2025年は人間の可能性に限界が訪れた年。振り返りたくもないですが、『小説家になろう』サイトは素晴らしい場所です。ありがとう
2025年、人間の可能性に限界が訪れました。
これまでインターネットやSNSで抑え込まれていた憎悪の炎が現実世界を徐々に侵食し、人間はひとりずつ、少しずつ、社会への責任や他者への配慮を放棄し始めました。
ロシアやイスラエルなど、戦火を拡大した国だけを批判していれば、取りあえず人間が団結出来ていた時代も終わりました。
言いたい事は分かってもらえると思います。
文字数制限が足枷となり、大切な説明を省略してでも憎悪の感情を駄目押ししなければ人間の業を収められないX(旧Twitter)の影響力は、時に可能性を秘めた経済活動までも中止に追い込みます。
また、「日本に来てマナーを守らない外国人はきちんと処罰する必要性」という真っ当な価値観を誰もが持っているにもかかわらず、表現の場では「アフリカ移民はろくでなし」みたいな極論が流れても、誰も咎めなくなりました。
現実世界で働いたり、交流を続けていれば、まだまだこの世は捨てたものではないと感じる瞬間は多々あります。
しかしながら、ひとりの時間に冷静になればなるほど、綺麗事を認めるか認めないかで人々の分断は顕著になったと思わざるを得ませんね。
40年前、アフリカの子どもが飢えていて可哀想という価値観で、一時的ではあるが人間が団結していた時代は、もう戻りません。
40年前と同じ環境は、今や全世界にあるというのに……。
インターネットやSNSは、確かに世界の真実を伝えた功績がありました。
そこから世論が広がり、危険な胎動を防いだ現実もありました。
結局の所、ひとりひとりが自分の問題や現実を棚に上げ、生産性のないマウント合戦で1日が終わる「光のないトンネル」が、この世界の正体だと気づいた……と浅いレベルで思い込んでいる事が問題なのだと思います。
棚に上げずに、私も自分の問題や現実を語りましょう。
勿論、語れば許されるものではありません。
私は就職氷河期世代ですが、今現在低収入で独身なのはそれが原因ではありませんでした。
同世代の普通の人が50社100社と頑張って就職活動を続ける中で、私は10社を区切りに就職活動を勝手に諦め、バンド活動をしながらフリーターで生きる決断をしたからです。
なまじ楽器が弾けて作詞作曲が出来た事が災いし、無駄な夢を見ていたのかも知れませんが、全くそこに後悔はないですね。
最高に楽しく、幸せな時間でしたから。
また、20代後半には大学時代の女友達と付き合っていましたが、プロミュージシャンになる夢を諦め切れず、定職に就いて欲しいという彼女の願いを断って破局しています。
彼女を作るきっかけすらなかった「0の環境にある人」とは違い、「1という土台があるにもかかわらず、2にする努力を放棄した人」なんです。
現在の私は介護施設の副施設長ですが、もうすぐ退職する事が決まっています。
大卒で相談員の資格があったために比較的浅いキャリアで副施設に抜擢された私でしたが、体制が変わった事で私の存在は望まれなくなりました。
転職先の報酬はスタート時点では現職より低いものの、実家の近くで夜勤もなく、かつてアルバイトで業務内容を知っているので、介護職によくある余分な出費や体調管理の不安もありません。
年齢の割に少ない貯金を増やそうと思います(笑)。
私が転職を決意した背景には、今年の夏に肺炎を患い、退院後は施設に行くという母親の決断もあります。
仙台に兄夫婦はいるものの、やがて訪れる「ひとりの人生」に備え、今自分に出来る最低限の責任を果たす時が来ました。
……と思ったら、退院後超回復を果たした母親が「まだ施設に行きたくない〜! 実家でしばらく暮らす〜!」と決断を撤回し、オイオイオイとなりましたが(笑)。
結局、施設行きは延期の方向で動いています。
慌ただしい現実に追われる毎日に嫌気が差しつつも、現実に追われていた方が人間の可能性の限界に失望しなくて済むという、哀しい矛盾。
そんな中、執筆頻度は低下したものの、この『小説家になろう』サイトの存在には、助けられました。
いやマジで、言葉に出来ないほど助けられています。
ランキング上位などで目立つ作品や、賛否両論の問題提起エッセイなどを執筆している作者のもとには、辛辣な感想や誹謗中傷メッセージが今でも来ているのでしょう。
しかしながら、そこを除けばこのサイトほど人間への絶望や他人への怒りを感じずに済む場所はないのではないでしょうか。
一部の作品や、たまに舌禍事件を起こす作者のイメージで不当に「下げネタ」扱いされる『小説家になろう』ですが、ここで言いたい事を言い、何かやらかしたら(笑)SNSなどに逃避せずに暫く沈黙する。
これは最高のメンタル調整法だと思います。
来たるべき2026年は、私を含めた人間が嘘くさい「善人の仮面」を一時的に被ってでも、自分の可能性や社会への責任、他者への配慮を取り戻す年になりますように……ではまた。




