第17話 魔女と「小さな紳士」の思い出
(今日はこれで正解だったな。何せカルラ、大体いつも混乱してるし)
しみじみ思うアレシュの眼前で、カルラはようやく泣くのをやめる。
そのままアレシュを上目遣いで見上げると、彼女は甘ったれた声を出した。
「ねえ、アレシュ。やっぱりあなた、ランドルフの代わりに若返る気、ない? 若返りの術は私が責任もってやってあげるから。また、私の愛人になろうよ」
考えなしの誘惑は、まるで五歳や六歳の少女のよう。
その頼りない雰囲気に、アレシュの心はふらっと吸いこまれそうになる。
アレシュは知っているのだ。このひとは放っておいたら、魔法以外の何もできない。花を一輪育てることも、パイを焼くこともできない、迷子のお姫様。
いつだってさみしくて、いつだって不自由で、いつだって王子様を探してる。
(……でもまあ、これで千歳近いひとだし、ね)
同情しすぎると割りを食うのは自分のほうだ。
そのことはとうに知っている。
アレシュは傾きかけた心をそっと立て直し、白い指でカルラの喉に触れた。
薄紅色の唇から、ほ、と蕩けた息が漏れるのを感じながら、彼女の顔をあおのけさせる。口づけしそうな角度で彼女の顔をのぞきこみ、アレシュは優しく囁いた。
「玩具が壊れたら、すぐに取り替える? それじゃランドルフが可哀想じゃないか。玩具だろうと愛玩動物だろうと、そこには愛があったんだろう? だったら使徒級の魔女として、死因や犯人を調べてあげるたらどうなんだい」
「……調べて彼が生き返るなら、そうする。でも、もう、彼はいないんだもの。誰も私におかえりって言ってくれないし、魔法を褒めてもくれないし、おねだりもしてくれないし、こんなないないづくしの人生なんて、もう、全然我慢できないわ……!」
「そこで泣かない。悲しみすぎない。カルラ、君はもう少し自分を大事にする練習をして? ここじゃか弱い可愛いものはすぐ死ぬさだめだ。わざわざ弱いものを愛しては亡くして泣いてるんじゃ身体に悪い。君は愛玩中毒だ。……知ってるね?」
言い終えたのち、アレシュはカルラの唇に一度だけ軽く口づけた。
ほんの一瞬なのに、花びらみたいに儚い甘さが染みてくる。
明け方の夢みたいな、しあわせな甘さ。
そのままもう一度口づけたい気持ちが湧いてくるのをそっと抑えて、アレシュは微笑んだ。
カルラはほんのりと頬を赤らめてアレシュを見ていたが、すぐに視線を落とし、絨毯をかりかりと引っ掻き始める。
「……また、そういうことするし。私がこうなっちゃったのって、多分アレシュがいけないんだと思うわ。私が初めてお父様の香油を買いに行ったときのあなた、衝撃の可愛さだったもの。元から綺麗な男の子は好きだったけど、完璧すぎちゃって……あれが永遠だったら、一生側において苦労なんかさせなかったのに。なんでそんなに育っちゃったかな……」
「育ったのは、生きてるからさ。それとも、死んで剥製になったほうがよかった?」
アレシュが言うと、カルラは食いつくように即答した。
「それは、やだ!! 喋って動いてくれないと、かわいさ半減だもん!」
「だったら是非とも協力してくれないか? さっき言ったとおりの事情なんだ。葬儀屋からごっそり死体を盗んでいった奴を見つけたい。そうしないと、代わりに僕の命が持って行かれちゃうからね」
アレシュは言いながら、優しくカルラの細い黒髪を撫でてやる。
カルラにはいい思い出がたくさんある。
彼女の恋人、『小さな紳士』になって一緒にこの劇場で過ごした、ほんの二年弱の思い出。今となっては遠い話だけれど、当時は本当に楽しかった。
毎夜舞台上の寝台の中で、いろんな夢について語り合った。
アレシュ、あなたはどんなものになりたいの?
カルラ、君は今までどんなものを見てきたの?
私たち、僕ら、これからどんなことをする?
未来を見通せない街での二人語りは楽しく、むなしく、語り合って、黙りこくって、うとついて。
甘ったるいバラ色の夢から目覚めると、寝台の周囲が見渡す限りの大海原の真ん中に浮いた無人島になっていることもあった。
もしくは果てしなく続く草原の真ん中にしつらえられた、最高級の寝台。
暗い中にぽつぽつとかがり火の燃える、いにしえの王が化け物を封じた迷宮だったこともある。
少年だったアレシュは目をまん丸にして大喜び。
凝りに凝った幻影を生み出した本人であるカルラはそんなアレシュを見て、子供みたいに目をきらめかせて笑った。
――さあ、冒険を始めましょう!
あのわくわくを思うと、今だって心が躍る。
自分とカルラだけの、宝石みたいな時間。
カルラも昔のことを思い出したのだろう、満足な猫のように何度か瞬いて撫でられたのち、小さくため息を吐いて答えた。
「……わかった。協力するわ。死体を消す方法ならいくらでもある。溶かすのでもいいし、魔界や世界の狭間に放りこむのでもいいもの。でも、そのくらいの技が使える人間はちゃんと葬儀屋から死体を買うものよ。技を持ってる人間は技のぶんだけ稼げる。特に、この街ではね」
「ふむ、正論ですな」
ルドヴィークが笑んだままうなずき、ミランはがしがしと頭を掻く。
「すると、やはり葬儀屋への嫌がらせと思うのが妥当なわけか?」
「そうやもしれませんが、葬儀屋が憎まれることは年中でして。それだけでは手がかりにはならんのです。悲しいことだね、アマリエ? それとアレシュ。ちょっと床に伏せたほうがよさそうですよ」
「伏せる?」
なぜです、とアレシュが聞き返す前に、耳がきん、という高い音をとらえた。
怪訝に思った後に怖いほどの静寂がやってきて、ミランがいきなりアレシュの襟首をつかんで伏せさせる。
次いで、薄紅の壁紙を貼った壁が一気に吹き飛び、轟音と砂と壁の欠片が室内を襲った。




