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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第1部 廃王国の六使徒
16/112

第16話 魔女の劇場

「――というわけで、次にここへ来たんだよ。君は僕の個人的な友人の中でも一、二を争う実力者だ。僕を助けるために協力してもらえないかな、カルラ」


「やだ」


 神速の応答が終わると、舞台上には、しん、と静寂が満ちた。

 その数秒後、辺り中から「うう」とか「ああ」とか、「もうひと思いに殺して……」とか言う情けない声があがる。


 ミランとルドヴィークを仲間にして喪の街区を去ったアレシュは、現在、新市街のとある劇場にいる。

 ここは二十年ほど前、ちょっとした喧嘩に端を発した大騒動の舞台となり、派手な呪術合戦の果てに廃墟と化した場所だ。

 外観は古代風の円柱と彫像に飾られた重厚な建物だが、入り口はとっくに封鎖。

 三階席までずらりと並ぶ真紅の客席は闇に沈み、端っこには埃かぶった緞帳や布に描かれた背景がわかだまる。舞台装置のシャンデリアの蝋燭だけがかろうじて燃え続け、半円形の舞台でうずくまる彼女を照らしていた。


「カルラ。僕の顔を見て言って。今日は何があったの?」


 埃っぽい舞台の真ん中でアレシュが声を優しくすると、カルラはしがみついていた棺からようやく顔を上げる。

 長い黒髪に、丸みを帯びた金の瞳。

 女性的な身体の輪郭を強調する派手な衣装。

 そこまではいわゆる『魔女』の印象から遠くない。

 ただし肝心の顔はどこまでも優しげで、二十代半ばで刺繍やピアノが趣味のお嬢さんにしか見えなかった。


 百塔街一の魔女、カルラ・クロム=ガラスは、くしゃりと顔をゆがめて言う。


「死んじゃったの……!」


「また猫でも拾ったの? それともウサギ? 君は生き物の世話なんかできないんだから、可愛いからって気軽に拾っちゃ駄目だ。そもそも君の使い魔は肉食なんだから、愛玩動物とは相性最悪なんだよ」


 アレシュは苦笑し、横目でカルラの使い魔を探した。

 ガスなんかとうに止まったこの場所はひどく暗く、アレシュの目でも舞台の下を見通すのは難しい。そもそもカルラが本気になれば、使い魔を隠すのなんか簡単だ。

 舞台上は今日は『お嬢さんの部屋』という設定らしく、赤や薄紅、はたまた淡い花柄などをちりばめた家具や絨毯がごちゃごちゃと置いてあった。

 そんな中で一番人目を引くのは、白い薔薇をいっぱいにつめた派手な棺だ。

 カルラは棺を抱えこむようにして、派手にしゃくりあげながら言う。


「違うわ。今回は人間だったの。愛しのランドルフ。綺麗だったの、しなやかで、髪とかさらさらで、笑うとなんだか悲しそうで、すごい可愛かったの! でも、殺されちゃったぁ……!」


「殺された? ひょっとして、この周りにいる男どもに?」


 訊くのが礼儀かな、と思ってアレシュは訊ねた。

 さっきから気になって吐いたのだが、アレシュとカルラの周りにはかわいらしい家具以外にも転がっているものがある。

 草木を彫刻した化粧台の下で、南国の花園を織りこんだ絨毯の上で、革表紙の本が並んだ本棚の前で、ひとめで小物とわかる呪術師やらちんぴらやららしき男どもが、脂汗を垂らしてのたうっているのだ。


「……見るからにろくでもない奴ばっかりだけど、カルラ、ひょっとして具合でも悪いの? こんな奴らに愛玩動物……もとい、愛人を殺されるほど?」


 アレシュが不思議そうに言うと、カルラは大きく首を首を横に振った。


「違うの。このひとたちは、ランドルフが死んで、私の気が立ってたときに目についたから、ついやっちゃっただけ。ランドルフはね、気づいたら、寝台の中で綺麗な顔のまま動かなくなってた……」


「おい……! それではここにいる奴らは、完璧な巻き添えではないですか! さすがにそれはまずいでしょう!」


 アレシュの背後でミランが叫ぶと、カルラは指で涙を抑えながらちらと彼を見やる。


「別にまずくない。殺してないし。っていうかあなた、誰だっけ?」


「覚えていないのですか!? ほら、五年前にアレシュの館に来た、アレシュの――」


「あ、アレシュの下僕かー。歳とったからわからなかった。ただの人間って、歳とるのほんとに早いわね」


「っ、違います、兄貴分です!」


 ミランが不毛なことを主張するのを聞き、その隣に控えていたルドヴィークは甲高い声で笑った。


「ははははは。いやあ、先ほどから聞いておると、カルラ様は美しいだけでなく、実に愉快な方なのですな。紹介なしではけして会えない、会えたとしても十年待ちだの百年待ちだのという噂でしたが、まさかこんな形でお会いできることになろうとは。このルドヴィーク・ザトペック、光栄の極みです」


「別に光栄も何もないわ。紹介制にしてるのは効率の問題。会いたいってひとと誰とでも会っていたら、私の大好きな可愛いものと過ごす時間がなくなっちゃうじゃない? 人生は永遠じゃないのよ」


 カルラがすんすんと鼻を鳴らして言うのを聞いて、アレシュは自分のハンカチを彼女に渡した。彼女は飾り編みのハンカチを受け取りながら、恨めしげな瞳を周囲に向ける。


「大体おかしいのよ。ランドルフは悪いことなんかなーんにもしない子なのに無残に殺されちゃって、こいつら悪い奴は街をふらふらしてるなんて。――ありがとね、アレシュ」


 カルラは鼻にかかった口調で礼を言い、ハンカチから漂う清冽な香りに、ほう、と息を吐いた。

 今日、アレシュがハンカチに吹いておいた香水は、パルファン・ヴェツェラ五番、『樹海の底にて』。

 海の青を思い起こさせる爽やかさの後、ひとを穏やかにさせる緑の香りが漂う。

 普通の状態の人間が嗅げばアレシュに漠然とした好意を抱くだけだが、混乱した人間には鎮静剤と同等の作用をもたらす香りだ。


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