第27話 魔女は占う
アレシュは穏やかに笑って、うなずいた。
「うん。君が僕から離れていったとき、僕は苦しくて、苦しくて、君に捧げた心を切り離してしまった。だからもう、君のことは昔みたいに愛してない。愛していたら、こんなことは頼めない。たくさん危ない目に遭わせるだろうからね。でも、今なら言えるよ。
――もう一度、この街のために戦ってくれないか?」
真摯に言うと、カルラの顔からは徐々に悲しみの色が薄れていく。
彼女はすぐにくすぐったそうな、けれど少しだけ不安げな笑顔になった。
「なんだかなあ。本当に育っちゃったのね、アレシュ……。嫌だな。どれだけ若い子とつきあっても、結局そうやって私を置いてくんだもの」
「それでも、今は一緒だ」
少年だったころの恋を思い出しながら、アレシュは微笑む。
するとカルラはほんのりと頬を赤く染め、わずかに瞳を潤ませた。泣きそうに顔をゆがめるのをどうにかこらえる風情で、何度か失敗した後、どうにかぎこちなく笑って見せる。
「……うん。それもまあ、そうよね。戦ってる間は一緒。わかった。じゃ、やってみるわ。ちょうど失恋したところで、暇だし」
「ありがとう、偉大なる百塔街の魔女」
アレシュは囁き、今度は恋人のようにではなく、礼儀正しく目を伏せて彼女の指に口づけた。
カルラはもう何も言わなかったが、ハナは盛大に鼻を鳴らす。
アレシュは無表情で怒りに燃えるハナに微笑みかけてから、ルドヴィークに問うた。
「君はどうだい、ルドヴィーク」
「そうですな……」
彼は皺深い口元をつるりと撫でたのち、少し早口で言う。
「――よろしい。それではわたしも、あくまで一個人としてあなたにご協力いたしましょう。葬儀屋のほうは若手がどうにでもいたします。わたし個人はお父様へのご恩も、あなたへの友情もありますし。
何より、あの司祭殿には、剣を砕かれた礼をせねばならんと思っていたところなのです」
剣のことに言及したとき、ルドヴィークの瞳はえもいわれぬ色に輝いた。
常人なら黒いレンズごしでも総毛立つであろう、死の気配を含んだ色だ。
(やっぱりだ。ルドヴィークは、クレメンテに剣を砕かれたことを相当恨んでる)
このような非常事態にルドヴィークが葬儀屋に帰るのをためらっていたのは、彼がただの個人としてクレメンテに相対したがっている合図だったのだ。彼に軽くあしらわれたそのときから、ルドヴィークの頭は復讐のことでいっぱいに違いない。
アレシュは彼の妄執を好ましいものとして眺め、笑って首を傾げる。
「心強いよ、ルドヴィーク。――下僕はまあ、僕についてくるのは当然だからいいとして」
「いや、待て! ここまできて俺を省略するな、もっと情熱的に本心から口説いてきていいのだぞ!? 力一杯受け止めるぞ、俺は!」
「僕の本心は『下僕は足手まといになるから家で寝てたほうがいいんじゃないか』という気持ちが三割、『それでも盾くらいにはなるんじゃないか』がさらに三割、残りが『心の底からどうでもいい』っていう感じだ。あらためて言おうか?」
「よし、ならば言わなくていい!」
「だったら黙って自分のしあわせをかみしめててくれ、下僕」
勢いこむミランを軽くいなし、アレシュは煙草をくわえて思考をめぐらせ始めた。
「さて。それでは『深淵の使徒』としては、まずは敵の出方を調べないとな。カルラ、クレメンテの現在の居場所は占えるか?」
「もちろんよ。なあに? クレメンテを待ち伏せでもする?」
こらえた涙の余韻か、くぐもった声でカルラが言い、衣装の胸ポケットから小さな鈴をふたつ取り出す。
彼女は使い魔を使う強力な魔女だが、古式ゆかしい魔女の占いにも秀でている。
それは魔女だけに伝えられてきた様々な知識をこの世の事象とすりあわせ、研ぎ澄ませた直感で真実に迫る方法だ。もちろん当たることも当たらないこともあるが、なにせカルラの知識と経験は常人とは比較にならない。
かなりあてにしていいはずだ。
アレシュは光る鈴を見つめて、少し考えこんだ。
「最終的にはそうなるかもしれないけど、もうちょっと芸が欲しいな。敵が七日で本当にこの街を浄化する気なら、何か作戦があるはずだ。出来ることなら、あいつが何を考えているかを知りたい」
「クレメンテの今の考えを占うなら、彼が言った言葉を知ることが必要ね。言葉は多ければ多いほどいい。新しければ新しいほどいい。彼が描いた絵があれば、もっと精度は上がるわ」
――絵。
そう言われて、ぱっとアレシュの脳裏に浮かんだ画像がある。
赤と黒で描かれた竜。花の香りのまがまがしい絵と、謎の伝言。
――あれこそ、格好の材料ではないのだろうか。
アレシュはうつむけていた顔を上げ、赤い瞳を密かに光らせてカルラに告げた。
「僕はこの前、クレメンテが描いたと思われる竜の絵を見たよ。実物を見せるわけにはいかないけれど、説明は出来る。葬儀屋の死者の家の地下室の壁に描かれた絵だ。赤と黒、血と灰で描かれた竜。『わたしは蘇り、竜を殺す』っていう伝言の上に描いてあった」
カルラは、りりん、と手の中に包んだ小さな鈴を鳴らして集中力を高めると、椅子に腰掛けたまま思案する。
「なるほどね。血と灰は、強烈な生と死の暗示だわ。蘇りを感じる。灰の中から、血を持つものが蘇る。そして、竜は……どの解釈かしらねえ。感じることは多いけど……言葉の助けに、魔法書がほしい」
魔女の使う魔法書はそれ自体に神秘が隠されているわけではなく、眼前にある神秘を翻訳するのに必要な手引き書のようなものだ。
アレシュは腰を浮かせながら答える。
「魔法書か。うちの地下にも多少はあるよ」
「……書庫なら、ここに」
いかにも不機嫌そうなハナの声に、アレシュとカルラは意外そうな顔を上げた。
見れば、サルーンの隅に扉がひとつ、立っている。
その横に立つハナはいかにも不機嫌そうだが、それなりに慇懃な態度でカルラを手招いた。




