぃ、とかすかな音が響き、サルーンの床に明かりがこぼれた。扉の向こうに広がっているのは、細長い、井戸のような魔界の書庫である。
カルラは何度か瞬いた後、ぱあっと顔を明るくした。
「ハナちゃん! ついに私に心を開いてくれたの? 嬉しいわあ、私、この書庫の中が見たくて見たくてたまらなかったの!」
「本はすぐ返してくださいね。持って帰ったら殺します」
「わかったわ、殺して!! じゃなくて、返す、返す、返します。あー、もう、この古い本の匂い! 紙の匂いだけじゃなくて、獣とか人間の乾いた皮の匂いもぷんぷんよ。ぞくぞくするわねえ!」
カルラは頬をうっすら紅潮させ、うきうきと扉の向こうの異界に突っこんでいく。
ハナはむすっとしているが、カルラをさえぎることはない。
いつもとあまりに違う態度に、アレシュは少し不安になった。
「ハナ。お前、また石けんをチーズと間違って食べたりしたのか? どうしてそんなに聞き分けがよくなったんだ」
怪訝に思って声をかけると、ハナは高速で振り返ってアレシュをにらむ。
「あなたは本当にばかです、ばかの中のばか、缶詰の底にへばりついて残ってカビたバターくらいのばかです。とことん弱いのにこんなときだけいい顔をして。あなたは中身のないぺらぺらな人間なんですから、いっそ一生女遊びをして暮らしていればよかったんです。そうでないなら、せめて私のことも使徒に数えるべきです」
「それは、お前も戦ってくれるということ? でも、まだ小さなお嬢さんなのに」
カルラはもう論外として、女性を荒事に巻きこむのはアレシュの趣味ではない。
メイド仕事だって手が荒れるくらいなら手抜きしてくれるほうが気楽なのに、戦いとなるとどうしても気は進まない。
彼の表情が曇ったのをどう思ったのか、ハナはやけにうるさく足音を鳴らしてアレシュに歩み寄ると、その袖をぐっとつかんで告げた。
「私は魔界の住人ですよ、アレシュ」
「うん、知ってるよ。でも、お前から直接出自を聞くのは初めてのような気がするな」
「この角を見たら絶対気づくと思っていたから説明を省略したんです。とにかく、私はあなたたちの常識の範囲内の存在ではないんです。小さいから若いとも弱いとも限りません!」
「でも、今のお前はうちの屋敷の使用人で、小さなお嬢さんだよ。僕が守るべきひとだ。これは間違いない」
こんなところは頑固に言い張るアレシュに、ハナはぐっと唇をかみしめて視線をそらした。
怒らせてしまったかな、と思うも、ハナがアレシュの袖を放す様子はない。
「ハナ。ひょっとしておなかが痛いんじゃなくて、おなかが減ってるんじゃないのか? 最近色々あったからな。これが終わったらお菓子でも買ってくるといい。果物の漬けたのが入ってるケーキと、氷った葡萄で作った甘い葡萄酒がいい」
「…………それ、ご主人様の趣味ですよね」
「うん。一緒に食べよう。花でも飾って、君の好きな音楽をかけて」
アレシュが優しく言って頭を撫でてやると、ハナはますます黙りこくった。
一方でミランはぎくしゃくと席を立ち、アレシュのほうへとやってくる。
「アレシュ。待て。まあ待て。俺は今、貴様と一度拳で語り合わねばならん予感に全身が震え、へぶっ!」
叫んだミランの背中に、いきなり出現した扉による一撃がぶち当たった。
もちろん、ハナが出した扉だ。
ミランは大いによろけ、「やはり顔か……」などと言って悲しそうに床にうずくまる。
一方のカルラは、手にした本に夢中だった。
「アレシュ、竜について書かれた魔法書を見つけたわ。いい? よーく聞いて。最近のクレメンテと、一番多く触れあったのはあなたよ。今から私が、時代と場所と世界をまたがって竜が暗示するものを言うから、ぴんとくる言葉を教えて。感じたこと、なんでも喋って」
「わかった。言ってくれ、カルラ」
アレシュはうなずき、なるべく集中しようとする。
魔法にはとことん疎い自分だが、美や香りにはそれなりに感受性もあるのだ。感受性の強い人間は、魔女にかかればそれなりの直感力を発揮できる。相手がカルラならなおのこと。




