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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第1部 廃王国の六使徒
20/112

第20話 嘘の匂いのない人間

「こんにちは、初めまして。最初に謝罪をしていいですか?」


 相手が切ない調子で言ったので、アレシュはためらいがちにうなずいた。

 この街にはいきなり謝罪を始める奴なんかいないので、虚を突かれてしまったのだ。


「うん……まあ、どうぞ。なんで謝るのかは知らないけれど、それであなたの気が済むのなら」


「あなたは優しい方ですね、わたしの謝罪を赦してくださるとは……。では、あらためて。本当に、申し訳ありませんでした。……怪訝な顔をしてらっしゃいますね。ひょっとして、この街で謝るときは金品を差し出すのが常識でしたか? ごめんなさい、あいにく自由にできる金品は持っていなくて」


「はあ。まあ、幸い金には困ってないから、いらないけどね。それより、どうして謝ってるのかの理由を訊いても?」


「はい、もちろんです! 実はわたし、さっきのあなたの『サーシャ』という呼び声に、『はい』と答えてしまいました。あれは嘘なのです。意外かと思いますが、わたし、実はサーシャではありません……」


「それは、見ればわかるよ」


 アレシュは言い、あらためて至近距離にある男の顔を見上げた。

 年齢不詳のつるりとした肌に、金糸そのもののような光沢を持った長い髪。妙に純粋な表情を浮かべた少女みたいにみずみずしい美貌と、アレシュを抱っこしても微動だにしない立派な体格。

 この男はサーシャとは何もかもが違う。むしろ真逆だ。

 サーシャはいかにも不健康そうな男で、実際不健康だった。彼の容貌もアンバランスと言えばアンバランスだが、この街にはどこまでも似合っていた。

 この男は逆に、この街にひどくそぐわない。どこかが不自然だ。

 一見隙が無い出で立ちなのに、なにが不自然なのだろう。


 そこまで考えて、アレシュはぴんときた。

 

(そうか。こいつ、嘘の匂いが全然しない。完全に、本心で喋っている)


 理解した途端にぞっとする。

 嘘を吐いている人間は常に緊張しており、独特の匂いを発するものだ。それは多かれ少なかれ、百塔街に生きる人間が共通して持つ匂いのひとつだ。

 なのにこいつからは、その匂いがしない。

 完全に嘘のない人間。

 それは、人間か?


 男はアレシュの気持ちなど知りもせず、表情を輝かせて続ける。


「わかりますか、頭がいいですね。あなたはさっき、この小路に仕掛けられた魔法にかかっていました。かかってしまった魔法を穏便に解くには、わたしと会話していただくのが一番です。さっきのあなたは『サーシャ』さん以外のお声は聞く気がなさそうでしたので、ひとまず彼のふりをさせていただきました。本当にすみません」


「いや、それは構わない、というか、僕が礼を言う方だろう。ありがとう。今さら魔法小路の魔法に引っかかるなんて、油断したよ。それはともかく……下ろしてもらえるか?」


「いいですが、ちゃんと立てますか? よろめくようなら、ちゃんとわたしにすがってくださいね。わたし、すがられるのは好きなんです」


 ……こいつは、アレシュを足腰立たない老人だとでも思っているのだろうか。

 アレシュがおかしなものを見る目で見上げると、相手は少し不思議そうに笑いかけてきた。

 幼児みたいな表情に戸惑っていると、背後からルドヴィークの声が響く。


「アレシュ。ご無事で何よりですが、早めにこちらへいらしたほうがよいですよ」


「ああ……ルドヴィーク。大丈夫、このひとが魔法を解いてくれたから。君たち、サーシャを見なかったか? 確かにこの道に入ったと思ったんだけど」


 言いながら振り返ると、小路の入り口に立ったミランとルドヴィークの姿が見えた。彼らが何か言う前に、小路に面した民家の扉がばたんと開く。

 何かの魔法か、とアレシュは身構えたが、扉からはふらふらとひとりの男が出てきただけだ。彼は古風な長衣をまとい、苦悶の表情を浮かべて己の喉を両手でつかんでいる。


「おい、君」


 アレシュが声をかけると、彼はそのままよたよたと数歩進んで、アレシュのほうへ必死に手を伸べ――ざらっと地面に崩れ落ちた。

 ざらっと。

 そう、男は崩れ落ちた瞬間、一山の砂に姿を変えたのだ。

 しかも、ただの砂ではない。

 まばゆくきらめく砂金であった。

 アレシュはゆるゆると目を瞠る。これも魔法小路が見せる幻覚か、と思いたいが、目の前の砂金からはきちんと金の匂いがする。親譲りの嗅覚が、今目の前で人間が金に変わったと告げている。

 

 アレシュは細く息を吐き、傍らに立つ白服の男を見あげて問うた。


「これは、君の仕業か?」


「おや。なぜそう思ったのですか?」


「こんなことがあったのに、君からは相変わらず緊張の匂いがしないからさ。緊張だけじゃない、悪気の匂いも、恐怖の匂いも、驚きの匂いもしない。……異常だよ」

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