87 ロック(前編)
ロック君視点のお話です。
鉱石だからロックでいいかと仮の名前にしたら、そのまま採用されました。余談ですね。
本日あと1話更新です。
俺、ロックが今まで生きてきた中で、一番驚いたのは何かといわれたら、迷わずこの日の出来事だと言うだろう。
魔鉄の街メルド。俺が生まれ育ったこの街はカルドン侯爵領のなかでも大きな街だ。『街の半分が鍛冶職人で、もう半分が鉱夫だ』というのは、メルドではお決まりの冗談で、それぐらい、メルドでは魔鉄の鉱山と武防具が有名なのだ。
そんな鉱山と屈強な男が名産の街で生まれ育った俺は、何をするにも中途半端だった。生まれつき身体が弱く、筋肉も付きにくいので鉱夫の仕事をすれば半人前以下。鉱石の研究は好きで続けていたけれど、『鉱石博士』と呼ばれた俺の親父の様に、職人たちから頼りにされるような成果もあげられず、親父が亡くなった後は優しい鉱夫仲間に助けられてどうにか生きてきたようなものだ。
俺がずっと取り組んできたのは魔鉄の周囲から採れる丸石の研究だ。元は俺の親父が始めた研究だったけど、手伝っていた俺の方がのめり込むのにそう時間は掛からなかった。それぐらい、丸石の性質は面白かった。鍛冶職人たちからは、丸石の成分が少しでも混じると折角の魔鉄が脆くなってしまうと忌み嫌われていたが、俺にとって混ぜる鉱石の種類や配分で様々な性質に変異する丸石は面白くて、とても興味深い研究対象だった。
だが、周囲から見れば俺は価値のない丸石を延々とこねくり回している変人に見えたのだろう。特に幼馴染のジーンからは、役にも立たない研究にのめり込み、まともに働かないダメ人間扱いをされていた。そんな俺に、転機が訪れた。
その日はツイていなかった。マリーと話していたらジーンと鉢合わせして罵られ、突き飛ばされて尻餅をついてしまった。ジーンは軽く手を払っただけなのに、あっさりと倒れる自分のひ弱さが情けなく、結局、何も言えずにジーンとマリーが仲良く灯篭祭に出掛けるのを見送る事しか出来なかった。俺がもっと頑丈で、稼ぎも良ければ、ジーンにも友だちとして認めてもらえて、マリーにも少しは男として意識して貰えるかもしれないのに。悔しさと情けなさでしばらく動く事が出来なかった。
誰もが俺を遠巻きに見ている中、俺に近寄って来たのは、眼光の鋭い、熊の様な大男だった。その隙のなさは街でよく見かける冒険者にも見えたが、粗野な所はなく、とても優雅だった。もしや、どこかの貴族に仕える騎士様かもしれない。そんな人の前で無様を晒してしまったのかと、緊張で身体が固まった。下手をすれば無礼打ちで斬られるかもしれない。
その人は俺の目の前で立ち止まると、身体に響くような重低音で怒鳴った。
「立てぃ、小僧! お主がいつまでも座り込んでいては、サラナが心配するではないか!」
殺されると思った。脳で言葉を理解するより早く、身体が勝手に命令に従い、立ち上がる。
俺が立ち上がってもなお、その人は山の様に大きくて、子どもと大人ぐらいの圧倒的な体格差があった。絶対的な強者に見下ろされ、俺の人生はこれまでなのだと悟った。抵抗しても捻り潰される未来しか見えない。
だが意外にも、俺は殺される事はなく、往来で痴話げんかをするなと普通に説教された。説教は地味に心に刺さったが、知り合いの鍛冶屋の親父さんが間に入ってくれて、結局、親父さんの店で事情を説明することになった。
俺を殺そうとした、いや、説教をした人は、なんと、あの有名な『英雄』様だった。その上、御領主様までご一緒で、俺は自分の無礼な振る舞いに青くなり、平伏して許しを乞うた。『英雄』様も御領主様も「かまわん、かまわん」と大らかに許してくださった。気さくな方たちだったので、命拾いした。
『英雄』様には連れがいた。孫娘のサラナ様だ。サラナ様は俺よりも幾つか年下に見えた。男にしては小柄な俺よりも小さくて、でも健康そうなつやつやした頬とか、手入れの行き届いた綺麗な黒髪とか、花の様な香りとかが驚くぐらい可愛らしくて。本当に、『英雄』様の孫なのだろうか。同じ血が流れているとは思えないほど可憐なお嬢様だ。
そんなサラナ様と『英雄』様が並ぶ姿は、最近ジョーグルー商会から売り出された絵本『美しい少女と猛き獣』の様な組み合わせだ。ちなみに、『美しい少女と猛き獣』は、悪さをして獣に姿を変えられた王子と貧しくも心優しい少女との、身分も姿形も超えた恋物語だ。子ども向けとは思えない程ロマンチックな内容は、今、街中の女子に大人気らしく、絵本は売れに売れまくってなかなか手に入らないらしい。俺もマリーから『是非読んでみて!』とお勧めされたので知っていた。
そのサラナ様が、俺の研究成果である丸石を見た途端、表情が一変した。俺とジーンとマリーの話を聞いている時は控えめな笑みを浮かべるだけだったのに、丸石の話になると好奇心いっぱいのキラキラした表情になって、とても可愛い。うわぁ、可愛い。
「ロックさん。是非、私どもの研究施設にいらっしゃいませんか?」
「け、研究施設、ですか?」
「ええ。便宜上、研究施設と呼んでいますが、それほど大袈裟なものではありません。ドヤール家で資金提供をして、研究者や職人が様々な研究や実験をしています」
その研究施設では、研究者や職人が多く滞在しており、衣食住は無料どころか、研究資材や設備の無償提供、研究成果を上げればその利益も受け取れられるという。そんな、夢みたいに研究者や職人に都合のいい場所がこの世に存在するのだろうか。
「サラナ。アレはもう研究施設以外、なにものでもないぞ? ユルク王国広しといえど、あれほど設備の整った場所はなかろう」
『英雄』様が呆れた顔をサラナ様に向ける。
「でも元は、研究施設ではなくて、伯父様が私たちのために建ててくださった屋敷ですもの」
「それが今や、ダッドとボリスを筆頭に、研究バカどもの根城になっておるからなぁ。ルエンが設備投資に費やした金額を聞いた時は正気を疑ったが、奴らが上げた成果で、一年も経たずに回収したと聞いて、呆れたぞ」
「まぁ、お祖父様。設備についてはルエンさんの手配が順当ですわ。良い環境が無ければ成果に繋がりませんし、必要経費ですよ?」
きょとんとした顔で、サラナ様は当たり前のように仰るけれど。親父が使っていた故障ばかりの古い道具を使い続けている身としては、そんな環境は羨まし過ぎる。ジーンの実家の商会で扱う最新の設備を見せて貰ったことがあるけど、ウチの古びた道具とは比べ物にならないぐらい凄かった。秤一つにしても精度が全然違う。食い入るように道具を見ていたら、『研究者っていうなら、これぐらいは揃えろよ。まあ、お前ごときじゃ、いくら良い道具があっても結果なんて出せないだろうけどな』って、ジーンに笑われたっけ。ああ、優しいマリーはジーンの隣で困った顔をしていたなぁ。
「とにかく。ロックさんの様に優秀な方には、是非とも研究に専念してほしいのです。経済面や生活面の手厚い保護はお約束いたします! あ、でも、生まれ育った故郷や親しい人たちから離れての生活となるので、心細い思いをなさるかもしれませんが……」
滔々と研究施設について熱心に語っていたサラナ様の声に、段々と心配そうな色が混じる。なんて優しい人なんだろう。こんなに身分も高くて可愛い人が、俺なんかのことを心配してくれるなんて。俺は胸がドキドキした……が、サラナ様の後ろで恐ろしい殺気を放つ『英雄様』に、すぐに胸の高揚も治まった。怖い。殺気だけで死にそうだ。
「ふぅむ。サラナ様も奇特な方ですなぁ。そんな素晴らしい施設で、丸石の研究をねぇ……」
カルドン侯爵が呆れた様に俺とサラナ様を交互に見ている。その表情は『丸石なんか研究するに値しない』とあからさまで。いや、これが普通の反応なのだ。珍しく興味を持ってもらって嬉しかったけど、やっぱり、丸石なんて。
「こ、侯爵様の仰る通りです。わ、私には、過ぎたお話です……。丸石の研究なんて、何の役にも立たないですから」
俺だって分っている。丸石は俺と同じ、何の価値もない石ころなんだから。
俺は自然と俯いていた。俺は役に立たないどころか、皆のお情けに縋ってしか生きられない厄介者だ。そんな俺が、立派な研究所で働くなんて不相応だ。
「……役に立たないなんて、決めつけるのは早いのではないかしら?」
その言葉に、俺は思わず顔を上げた。サラナ様の見透かす様な力強い目が、俺を見ていた。
「ロックさんは、丸石の研究はやり尽くしたと思っていらっしゃるの?」
「い、いえ! 丸石は混ぜ合わせる成分や分量によって様々に性質が変わるんです。その組み合わせが何百パターンもあるので、全然……」
「じゃあ、やっぱり結論を出すのは早いわね。ロックさんも、丸石に見切りをつけるのはまだ早いと思っているから、研究を続けていらっしゃるのでしょう? 」
サラナ様の納得した顔に、俺は恐る恐る頷いた。俺がずるずると丸石の研究を続けている理由は、サラナ様の仰ったとおりだ。一つの配合が終われば、これを加えたら、あれの分量を増やしたら次はもっといい結果が出るかもしれないと期待してしまうのだ。次こそは、次こそはと止められず、金と資材が尽きても続けたくなる。
「研究というものはそういうものですわ。何百という失敗を繰り返して、成功に繋がる。よしんば成功しなくても、失敗から学べることは多いし、失敗から別の成功が生まれる事もあるの」
サラナ様はふふふと、楽しそうに笑う。
「だから、沢山失敗をしてもいいのです。それらは全て、貴方が研究者として育つ糧になっている筈だもの。誇りに思っていいのよ」
にこりと、確信に満ちた笑みを浮かべるサラナ様の言葉は、ゆっくりと俺に浸み込んでいった。
自分が信じて続けている事を、誰にも認めて貰えなくて。失敗ばかりで、何も成果が上げられなくて、それでも諦められなくて、呆れられても、無駄な事は止めろと言われても、馬鹿みたいにずっと続けてきた。
今までこんな事を言ってくれる人はいなかった。
失敗してもいいだなんて。誇りに思っていいだなんて。
まるで、失敗ばかりだった俺の人生まで丸ごと認めてもらえたようで。嬉しくて胸が痛くなるなんて、初めてだった。
「俺、行きたいです」
気づけば、俺の口からするりと承諾の言葉が溢れた。侯爵様は俺の決断の早さに驚いていたけれど、対照的に、それまで黙って聞いていた鍛冶屋の親父さんが、大きく頷いてくれた。
「いい判断だ、ロック」
親父さんはサラナ様に向き直ると、丁寧に頭を下げた。
「お嬢様。ロックの事を分かってくれて、ありがとう。こいつは、自分の事を何の価値もねぇって思い込んでいるが、こいつの事を知っている鉱夫や鍛冶屋は、みんなこいつがいつか丸石の研究をやり遂げるって信じているんだ」
親父さんは俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「ロック。お前は勘違いしているけどなぁ。鉱夫たちはお前を憐れんで面倒を見ているわけじゃねえ。お前が少しでも研究に専念できるように、仕事を代わっているんだよ。皆、お前の研究に協力したいけど、頭の出来がお前とは違うからな。せめて自分で出来る事で協力したいんだよ。あんなに沢山の奴らが、お前に期待しているんだぞ。もうちょっと自信を持て」
親父さんがぶっきらぼうに、そっぽを向きながら言った。親父さんからは今まで何度も同じような事を言われていたけど、俺を憐れんでそんな事を言ってくれているのかと思っていた。だけど今は、素直に親父さんの言葉を受け取れる。俺の事を馬鹿にせず、応援してくれる人たちも確かにいるのだ。
「不思議ですわねぇ。こんなに優秀な研究者で、周りにも恵まれているようなのに、自尊心が低すぎる……」
サラナお嬢様がこてりと首を傾げ、俺を不思議そうに見ている。じぃっと穴が空くほど見られて、俺はドギマギした。こちらを睨む『英雄』様の殺気が膨れ上がるのにも、別の意味でドギマギした。
「ああ、それは……。この街じゃ丸石は剣を脆くすると忌み嫌われているからな。それを研究するロックを、侮る奴も少なくはない。……それ以上に、ロックから自信を奪ったのは、あの馬鹿2人よ。ことあるごとに、ロックをコケにして、2人で勝手に盛り上がっていたからな」
「ああ……。なるほど。あの2人の影響で……」
「馬鹿2人から引き離した方が、こいつの為になるかもしれん」
「それじゃあ邪魔が入らないように早急に、連れて行った方がいいかもしれませんねぇ」
親父さんの言葉に、サラナ様がうんうんと頷いている。
俺の事を話しているようだが、『英雄』様の殺気の籠った視線にドギマギしてた俺は、会話の内容がサッパリと頭に入ってこなかった。
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