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廃王国の六使徒  作者: 栗原ちひろ
第1部 廃王国の六使徒
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第11話 角のメイドは扉を開けて

 アレシュはそんな彼をじろりと見上げる。


「サーシャが死んだ後にここへ来たお前に、彼のことをあれこれ言う資格はない」


「いや、言う。これは貴様の兄貴分としての忠告だ。お前は生きている人間をもっと大事にしろ。まずは俺、あとはハナさんだ。特に彼女は、自ら魔界を出てこの屋敷にやってきたという話ではないか。つまりはおしかけ花嫁とも言えよう、羨ましい。実に、羨ましい。あの古い森の奥の沼のような瞳に、突き刺し、えぐり取るかのような台詞の数々……たまらんなあ」


 ミランの表情がみるみる緩んで来たので、アレシュは美しい指で己の黒髪を引っかき回しつつ本のページに視線を戻した。


「ハナはどうせ父さんの香水に惹かれてきた女だ。なんならやるよ」


「何っ、本気か!?」


 声を裏返してミランが叫ぶと、間髪入れずに、ごんっ! と何かが彼の後頭部に当たる。


「っ……! 誰だ!」


 振り返ったミランの足元に、革装丁の大きな本が転がる。

 その本をミランに投げつけた本人は、闇の中にちょこんとひとりたたずんでいた。


「――ハナさん!」


 一転して顔を輝かせたミランを無視し、ハナはアレシュに視線を向ける。

 彼女は地味なドレスにエプロンという、いかにもな使用人服姿の十歳やそこら少女……に、見える。ただし、瞳が年齢不相応に暗かった。

 ミランの言う通り、古い沼のような青緑色に澱んだ目のせいで、その歳にしては奇跡的なまでに整った顔の印象が台無しである。

 さらにもうひとつ、彼女の外見で明らかに異様なのは、頭の両脇、耳の上あたりに、髪を結ってまるめたような立派な羊の角が生えているところであった。

 使用人の帽子では隠しきれないそれ。

 どう見ても、魔界の住人の持ち物だ。


「私を他人のところへやるだなんて、そんな話、ご主人様が本気で言っているわけがありません」


 ぼそり、と告げる暗い声に、蝋燭の炎がゆらりと揺れた。

 まるで彼女からしみ出した暗い気配が闇と化し、蝋燭の炎を押しやったかのような雰囲気だ。

 そんなハナの鋭い視線を受けて、アレシュはあっさり主張を変えた。


「うん、嘘だ」


「アレシュ! あっという間に前言を撤回するな! それでも男か?」


「男だからお前よりハナをとった。こうして可愛いハナを目の前にしたら、下僕にやるなんてあり得ないって気分になったんだ。せめてあと五、六年ぶん育った後に押しかけてきてくれたらよかったなあ、と思うのは本当だけど。ね、ハナ」


 アレシュが赤い目を細めてにっこり笑うと、ハナはかっきり九十度の角度で顔を背け、手に持っていた山ほどの本を床に置く。


「ほんと、ご主人様は人間のクズですね。可愛いだのなんだの、どうせ口先。でも、ハナは別にそれでいいです。あなたが嘘まみれなのは知ってますから」


 淡々と言いながら、彼女は背後の扉を閉めた。

 その扉は古めかしく、百年も前からここにあったのだ、という顔をしている。しかし実はこの扉、さっきまでは存在しなかったのだ。

 ここは地下室。本来は、ミランが入ってきた階段上の扉しかないはずだ。ハナの背後の扉は、奇妙なことに部屋の真ん中に自立している。扉の向こうに壁はなく、ただ舞台装置のように扉だけがある。

 ハナはその奇妙な扉から離れてミランのもとへ歩みよると、無表情のまま彼の足をげしげし蹴り始めた。


「ミラン。あなたはどうしてまだこんなところにいるんですか。お茶だけ出したらあなたは用済みです。ゴミはとっとと帰ってください」


「実に冷徹ですばらしい台詞だが、残念ながら俺はゴミではないぞ、ハナさん。君の蹴りならばいくらだって受けてみせるが、箒で掃き出されたりブラシではたかれるのは遠慮したい。実は――俺にも羞恥心というものがあるのだ」


「何が羞恥心ですか。そのポンコツな頭でどんな恥ずかしいことを考えたんです、この恥知らず。速やかに私の目の前から消え、完璧に見えないところに潜りこんだら静かに死んでください。あなたは冷たいから腐ることはないでしょうし、死体まで抹消しろとは言いません」


「君の願いならなんでも叶えたいのは山々だが、俺はまだ死ぬことはできんのだ。それにしても君の声は、まるで錆びたちょうつがいがぎいぎいいうみたいに心地いいな……」


 ミランは陶然と言い、ハナはそれを氷点下の無表情で見つめたのち、アレシュのほうを向いてぶっきらぼうに告げた。


「ご主人様もご主人様です。自分で拾ってきたものは自分で責任をもって追い出してください。ミランにせよ、昨日連れこんだ魔界の女にせよ」


「そうしたいのは山々だけど、僕は荒事には向いてないんだ。この口は詩を語るためにあるし、この手は優しく女性の手を取るためだけにある。むしろ、ハナ。お前があの力で、こいつも追い出してくれないかな」


 臆面もなく言い、アレシュは妖艶に瞬いて見せる。

 彼の言うハナの『力』とは、扉を開ける力だ。

 魔界の住人の特殊能力は色々だが、ハナの力はこちらの世界と魔界の狭間に自分の居場所を作り、そこからありとあらゆるところに向かって扉を開けて移動することなのだ。


 彼女はかつて、自分の力で勝手に魔界から百塔街に繋がった『扉を開けて』やってきた。いくら百塔街が魔界との接点を無数に持つ場所とはいえ、魔界の人間界を行き来するのは人間なら最高位の魔女や魔法使いしか不可能な技だ。

 そんな技を持つ魔界の少女がアレシュのような男の使用人をやっているのも妙な事態だし、そんな技が主に女性を屋敷の外に追い出すために使われているのももったいないの極みと言えよう。

 ハナはしばらくアレシュの顔をじっと見つめていたかと思うと、不意に少し眉根を寄せた。


「ご主人様が本当に望むなら、追い出すことは簡単です。でも、その前にお客さんをどうにかしたらどうですか。今、玄関にルドヴィークが来ています」


 彼女が告げた名に、アレシュは一息で我に返る。

 ルドヴィーク・ザトペック。それはこの百塔街の葬儀屋を仕切る男の名だ。


「ハナ、ザトペック様、だ。お客様の前では、必ずそう言うんだぞ。……それにしても、彼がここに来るなんて久しぶりだな。ひとりで来たのか?」


「はい、今のところそのようです。屋敷の中に入れますか? それとも、追い出します?」


 ハナに問われて、アレシュはすぐにうなずいた。


「彼は父さんの代からの常連だ。謹んでお迎えしよう。麗しのアマリエにも会いたいしね」


「麗しの! お前はこんなときにも女を忘れんのか。ほとほとあきれ果てるぞ」


 愚痴をこぼすミランをよそに、アレシュはハナに視線で合図を送る。

 ハナは彼にうなずき返し、背後の扉の取っ手に手をかけた。

 ぎい、と音を立てて開いた扉の向こうを見やり、ミランがしみじみと息を吐く。


「……何度見ても慣れん風景だな」


「下僕にはもったいない技ですから、当然です」


 ハナは淡々とミランに向かって吐き捨て、アレシュを見上げた。


「どうぞ、ご主人様」


「ありがとう、ハナ」


 アレシュは言い、扉のほうへと歩いて行く。ハナが開けた扉の向こうには、周囲とは全く違う風景があった。

 穏やかな光で照らされた本の群れだ。

 アレシュが扉をくぐると、そこは四角い井戸みたいな書庫空間である。四方を本棚に囲まれた小部屋の真ん中には黒い鉄製の螺旋階段があって、上へ上へとよじれながら伸びている。その先を見通すことは出来ず、周囲の本棚もまた、永遠に天へ昇っていくかのようであった。


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