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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第1部 廃王国の六使徒
25/112

第25話 「深淵の使徒」復活

「つまり、あの子は神様の寵児なのよね。それもとんでもない水準の」


 カルラは言い、優美に足を組んで茶器に口をつけた。

 百塔街一の遊び人と、インチキ符術師と、葬儀屋の首領と、魔女がクレメンテに出会った翌日。

 彼らはまだ全員そろってヴェツェラ邸にいた。

 今日のカルラは一体どこから取り出したのか、紳士服仕立てのぴったりした上下を着こんでいる。いかにも女性的な容貌と男性的な格好があわさると、派手なドレス姿より余計に色っぽく見えるのが不思議だ。


「神の寵児、か。奴に限って言えば、小洒落た比喩ではないのだろうな?」


 渋い顔で言うのは、いつもの外套を着こんでソファーに収まっているミラン。

 その横では、ルドヴィークが少女人形のアマリエをじっと見つめて沈黙している。

 ハナはというと、帰ろうとしない訪問客に業を煮やしているようだ。乱暴にお茶を配り歩いて、それが終わると『もう知らない』とばかりにサルーンの隅の黒塗りの卓上へよじ登って膝を抱えてしまった。

 アレシュはいつもより味気ない細い葉巻をつまみ、椅子の肘掛けにほおづえをついて言う。


「あの司祭が僕らに使ったのは幻術ではなかったと思う。そもそも幻術は呪術の一種だ、まともな聖職者は使わないと思うけれど――実際のところどうなんだ? カルラ」


「あれは奇跡よ、間違いなく。まあ、神様の力を借りた魔法って言ってもいいけれど。そもそも魔法って、摩訶不思議な法のことじゃない? つまり、異世界の法則をこっちの世界で無理やり通用させちゃう技なのよね。私たちみたいな魔女や呪術師は魔界の、聖職者は神界の法則を、こっちの世界に持ちこんでいるわけ」


 十歳やそこらの子供に教える声音でカルラは言い、宙に指で線を描いて見せる。

 おそらく彼女にとってみれば、ここにいるほとんど全員が魔法に未熟な幼児のようなものなのだろう。

 カルラは続ける。


「その方法は、おおまかに言ってふたつ。異世界とこっちの境界……これは常に揺れ動く波みたいなものなんだけど。この境界の位置を術者の周りまで動かして、この世界に属するものを異世界の法則で動かす方法。もうひとつは境界に穴を開けて、向こうの存在に出てきてもらう方法――簡単に言うと、召喚魔法ね。

 百塔街にはあらかじめ魔界に通じる穴がたくさんあって上から軽く封印してあるだけだから、後者の方法は比較的簡単よ。ちなみに私は後者の方法でつかまえた使い魔の力を借りて、前者の方法で世界の法則を動かしてもらう派なの。使い魔が消えちゃうと、できることは限られるわ」


「……いや、そのような魔法の基礎ならだな、天才符術師のこの俺ならば当然わかっている。俺の護符は俺の心臓に開いた魔界への穴からの力を借りて効力を発しているからな。

 だが、あのクレメンテという男は気軽に奇跡を起こしすぎではないか? そもそも神というのは、魔界の連中より相当腰が重いと聞いていたのだが」


 自分の寒さに震えながらミランが言い、冷めた紅茶を大事にすすった。

 カルラはそこらの棒杭でも見るような目で彼を見て微笑み、宙に向けたままの指をくるくる回す。


「そう、本来神様たちはとっても強力だけれど出不精のはず。だから聖職者は、大勢がよってたかって頑張らないと神界への扉ひとつ開けない。だけど、クレメンテは生まれつき特別よ。

 彼は――そうね。たとえて言うなら、神様の家の玄関口で扉を開けて、こっちの世界のほうを向いて立ってるの。道ばたにいる私たちからは彼の姿が見えるし、彼からもこちらが見える。でも、彼がいるのは基本的に神界なのね。

 彼は神界の大気を呼吸しているし、彼には呼吸と同じ頻度で奇跡が起こり続ける。彼が触れたものにも、それは伝染るわ」


「はあ? なんなのだ、それは! それでは、奴は神と同一というか、少なくとも同類ということではないか!」


 うっとうしいミランの叫びを聞きながら、アレシュは自分のこめかみを叩く。

 カルラの言うことが本当ならば、アレシュにはクレメンテをどうすることもできない。百塔街の他の人間だってどうしようもできないだろう。

 ならばどうする。命惜しさに降伏するのか。

 ……今さら七門教の信徒になる?

 誰かに頭を下げ、誰かが決めた美しさに従い、誰かに言われたとおりに善と悪を選別するのか。それはどう考えても面白くない。第一、七門教は勤勉さを重んじているはずだ。無職のアレシュなど、その時点で悪と見なされるだろう。


 アレシュはカルラを見やって問いを投げた。


「さっき来たルドヴィークの部下の報告じゃ、クレメンテは七日でこの街を浄化すると宣言したらしいね。百塔街がこんなとんでもないことになったのは、三百年前以来なのかな?」


「三百年前って、あれでしょ。当時の七門教の総教主の号令で周辺諸国が連合軍を組んで攻めてきたときのことでしょ。派手だったわよねえ。ま、結局は私たちが勝ったけど。あのときに今度の新司祭様みたいなとんでもない子がいたら、危なかったかもしれないわ」


 カルラは軽くため息を吐いて言う。

 実際、当時連合軍が勝っていたら呪術師たちは世界に散り、石を投げられながら狩られ続けることになったのだろう。今までそうならなかったのは七門教にも七門教なりの損得勘定があったからにすぎない。

 百塔街の罪と効用、さらには攻め滅ぼそうとしたときの犠牲を思えば、今までは百塔街の存在を黙認するのが一番だった。

 だが、『勝てる』という確信が七門教側にあれば、事情は変わる。


(戦争か)


 あっさりと勤勉さに膝を折るよりは、魅力的な響きだ。

 誰かと共闘するのは面白いだろうか? それとも苦しい?

 毎日が死線をなぞるような世界になって、親しい友達が目の前で危険な目に遭って。……そこまで考えたところで、脳裏に赤い色がひらめいた。

 サーシャ。

 自分の唯一の友達。彼がもし生きていたら、彼と共闘することが出来たなら、それはさぞかし苦くてつらくて、きっとめくるめく刺激の日々だったろう。

 アレシュが考えこんでいる横で、ミランがうすら笑って声をあげる。


「ふん、ばかばかしい! クレメンテがいかほどのものだ。この街には数百年前からの呪いがまるでパイ生地のように折り重なっているのだろう? いちいち解呪していたら、いくら奴が若造だろうといずれ寿命がつきるはずだ!」


「あ、ミラン。そういえば、クレメンテはあれでもう八十代よ?」


 カルラに言われ、ミランはぴしりと硬直した。


「……何……?」


「言ったでしょ? あの子は奇跡の大安売りなんだって。お肌の構成要素一粒一粒とか、髪の毛一本一本について奇跡が起こり続けてるからこそのあの容姿よ。私、それがむかついて三十年前くらいから何度か喧嘩売ってたの。美を探求する乙女全員の敵よ、あんな奴! なのにあいつ、あのころよりさらに綺麗になってるし! ほんとのほんとに許せない……!」


 カルラの叫びが段々本気になっていくのも仕方あるまい。

 そんな中、ルドヴィークがすっと席を立つ。


「……さて。わたしはそろそろ、『喪の街区』へ帰らねばなりますまい。アレシュの死体盗難の疑いは晴れたわけですし、あの新司祭が百塔街を滅ぼす気ならあちこちで小競り合いが起こるころです。備えねばなりません」


「ふむ、そうか。立場のある人間は大変だな。歴史ある葬儀屋の同胞のために、頑張れよ!」


 嬉しそうにミランが言って手を上げるが、ルドヴィークは腕の中の人形を見つめるだけだった。顔にもまだ、笑みが戻っていない。

 その横顔を見つめて、不意にアレシュが告げた。


「待ってくれ」


「おい……」


 ミランがあからさまな『ばか言うな、とっとと帰ってもらえ』という合図を表情と手振り身振りで送ってくるが、アレシュは無視する。

 彼はルドヴィークだけを見つめ、穏やかに続けた。


「――ルドヴィーク。あの司祭、葬儀屋だけで仕留められるか?」


「これは心外なことを。わたしたちの力を疑うのですか? アレシュ」


 眼鏡の奥で、ルドヴィークの瞳がぎらついた。

 ぞわりと全身の肌が粟立つのを感じつつも、アレシュは甘やかに笑う。

 今は恐怖すら心地よい。自分の思いつきに、そこから起こるであろうさまざまなことに血が沸いているからだ。こんなことは本当に久しぶりだ。ひょっとしたら、生まれて初めてかもしれない。

 アレシュはソファーに腰掛けたまま、緩やかに両手を広げて微笑んだ。


「僕にひとつ考えがあるんだ。

 三百年前の戦争では、百塔街内部での各勢力の意地の張り合いがみなを一度は窮地に追いこんだと聞いている。でも、それぞれの勢力を無視して集まった六人が、硬直した事態を打開したのだったね。彼らをひとは、『深淵の使徒』と呼んだ」


「……アレシュ、貴様、まさか……」


 呆気にとられた顔でミランがつぶやく。

 最高に機嫌がよかったアレシュは、彼に片眼をつむって見せた。


「そうだよ。今こそ『深淵の使徒』再結成のときだ。さいわいここには百塔街最高の人材がそろってる。この素敵な街を浄化させるなんて僕はごめんだし、君たちも同じ気持ちだろう?

 だったら美と自由のために、また始めようじゃないか。――戦争を」

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