第22話 聖なる最終無差別破壊兵器
閃光弾、もしくは誰かが明かりを当てたのか。
一瞬視界がゼロになり、アレシュはとっさに大きく飛び退いた。
代わりに、ミランとルドヴィークが、ぐん、と前に出る。
「凍りつけ、神とやらの狗めが!」
視力が効かないのは同じだろうに、ミランが叫んで懐から数枚の護符を取り出す。
氷結の護符だ。
勢いよく投げつけられる護符は、常人ならば即氷柱と化す呪術の強度。
札はそれ自身が意思を持っているかのように、クレメンテが発した光に一直線に吸いこまれて行く。
と、薄れゆく光の中心から、クレメンテの拳が現れた。
クレメンテは凄まじい速度で、護符を全部《《たたき落とす》》。
クレメンテの拳に触れた護符はすべて、じゅっ、というような音を立てて砂に変わった。
「何っ」
ミランが目を瞠る。
いつの間にやらクレメンテの腕がきらめく金色の籠手で覆われているのを見て、アレシュも軽い混乱を覚えた。
(籠手? 一体どこから出した、そんなもの)
混乱したまま、アレシュはポケットから小型の香水瓶を取り出す。
それの中身を予備の飾り編みに吹きかけ、クレメンテに向かって放った。
辺りをふわりと湿った匂いが包む。
深い夜の空気。森の奥から、梟の鳴く声でも聞こえてきそうな気配が漂う。
同時に、皆の視界にじわり、と闇がにじんた。
この香水はアレシュが以前聖ミクラーシュ教会で使ったもの。闇の幻覚を見せる効能がある。人間の嗅覚から入りこんで五感を支配する魔香水の威力で、クレメンテを包んでいた光がすうっと打ち消された。
「これは……」
クレメンテは驚いたように囁くが、その白ずくめの姿は闇の中でも薄ぼんやりと浮き上がって見えた。まるで自身が発光でもしているのかのようだ。
ルドヴィークが黒眼鏡の奥で瞳を酷薄に光らせ、音もなく斬りかかる。
殺気の塊のような剣風。
優美に飛び下がるクレメンテ。
ルドヴィークの刃は蛇のように彼を追う。食いつくまで逸れない、死の牙。
しかしクレメンテは、それ以上避けようとしなかった。
代わりに、刃に自ら手をかざす。
り、りりん、と、やけに美しい音を立て、クレメンテの籠手がルドヴィークの剣をはじく。まるで相手の拳を腕で受けるときのように、クレメンテは籠手で刃の攻撃をさばいているのだ。
わずかに刃が滑れば腕ごと切り落とされるだろうに、なんたる無謀。
そして、なんたる技。
ルドヴィークはわずかに眉根を寄せ、いきなり手数を増やした。
「うわっ、すごいな!」
クレメンテが変にのんびりした悲鳴をあげてよろめく。
ほとんど見えない速さで繰り出される刃。
しかし、なぜかクレメンテには当たらない。
わざわざ避けているようには見えないのに、かすりさえしないのだ。
「アレシュ、奴はおかしいぞ! 俺の札が当たったのに、あの籠手、曇りもせん!」
ミランが怒鳴り、アレシュが何か返そうと唇を開く。
その言葉が声になる前に、クレメンテが申し訳なさそうに言った。
「ひどい殺気だ……。手加減できません。すみません、浄化されてください!」
そして無造作に前へ出ると、ルドヴィークの刃をひょい、とつかみ取る。
「何!?」
黒眼鏡の後ろで、ルドヴィークの目が大いに見開かれる。
籠手で指先まで覆われていては動きは鈍かろうに、ルドヴィークの神速の刃をつかみとるとは。ルドヴィークはすぐさま逃れようとするが、刃はがっしりと固定されてしまってびくともしない。
すかさず、クレメンテはよく通る声で叫んだ。
「神に、栄光あれ!!」
どっと白い光がクレメンテからあふれ、どこからともなく優しげな旋律が響く。
わけのわからない幸福感がその場の三人を貫き、アレシュはつかの間、頭の中が空っぽになるのを感じた。
真っ白だ。空っぽだ。まともな思考力と判断力が押し出され、胸の奥から柔らかな思い出が次々に顔を出す。優しい歌。これは誰の歌だっけ?
覚えているよ。サーシャだ。
ろくにかまってくれない父親が悲しくて、街にさまよい出たアレシュが見つけた最初の友達。どこぞの魔女の息子だという話だったが、ろくに魔法の才能はなかったらしい。でも、歌が上手かった。
あちこちで歌うことで、どうにか周囲から生かされていた。
顔だけいいから生かされてる僕と同じだね、と言ったら、少し笑った後にぶん殴られた。
あの痛みすら、アレシュにとっては優しい思い出。
アレシュは彼の歌が好きだ。とても、とても好きだ。
彼のやたらと耳障りのいい歌声を聞くと、誰かを思い出しそうになる。
遠い昔、遠くで歌っていた誰か。
優しい声の誰か。
あなたの声。
女性と同じ寝台で眠ると、たまに見られる夢の。
あなたの。
「子猫ちゃん、こんな奴に捕まっちゃ嫌よ」
耳元で真剣に囁かれ、アレシュははっと我に返った。
目の前に揺れるのはつややかな長い黒髪。
甘く重い薔薇の香りはカルラの匂いだ。
いつの間にやら、百塔街最強の魔女がアレシュの前に立っている。
クレメンテはさっきまでルドヴィークの剣を握っていたはずの籠手からさらさらと砂金を零し、カルラに向き直った。
「また大変そうなひとが出てきましたね」
悲しくぼやく彼の足下には、袖なし外套姿のルドヴィークがうずくまっていた。
死んだか、とぎょっとするが、血の臭いはしない。
大丈夫だ、おそらくルドヴィークには怪我もない。
だが、杖が。
ルドヴィークが握っている仕込み杖に、刃がない。
アレシュは信じられないものを見た気分で目を見開く。
何が起こったのかはすぐに想像がついた。ルドヴィーグが膝を突いた石畳には、少量の砂金がこぼれていたからだ。魔法小路の呪術師たちと同じように、ルドヴィークの刃もクレメンテの奇跡によって砂金と化したのだろう。
アレシュがあっけにとられている隙に、カルラは金の瞳を輝かせて笑った。
「あらあら、随分他人行儀な言いようだこと。私のこと忘れちゃったの? クレメンテ。困ったひとね」
「え? あなた、わたしとお知り合い? じゃあ、わたしがいつか狩り逃した魔女さんといういうことですか」
「そのとおりよ。この子猫ちゃんは私の元彼なの。今日は退いていただくわ!」
カルラは言い、なまめかしい所作で首にかけていたペンダントをとった。




