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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第1部 廃王国の六使徒
18/112

第18話 劇場襲撃からの脱出

「――……!!」


 息を詰めて縮こまるアレシュを、ミランの腕が抱く。

 どっ、と風と砂がふたりの身体を打つ。

 冷たい。

 ミランの分厚い軍用外套が、しんしんとした冷気をアレシュの頬に伝えてくる。

 それだけが、妙にはっきり感じられた。


 爆発は一回で終わったようだ。

 しばらく息を詰めてから、アレシュはうっすら目を開けた。


「――これ、は……」


 視界は埃と砂で霞んだままだが、辺りの景色ががらりと変わったのは明らかだ。

 重い書架はほとんどが倒れて中身は床にぶちまけられ、粉々になったシャンデリアの残骸らしききらめきが舞台一面を覆っている。

 闇に沈んだ舞台隅で、ルドヴィークがすっと立ち上がった。


「ふむ。なかなか物騒な登場をする方々ですな」


 体に巻き付けていた袖なし外套をほどくと、アマリエの姿がちらりと見える。彼は倒した机の影で片膝をついただけで、さっきの爆風を防いだようだ。

 カルラは、と思って見ると、彼女は隠れてすらいない。

 突っ立ったままなのに、髪の一筋もドレスの裾の端っこすらもさっきのままだ。ついでに彼女から半径三歩ほどの範囲と、背後の棺も埃ひとつかぶっていない。

 そんな彼女が見つめる先には、爆破で出来た嘘のような大穴があった。


「カルラ・クロム=ガラス! 観念しろ、魔女め!」


「よくも……よくも、俺たちの仲間をぉ!」


 壁の穴からどっと押し入ってきた男たちが、銃やら、鎖のついた刃物やら、護符やら、様々なものを手に大声でわめく。

 どうやら彼らはカルラの手で物理的・呪術的に封印された正面玄関を避けるため、壁を爆破するという手段をとったようだ。隣の建物の屋根に上り、呪術と爆薬を駆使したのだろう。

 お疲れ様だが、壁の残骸でお前らの仲間がかなり潰されたぞ――という言葉はそっと呑みこみ、アレシュはミランの下から這いだした。


「ミラン、逃げるぞ」


 アレシュが囁くと、ミランは埃と砂で真っ白になった外套をはたきながら顔をしかめる。


「相変わらず男気の欠片もないな! この状況で、俺がカルラ姉さんを置いていけると思うか?」


「思わないから、僕だけ逃げる。お前は僕の盾になって、次にカルラの盾をやれ」


「その台詞をどうして悪びれずに口に出来るのだ? 舌が腐らんか?」


「自分に嘘を吐いたほうが腐ると思うよ。いいじゃないか、カルラに盾は必要ないだろうけど、お前は盾役が好きだろう?」


 いつも通りに言葉を投げ合い、アレシュは舞台の隅のほうへとにじり寄る。

 半円形に湾曲した壁には、ペンキで描かれた扉が十ほどもずらりと並んでいた。舞台装置の、開かない扉だ。素人にはそう見える。


「誰も動くな!! 逃がさんぞ……魔女め」


 侵入者たちが舞台の端から、じわり、じわりと近づいてくる。

 カルラは彼らを見渡し、どこか場違いなのんびりとした声を出した。


「よかった。私、待ってたの。あなたたちみたいな、つまり、生きてても死んでてもだーれも気にしない、どうでもいいひとたちが来るのを。ね、みんな。私にランドルフの復讐をさせて? 私、愛と同じくらいに復讐が好き。復讐してる間は、寂しくないの」


 好きな料理のレシピを語る声音で言い、カルラはしなやかな両手を開く。

 そこにはなんの呪具も薬もなかったが、襲撃者たちは哀れなほどに慌てふためいて叫んだ。


「術を使われるぞ! 喋らせるな、キリア! 煙を炊け!」


「オラァ!! 死ね、魔女め!」


 虚ろな気合いと共に、襲撃者のひとりが筒状のものをカルラに投げる。

 筒は狙い過たずカルラの足下に転がり、しゅうしゅうと白い煙を吐いた。

 またも爆弾か。それとも、催涙弾の類いか。

 どちらにせよ、アレシュの趣味でないことは確かだ。アレシュはてのひらで口と鼻を覆い、扉のひとつに飛びついた。

 ひと思いに力をこめると、書き割りにしか見えなかった扉が外へと開く。

 ひんやりとした薄暗い空間。そこは粗末な階段室だ。アレシュがカルラと付き合っていたころから変わらない、抜け道のひとつ。


「アレシュ、待て! ひとりで逃げるな、逆に死ぬぞ!」


 過保護なミランの声を背後に聞きながら、アレシュは階段を駆け下りた。

 わずかに遅れて、どぉん、という音と共に建物全体が震える。

 ぱらぱらと落ちてくる石の粉を振り払いながら、アレシュは最初の踊り場についた。


「ミラン、早く来い! ここの窓から隣に行ける!」


 ゆがんだ板戸をどうにか引き開け、アレシュは隣の建物の外階段へ飛び移った。


「さすがは玄人の間男だな。抜け道には詳しい」


「間男なんて美意識のない言葉を使うなよ。せめて『つかの間の恋人』と言ってくれ」


 言い合いながら外階段を降りきると、ふたりはありきたりな集合住宅の玄関ホールに出る。ずらりと並んだ郵便受けは錆び、ゆがみ、あるいは場違いなほどにぴかぴかに磨き上げられており、管理人窓口は板を打ち付けて封印してある。

 品のいい場所ではないが、周囲に敵対者の気配は――ない。

 アレシュはほっとして、玄関扉から石畳の街路へと逃れ出た。


「どうにか無事に出られた、みたいだな」


 アレシュが小さくひとりごちて劇場と集合住宅を見上げていると、ミランの後ろから音もなくルドヴィークが追いついてくる。


「やあ、ルドヴィーク。君も無事か」


「いやはや、さすがは魔女の住まい。なかなか物騒なところでしたな。――おっと」


 ルドヴィークが言い終えた瞬間、めきり、という音が頭上で響いた。見れば劇場の壁に新たなヒビが入ったのだ。ヒビは見る間に拡大し、壁の一部ががらがらと剥がれ落ちる。

 すかさずルドヴィークが黒い外套の裾を翻し、その陰で仕込み杖を抜いた。

 銀光一閃。

 間を置かず、細かに刻まれた壁の残骸が、雪のようにアレシュとミランの頭上に降り注ぐ。

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