90 自覚?
無自覚でも猛攻をかけるドヤールの血はサラナにもしっかりと流れているのだなぁと思いました。
研究施設を案内しています、サラナ・キンジェです。ごきげんよう。
モリーグ村研究施設。元は伯父様が私たち一家の為に建ててくれたお屋敷だ。ドヤールの建築物らしく、頑丈さは保証付きだそうですよ。『三つ首竜でも壊せないぞ、わっはっはっ』とは伯父様談です。たとえ三つ首竜がモリーグ村を襲撃したとしても伯父様が瞬殺するので、建物の強度はそれほど重要ではないのではと思ったのは内緒です。備えあれば憂いなしですからね。
でも、私たち一家がこのお屋敷に住んでいたのは2カ月弱といったところかしら。ユルク王国にきた当初から伯父様宅に入り浸っていて、このお屋敷には寝に帰るだけだったのよねぇ。結局、冬の寒さで行き来が面倒になる前に、さっさと引っ越しちゃいました。ほほほ。
その後は、私が商品開発をするためのアトリエとして利用していたのだけど。いつの間にやらダッドさんとボリスさんが住み着き、クズ魔石の魔道具やグェーの布団やニージュ製品の視察に来ていた職人やら研究者やらが集まりだし、ルエンさんより正式に研究施設にする事を提案され、伯父様がノリノリで許可し、お父様が迅速に予算を付けて下さったことで、今に至る。
その後、図書館までモリーグ村内に出来たものですから。どこの学園都市かと思うぐらい、インテリジェンスが集まっているのよねぇ。あ、モリーグ村自体は、まだ騎士たちの方が多いですよ。圧倒的に。でも家畜の数より人間の方が多くなっています。ド田舎からの目覚ましい発展だわ。
「す、凄い」
研究施設に入るなり、ロック君が馬車酔いで具合が悪いのも忘れたようにイキイキしだした。
「あ、あれ! ベンダック商会から売り出されたばかりの秤ですよね? あ、あれはメインズ王国の計算機? すごい、すごい!」
「我が研究施設には最新の設備を整えています。存分に研究なさってください」
元々、研究施設を案内する予定だったダッドさんとボリスさんがしばらく立ち直れそうにもないので、ルエンさんがロック君を案内をしてくれることになりました。ダッドさんとボリスさん? アルト会長からのえげつない説教で廃人の様になっていますが、すぐに復活すると思います。なんだかんだと打たれ強いからね、あの2人。打っても打っても、立ちあがって来るのよ。ほほほ。
ルエンさんが設備に大興奮のロック君に、誇らしげな顔をする。この研究施設にいらっしゃる職人や研究者の皆様、ド田舎に相応しくない充実した設備に、一度は驚くのよねぇ。でも、相応の成果を求めるなら、設備ぐらい十分に揃えなくちゃダメだと思うの。
それにしてもロック君、最新設備に詳しいわぁ。けっこうマニアックな設備にも喰いついているもの。研究資金に苦労していたようだから、失礼ながら、こういった最新設備には疎そうだと思っていたのだけど。
「お、幼馴染のジーンの商会では、こういった器具も取り扱っていて。よく最新の器具についての話を聞いていたので……」
ロック君が歯切れ悪く教えてくれたのだけど。これはあれですね。ジーン君に『ウチの商会ではこんな高価な器具も扱っているんだぞ。お前なんかには到底手が出せないだろう』とマウントを取られていましたね。それでもジーン君を悪く言わないなんて。ロック君の人の好さがにじみ出ているわぁ。
「ほ、本当に、僕なんかが、こんな素晴らしい所で働いてもいいのでしょうか」
「もちろん! サラナ様が直々にお連れになるのですから、ロックさんはそれだけで素晴らしい研究者でいらっしゃるのは間違いありません! どうかサラナ様のご慧眼を信じて、ここで伸び伸びと研究なさってください。衣食住や研究費用については何も心配されることはありません。先ほど交わした契約について、ご理解いただけていますね?」
「は、はい……。でも本当にこんな好待遇でいいのでしょうか。研究成果が出るまでは全ての費用を賄っていただくだけではなく、成果が出たら利益を頂けるなんて……」
不安げなロック君に、ルエンさんは慈悲深い笑みを浮かべる。
「『成果を得るためには環境と対価を惜しむな』とはサラナ様のお言葉でございます。この教えに従い、我が研究所は目覚ましい成果を上げ続けています。どうぞロックさんもサラナ様のお言葉を信じて、精進なさってください」
「は、はい! サラナ様の教えを胸に、頑張ります!」
おかしいわね。研究所の案内が怪しい宗教勧誘みたいに聞こえるわ。でも仕方がないのかも。だって、ルエンさんですもの。あの人、私を教祖か何かだと勘違いしているのよね。それがなければ、凄い人なのに。
「相変わらずですねぇ、ルエンさんは」
私と手を繋いで歩くアルト会長も苦笑している。先ほどとは打って変わって、上機嫌だ。
なぜアルト会長と手を繋いでいるのかと言われれば、ダッドさんとボリスさんへの説教を終えたアルト会長が、自己嫌悪のあまり落ち込んでいたからだ。耳も尻尾も垂れたしょぼんとした子犬状態のアルト会長を見ていたら、ついついこちらから『手を繋ぎますか?』と聞いてしまったわ。
いや、自分でもなぜそんなことを言ったのか分からないのだけど。前にアルト会長に手を繋いでもらった時は、妙に安心できたので、気がついたらそう口にしていたのだ。
アルト会長は驚いていたけど、それはもう分かりやすく喜んでくださった。頬を赤らめ、そっと手を差し出して来た時の色気ときたら。こちらが目のやり場に困ったぐらいです。
手を繋いで歩く私たちを、ルエンさんもロック君も、控えている侍女さんたちも、しっかりばっちり見えている筈なのにスルーしている。エスコートは礼儀の一環だから見慣れているかもしれないけど、手を繋ぐってなかなかないのに、誰も何も突っ込まないのが不思議だ。なんだか皆が必死に自然さを装っているような気配を感じます。気のせいかしら。
「あ、あの、アルト会長。紛らわしい手紙を送ってしまって、申し訳ありません」
アルト会長の機嫌がいいのを良い事に、私はすかさず謝罪を口にする。元凶は間違いなくダッドさんとボリスさんだけど、私が紛らわしい手紙を書いたのが発端だもの。ちゃんと謝らなくちゃね。
アルト会長は私の謝罪にちょっと驚いたようだが、しょんぼりと頭を下げた。
「……サラナ様のせいではありませんよ。私が早合点してしまったのです。こちらこそ驚かせてしまって、本当に申し訳ありません」
「全く! ダッドとボリスには困ったものです。私には、『アルト会長との調整は、俺らに任せておけよ』とか言っておきながら、あのような悪戯を……」
落ち込むアルト会長とは対照的に、ルエンさんはプンプンと怒っている。今回のダッドさんとボリスさんの企みに、ルエンさんは全く関わっていなかった。知っていたら、ルエンさんの事だから間違いなくアルト会長に事情を話していただろう。『あの2人はいつもやり方が雑なんだ。丸く収まったから良かったようなものの、妙な方向に拗れたらどうするつもりだったんだ』と、ブツブツ呟いていたルエンさんは、妙に迫力があった。
「ぼ、僕なんかが、サ、サラナ様のお相手に間違えられるなんて、なんて、恐れ多いですっ」
事情を知ったロック君も、申し訳なさそうな顔でチラチラとこちらを見ている。ロック君の顔が真っ赤になっていて、なんだか申し訳ない気持ちになるわ。巻き込んでしまってごめんなさいね。
「……あながち、全てが誤解というわけでもなさそうですね」
どこかヒンヤリとしたアルト会長の声に、ロック君がビクリと身体を震わせた。顔を青くして、ブンブンと手を振る。
「と、と、とんでもないですぅっ! アルト商会といえば、ユルク王国で知らない人はいない大商会! そんな方を差し置いて、ぼ、僕なんかでは到底敵わないと、わ、分かっていますからっ!」
委縮するロック君に、私は危機感を覚えた。人が良く控えめなのはロック君の良い所だけど、このままじゃダメだわ。
「まぁ、ロックさん。貴方は素晴らしい研究者よ。そんな言い方をしてはいけないわ。いずれはアルト会長とも対等に張り合えるぐらいにならなくては!」
今からそんな弱気じゃ、研究者として大成出来ないわ。確かにアルト会長は凄い人だけど、そんな人とも対等に渡り合える様にならなくちゃ!
商人の目線に押し切られるだけじゃ、納得のいく研究成果は出せない。ダッドさんとボリスさんぐらい、打たれ強く図太く育ってほしいわ。本当に打たれ強いのよ、あの2人。どれほどぺしゃんこになっても、何度でも蘇って来るんだから!
「サラナ様。どういうお気持ちでロックさんを応援しているのかは重々理解しておりますが、今はその時ではありません。流石に、アルト会長が気の毒です」
「えっ?」
ルエンさんの重々しい声に、アルト会長を仰ぎ見れば。再び、しょんぼりと耳が垂れた子犬が一匹。
わ、私のせい? え? なんで? 手を繋いでいるのに?
混乱する私の手を、アルト会長がそっと引き寄せた。自然と身体がアルト会長に近付いて……!
ち、近いわっ! いつものコロンのいい香りがこんなに間近にぃ。
「……分かっています。サラナ様が研究者としてのロックさんを応援していることは」
縋るような目に、胸がおかしいぐらい跳ねた。囁く声は、低くて甘い。
「でも私よりロックさんの方に肩入れされると、寂しいです」
なにこの可愛いくせに、妙に色っぽい子犬は。
わたしの顔にジワジワと熱が集まる。
「…………ご、ごめんなさい? ロックさんに肩入れしたつもりはないのですけど」
純粋に、研究者としてのロック君を応援したつもりだったけど、ダメですか。そうですか。
お父様の言葉が頭を過ぎる。『意外に悋気が強い』。なるほど。でも。
「私が一番信頼していて、頼りにしているのは、アルト会長ですから」
アルト会長なら誰にも負けるはずないと、無条件に信じている。それに。
「アルト会長には、誰にも負けてほしくないと、思っているの」
そう、気がつけば口にしていた。本当につるんと、自然に口から出ていた。
あれ? 私、何の話をしているのかしら、と混乱していたら。
アルト会長は、目を大きく見開いて。狼狽えたように顔を片手で隠して、そっぽを向いた。
でも、隠しきれていない頬も耳も真っ赤だ。えぇ。やだ、可愛い。凄く可愛い。年上の男の人にこんな事思うのはダメかもしれないけど、ただもうひたすら可愛い。その手で隠された部分を全部見たいわ。
「サラナ様っ、アルト会長っ……。よかった! ようやく、ようやく一歩前進したっ」
感極まったルエンさんがまた泣いていたみたいだけど、いつものことだから気にならなかったわ。
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