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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第1部 廃王国の六使徒
24/112

第24話 教会兵たちの天下

 その日から、百塔街の様子は一変した。

 エーアール派の教会兵が大通りを闊歩するようになったのだ。


「おはようございます、みなさん。三日前にこちらに着任しました、クレメンテです。今日は互いに挨拶をされましたか? 爽やかな挨拶は隣人を思いやる気持ちに繋がります。みんなで手に手を取って、こんにちは! これこそ神への道への第一歩です。さあ、わたしとご一緒にどうぞ!」


 澄み切った声で語られるばかばかしい話に、道行く人々は決まって生ぬるい笑みを浮かべた。

 ゼクスト・ヴェルト神の紋章を刺繍した旗を高く掲げて練り歩くのは、クレメンテとその部下の教会兵十人ほど。教会兵たちは限界まで重武装、クレメンテ自身は蝋燭一本の光でもびかびかに光り輝きそうな最盛装だ。


「そこの奥様。おはようございます。ご機嫌いかがですか?」


 恥ずかしげに言って小首を傾げるクレメンテがまとうのは、恐ろしく豪奢な白と金銀、そして水色をあしらった司教服。さらに両手に装飾過多の籠手をつけている。

 外の世界なら聖人の日にこんな格好の聖職者を見かけることもあるだろうが、百塔街でこれをやるのは『殺してください』という看板をくくりつけて歩くようなもの。

 その証拠に、クレメンテに話しかけられた奥様――実際には顔が半分爛れた老婆――は、彼をまじまじ見渡した後、にんまりと邪悪な笑みを浮かべた。


「ご機嫌は最悪だよぉ。何せ手が痛くてね。あんたがこの手に口づけてくれたら、多少はいい気分になるかもしれないねぇ」


 差し出された手は火傷の痕に覆われて引きつり、古い羊皮紙のようにごわついたうえ、一部には水疱が密集している。触れるのもためらわれる醜い手を見下ろし、クレメンテは悲しげにまつげを震わせた。


「これは本当に痛そうですね……。あなたの苦しみを思うと、わたしの心も痛みます。まるで、我がことのようだ……」


「うっ……!」


 彼が喋っているうちに、老婆は物理的なまぶしさを感じてうめく。

 一体何が光っているのかと目をこらすと、どうやら光源はクレメンテらしい。彼の肌が、瞳が、歯が、さらには髪の毛一本一本が、淡い光を発しているのだ。

 光をまとったクレメンテは、淡く光る指で老婆の手を包みこみ、傷みの激しい手の甲に優しく接吻した。


「あなたに、ゼクスト・ヴェルト神のお恵みあれ!」


「……んふふ。かかったね! 下手な幻術なんか使いやがって、最近の聖職者はろくなもんじゃないねえ? あんたたちの神さんの無能っぷりは、あたしの手にかかった呪いが教えてやるよぉ!」


 老婆は不気味な笑いを放ってクレメンテの手を振り払ったが、すぐに自分の手を見下ろして悲鳴をあげる。


「ひっ!? な、なななな、なんだい、こりゃあ!!」


 ただごとではない声に、にやにや笑いで見守っていた人々も注目する。

 老婆は自分の手首を掴み、真っ青になって身をよじっていた。

 その手は、さっきまで今にも腐り落ちそうだった老婆の手は、今や真っ白だ。粉をかけたわけではない。水泡はあとかたもなく消え、肌のみずみずしさやきめ細やかさ自体が十代のころに戻っている。

 そこだけ移植したかのような肌の白さは、なおもじわじわと老婆の腕を這い上がっていっているようだ。


「ひぃっ! なんだ? なんの幻、いや、違う、本当に消えてく!! あたしの毒が! せっかく何十年もかけて毒をしみこませた、あたしの手が! ただの手に戻っちまうよぉ! やめろ、やめろ、やめろぉ、あたしの商売道具に何しやがった!! 口づけたらイチコロのはずだったのに、なんで、なんで、あああああああ、あたしの毒が、消えちまう……!」


 泣きわめく老婆を見下ろして、クレメンテは慌てふためく。


「えっ、そうだったんですか!? 単なる病気かと思って治してしまいました。ごめんなさい!」


「ラウレンティス様、そこで謝る必要はありません。こいつはその毒でひとをあやめる魔女ですよ?」


 教会兵がおそるおそる口を出すと、クレメンテはしおしおとうなだれてしまった。


「なるほど。ならば浄化されたほうが、みなさん幸せになりますかね。とはいえわたしの見込み違いなのは確かですし、何か、酷いことをしてしまったような気分で……心がめげてきました。今日はもう帰っていいですかね……?」


「駄目です!! おつとめですから。というかですね、司教様が帰ったら我々は瞬殺されます」


「そうですよ、せめて告知だけしてください、告知だけ。教会に帰ったらシーツかぶって寝ていいですから」


 真剣な顔の教会兵たちに口々に言われ、クレメンテはようやくその気になったらしい。

 顔色悪くうなずき、心臓の位置にてのひらを当てて周囲を見渡す。

 そして、高らかに呼ばわった。


「親愛なる、百塔街に住むみなさん。神からの伝言をお伝えします。

 教えに従わず、神の使いを惨殺した百塔街にも、神は祝福を与える。わたしは神の代理人として、着任から七日――つまり、あと四日のうちにこの街の根源にある呪いを解き、みなさんの悪しき魔法の元である魔界への扉をすべて閉じてみせます。

 そのあとは皆殺しとなりますので、改心、協力のお申し出は随時、聖ミクラーシュ教会にて受け付けます。どうぞよろしくお願いいたします!」


 とんでもない彼の宣言に、周囲はしばらく静まりかえる。

 やがて、誰かがばかにしたように鼻を鳴らす音がした。呆気にとられていた人々が正気を取り戻し、当たりににやにや笑いが広がり始める。


「魔界の扉を全部? 人間が? ばかじゃないのか」


「ここは百塔街だぜ。わかってんのかな、あいつ」


「皆殺しとなりまぁす! だってさ。怖いねえ~こわいこわい」


 侮蔑と嘲笑の囁きが周囲に広まりかけたとき、ばたん! と音を立てて大通りに面した建物の二階の扉が開いた。


「う……うあ……」


 窓からひとりの男が身を乗り出し、うめき声をあげて喉を引きむしった。彼はそのまま二階から落下して、石畳にたたきつけられる。

 同時に軽い音が響き、彼は千々に砕け散った。

 その姿を見下ろし、クレメンテはしゅんとして首を傾げた。


「また転化だ……。真剣に祈りすぎましたか」


「こりゃあ……」


 街の住人が顔を引きつらせ、足下に転がってきた男の欠片を拾い上げる。

 それは爪の先ほどの大きさの完全な球形をした、真珠だった。


「司教様。さすがなのですが……呪術師どもをいちいち貴石や黄金に変える必要はないのではないでしょうか。せめて塩の柱とかでは?」


 転化になれきった教会兵は、むしろ苦い顔でクレメンテに囁きかける。

 クレメンテも広い肩を必死に縮めようとしながら囁き返した。


「わたしもそう思うんですが、『あの方』はわたしを喜ばせようとして、人間の喜びそうなものをわたしの近くへ送ってくるんですよねえ。身を飾るものも換金できるものも、わたしには必要ないのに」


「……ちなみに、『あの方』というのは?」


「神様です」


 そう言って優しく笑ったクレメンテに、さすがの教会兵ですら黙りこくる。



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