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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
番外編 百塔街の安らがない日々
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番外編【1】後編 悪党どものお茶と恋の郷愁

「ずいぶん唐突なお茶会だが、それはいい。お前は俺が大好きだし、俺はハナさんが大好きだから、タダで飲み食いできるお茶会を断る筋合いはない。しかし、だ」


「前置きがすでにサイテーだね、下僕」


「最後まで聞いてから反応しろ! そもそもどうして、クレメンテが一緒に呼ばれているんだ‼」


 叫んで立ち上がったのはミランだ。

 どんな季節でも厚着のこの男は、今日も毛皮が裏打ちされた軍服で何倍にも膨らんでいる。ミランとコーヒーテーブルを挟んだ反対側に座ったクレメンテは、埃その他で灰色と化した白装束をまとって鷹揚に微笑んでいた。


「落ち着いてください、ミランさん。この人選はどう見ても、アレシュさんが施しに目覚めた結果でしょう?」


「馬鹿野郎、俺はお前とは違って生活力はある! 札が売れないだけで!」


 ミランが叫ぶと、クレメンテは麗しい眉根を寄せる。


「ミランさん、ひょっとして……五体満足、かつ、心も健康で、いくらでも収入を得る手段がある環境において生活費が稼げていない人間は、『生活力がない』のだ……という事実を知らなかったのですか?」


「心底驚愕したような顔をするんじゃねえ、ばか! ばか‼」


 顔を真っ赤にして叫ぶミランに、クレメンテはそっと微笑みかけた。その肌は人間生活の中で荒れ始めていたが、笑みは以前よりも清廉で透き通ったものに見える。


「罵倒語の語彙が少ない。ミランさんはいいひとですね、アレシュさん?」


「ん? ああ」


 アレシュは自分がクレメンテに見とれていたことに気づき、我に返って微笑んだ。


「ミランも君も、間違いなくいいひとだよ。僕はあんまりいいひとじゃないが、友達にお茶をおごるくらいの甲斐性はあると思っている。僕がハナと一緒に考えたブレンドなんだが、試してみてくれるかい?」


「当然だ」


「ありがたくいただきます!」


 ミランとクレメンテの返事はおそろしく素早い。

 アレシュが笑みを保っている間に、ハナが黙々と枯れた花柄のポットでお茶を注ぐ。ティーカップが満たされていくにつれ、サルーンにはむせかえるような郷愁が漂い始めた。

 ミランがすかさず鼻をうごめかせる。


「これは……貴様の香水の香りじゃないか? アレシュ」


「僕が作ると香りの組み立てが似るんだよ。何か、感情がかき立てられる感じがする?」


 聞き返しながら、アレシュは茶に垂らした香水の成分を思い起こしている。

 本来、香水は飲むものではない。ローズの精油などはまだしも、香料の中には大量に採れば人体に有害なものも含まれるし、それらが溶け込んでいるのは高濃度のアルコール。

 この『恋の香水』に明らかな毒は使用されていないが、それでも無辜の市民に飲ませるのは気が引ける。


『なら、身近な悪党に飲ませればいいじゃないですか。恋に狂ったら面白そうな相手に』


 そう言い切ったハナは、発想からして間違いなく魔界出身なのだった。

 アレシュは巨大な好奇心といたずら心にほんのちょっとの罪悪感を振りかけて、ミランとクレメンテを見守る。


「何やら懐かしいような、焦るような気分だが……ええい、もっと飲まんとわからん!」


 ミランは一気にカップを煽り、その後、ぴたりと動きを止めた。


「おや。命の危険を感じますかな?」


 にこやかに問いかけたのはルドヴィークだ。

 アレシュはミランを注視しつつ、小さく首を振った。


「そんな繊細な胃腸をしていたら、僕の下僕なんか務まらないよ。むしろ……」


「……好きだ……」


 来た。

 ミランから熱いつぶやきが漏れたのを聞き、アレシュは言葉を切った。

 ミランはカップをあおった姿勢のまま、ぽそぽそと喋り始める。


「この気持ち……どうなっているんだ……あの頃のことを思い出す……あの、あの……その……えーっと…………青臭い草むらに顔をつっこんで気絶したときのような気分……」


「ミラン、語彙力がゴミですね」


「しっ、ハナ! 今は本当のことを言わないで。なかなか面白い展開じゃないか。ミランが自分の恋を思い出している……」


 アレシュに叱られると、ハナはむっとした顔で黙りこくった。

 ミランはというと、わずかな沈黙を置いてから、目を見開いてまくしたてる。


「そうだ、思い出したぞ、あれはこの町に来る前、放浪の札売りをしていたさらに前、それすなわち幼少期! ゴミさらいに行った村から追われ、盛大にコケたときに視線があった、見ず知らずの女の子に抱いた気持ちだ……‼ あっ、遠い、あまりに遠くて、思い出したかと思えば消えていく……待て待て待て、俺の恋心……‼」


「……かわいそ……」


 別のソファセットでお菓子をかじっていたカルラが、繊細なレース編みのハンカチで涙をぬぐう。さすがのアレシュも微妙な気分になり、我知らずため息を吐いてしまった。


「下僕、この調子じゃ誰かに惚れるにも準備運動が要りそうだな。今度、かわいくて殺傷力の弱い女の子を紹介してやろう。心に決めた」


「破廉恥ですねご主人様、と言いたいところですが、まあ、許します」


 ハナもいつものキツい態度は見せず、しぶしぶと許可を出す。

 アレシュはソファに座り直し、クレメンテのほうへ視線を向けた。


「さて、もうひとり、被験者がいるわけだけど」


 アレシュの台詞が聞こえているのかいないのか、クレメンテはにこにこと空になったカップを置いている。


「ミランくんの言う通り。大変美味しく、胸がしめつけられるようなお茶でした。花畑の向こうから素晴らしく愛しい人が歩いてくるような心地になりましたよ」


「へええええええ! クレメンテ、あなたの思う『愛しい人』ってどんな人? カミサマじゃないわよね?」


 カルラがお菓子を放り出し、興味津々の様子で身を乗り出してくる。

 クレメンテはおっとりと首をかしげた。その拍子に髪が流れ、これまた灰色の包帯でぐるぐる巻きになった顔の半分があらわになる。


「そうですね……その方は、栗色で、つややかで」


「まあ、面食いの予感!」


「足が四本あり」


「まあ、足が何本でも、美形っていうのはいるわ」


「各所につやめかしくネジがうがたれ」


「いい感じにゆがんできたわね……‼」


「ああ、そうです、あれは…………あのテーブルでした‼」


 クレメンテは声を張り上げて立ち上がった。人間のいない浅瀬の海にも似たきらめく瞳でサルーンの一角を見つめ、足早に歩み寄る。ひしっ、と抱きしめたのは、粗末で小さなコーヒーテーブルであった。


「見て下さい、この傷の数々。この方が過ごしてきた今までの時間を思うと、途方もない気持ちになります。その時間の中にわたしはいなかったのだ……そしてあなたはアレシュさんのおうちの方です。これからもわたしのものにはならないでしょう。ならばせめて、わたしはあなたを修理してさしあげたい……穴埋め材を買わねば……」


「ふむ。なんというか、あれですな。器物を愛する人間というにも珍しくはありませんが、クレメンテ殿は意外なほどに、テーブルはテーブルとして愛していらっしゃいますな」


 ルドヴィークは言い、興味深そうにひげをさする。

 アレシュはため息を吐いたのち、小さく声を立てて笑った。

 思ったのとは違ったけれど、なかなか面白い結果が出たようだ。アレシュはクレメンテの神の愛を治したつもりだったが、彼は博愛をこじらせたまま人間として生きている。そしてそのさまは、不思議と好ましく見えるのだった。


 アレシュは機嫌のいいねむい猫の所作で目を細め、やわらかく言う。


「このまま僕らも、少しだけお茶を飲もうか。実にばかばかしくて、世界一無駄で、素敵なお茶の時間になりそうだ」

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