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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第1部 廃王国の六使徒
13/112

第13話 刃と問い

(このひとは父さんの客でもあるが、恩人でもある。何か要求があるなら、もったいぶりながらも譲歩しなくちゃ駄目だろうな)


 アレシュが慎重になるのには、葬儀屋が強力な組織であること、ルドヴィークが不気味な魔人であること以外にも理由がある。

 この百塔街には王がいない。法もない。

 とはいえ自然発生的な決まりはあるのだ。

 そのひとつに、ここにやってきた呪術師はなんらかの同業者組合に属すること、というものがある。


『呪術師』と一言で言っても、その種類はミランのような『符術師』を始めとして、『魔女』や『魔剣士』など、様々に細分化されている。この街に移住してきた呪術師たちは自然と同じような技を持つ者同士で固まり、術を磨き、互いに助け合うようになり、同業者組合が生まれた。

 これらの組合は度を超した混乱を避け、また、街自体にかかった呪いをこれ以上進行させないための呪術を、常に必要なぶんだけ提供するために非常によく機能した。結果として、これらに所属することは呪術師たちの義務となったのである。

 アレシュの父は本来ならば『魔法具作り』の同業者組合に属するべきだったが、彼は組合への技術提供をこばんで一匹狼の道を選んだ。これは魔香水が生む利益をひとりで総取りしようという行為であり、本来ならば『魔法具作り』の組合からも、他の組合からも刺客が放たれるところだ。

 それを避けるため、アレシュの父はよりによってルドヴィーク束ねる『葬儀屋』と組んだのである。


「いえいえ、ミラン君にはそのままで。わたしは最近生き人形は作らないのです。このアマリエに会ってから、人形は最初から人形であってこそ美しいと気づいてしまいましてね。もちろん、生きた人間を材料にした人形は街の外でも需要が絶えませんし、あれの材料には、あなたのお父様の香水で芸術的な夢をみせ続けるのが一番綺麗に仕上がるのですが……最近は仕事は若い者に任せて、アマリエと日々蜜月を楽しんでいるのですよ」


 もの柔らかに言って笑うルドヴィークの顔がしあわせそうであればあるほど、その裏にうごめく闇が深く見える。

 ミランがサルーンの入り口あたりでたたずんだままでよかったな、とアレシュは思った。おそらく彼は、ひどく不愉快な顔をしているに違いない。

 アレシュとしても生き生きした女性を人形同然に変えて売り払うルドヴィークの趣味は好きではないが、彼の美意識のはっきりしたところは嫌いではない。

 そもそも彼らの後ろ盾なしでは、魔法の才能の欠片もないアレシュなど、最悪誰かに館も財産も巻き上げられたあげく街の外に放り出され、七門教に狩られて死んでいた可能性さえある。

 多少の譲歩をするのは当たり前、なのだが。


(しかし、目的が香水でないとなると――どうしてこのひとはここに来たんだ?)


 最近の自分の言動をざっと振り返ってみるも、葬儀屋に文句をつけられるようなことをした覚えはない。考えこむアレシュをじっと見つめて、ルドヴィークが再び口を開いた。


「アレシュ。正直を申しますと、わたしはあなたがとても好きだ。あなたは美しいですよ。男のわたしでもお会いするたびに陶然とする。わたしはこういう趣味ですから、一度と言わず、あなたを人形にしたいと思ったこともあります。しかしあなたを人形にしたら、その美貌でわたしのアマリエを褒め称えてくれるあなたがいなくなってしまう。だからあなたはそのままがいいのです。そのままでこそ、わたしの快楽なのです。この街の住人ですら、本気でアマリエを愛するわたしを理解するものは少ないですからな」


「光栄だよ、ルドヴィーク。だけど、僕はもう充分守ってもらっていて――」


 そこまで言ったところで、アレシュは不意に黙りこんだ。

 目の前で、不吉なものがぎらりと光った。

 刃だ。

 今まで影も形もなかった鋭い刃が、アレシュの眼前につきつけられている。


「っ、おい、アレシュ!」


 ミランの声がした。

 がちゃん、と陶器が壊れる音もする。

 きっとハナが、お茶のおかわりか何かを床に放り出したのだろう。

 それ、高い茶器じゃないだろうな――と頭のどこかで考えながら、アレシュは刃を見つめていた。目から恐怖が入りこんでくるようで、肌がぴりぴりするのがわかる。こんな恐怖を感じるのは久しぶりだ。

 向かいの長椅子の上には、さっきと同じ姿勢のままのルドヴィークが微笑んでいた。ただし、その手にはいつの間にか抜き身の長剣がある。

 そして、彼の傍らには取っ手のなくなった杖が転がっていた。


(仕込み杖か。初めて見たな)


 体が凍えるような恐怖を感じていても、アレシュの観察力と判断力はまだ働いている。どうやらルドヴィークは、会話の中でまったく目にもとまらない速さで仕込み杖を抜き、アレシュの眼前につきつけたらしい。

 この速さではアレシュに香水を使う暇なんかもちろんないし、ミランも手は出せない。ハナの力なら、とも思うが、ご婦人に助けてもらうのは論外だ。そこまで醜いまねをしてまで生き残る必要もない。

 サーシャもいないしね、と思うと、すうっと恐怖の波が引いていった。

 代わりにわき上がるのは、どことなく暗く甘い、幸福感に似た心地。

 ――命を賭けた遊びが始まることへの、幼い期待。

 アレシュは緩やかに目を細めて笑い、静かな声を出す。


「僕は何か、あなたの権利を侵害するようなことをしたのかな?」


「したかもしれないのです。残念ながら」


 ルドヴィークは本当に残念そうだったが、その顔には回収しそこねた笑みが張りついたままだ。彼は刃をアレシュに突きつけたまま、かくりと首を傾げて言う。


「さて、このようなときですが、うちの若い者を呼んでもよろしいですか? 先ほど申し上げましたように、わたしはすでに半隠居の身ですので。仕事の話は若い者に任せているのです」


「ご自由にどうぞ。ハナ、扉を開けてさしあげてくれ」


 ためらいなしのアレシュの言葉に、ハナはわずかな沈黙を置いてから玄関広間へと駆けていく。

 入れ替わりに、玄関のほうから複数の足音が近づいてきた。

 アレシュが横目で眺めてみると、ちょうど黒服に喪章をつけた葬儀屋たちが廊下を抜けて現れたところだ。彼らはばらばらとサルーンの隅で立ち止まり、二十代後半くらいのひとりの男だけがまっすぐこちらへやってくる。

 ルドヴィークが仕込み杖を下ろすのを待って、彼は静かに一礼した。


「一緒に来ていただきます、ヴェツェラさん」


「やあ。教会にいたね、君」


 アレシュが親しげに笑って見せると、葬儀屋の男はかすかに目を細める。

 死者を見慣れすぎた目をした葬儀屋は、アレシュの視線を振り切るように軽く目の前で手を振り、淡々と返した。


「ええ。あそこで死体を回収させていただきました」


「……不良品だった?」


 この相手が出てくるということは、多分あの死体に問題があったのだろう。

 そして、その問題にアレシュが関わっていると疑われているからこその、この状況だ。

 そんなアレシュの予想を肯定するように、男は軽くうなずいて告げた。


「そうなりますね。生き返ったんです、死体が」


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