86 宰相との会食
80話のもやもや解消回。まさかの女帝不参加。もやもやは解消されたでしょうか?
時系列的にはサラナたちがカルドン侯爵領からドヤールに戻った後、入れ違いに王都に発っています。
「本日は忙しい中、時間を作ってもらい感謝する」
王宮の一室にて、ジークとセルトは宰相であるエルスト侯爵と向かい合っていた。
毎年この時期に、ジークとセルトは定期報告のために王宮へ訪れる。そんな2人に、エルスト侯爵より面談の時間を取って欲しいと要請があったため、都合をつけて昼餉を共に取ることになったのだ。
エルスト侯爵たちの前には王宮の料理人たちが用意した心づくしの料理が並んでいたが、侯爵は緊張の為に食欲が全くなかったが、そこは貴族だ。常と変わらぬ様子で食事を進めた。
「確かに忙しいですなっ! 何故王宮はああも書類ばかり要求してくるのか。宰相殿のお力で少し報告書の量を減らしてはもらえないだろうか? 尻が椅子に根付いてしまいそうだ」
対照的に、ジークは豪快に分厚い肉を口の中に放り込んだ。その遠慮のない物言いと態度に、エルスト侯爵は苦笑するしかない。
「確かにドヤール家の報告は増えてはいるが、それは貴殿らの事業が増えたからであろう? 今は優秀な懐刀がおるのだから、書類仕事も苦ではあるまい? まったくラカロ卿の様な頼りになる相談役がいて、羨ましいぞ」
宰相の軽口に、ジークはピクリと眉を釣り上げた。
「何度もそちらの文官たちからしつこく出仕のお誘いを頂いている様ですが、セルト殿は絶対に王宮にはあげませんからね? 私がいなくてもどうにでもなるが、セルト殿がいなくてはドヤール家の報告書は一つも仕上がりませんからな! 」
ともすれば貴族家の当主としての資質を疑われても仕方のない事を、ジークは堂々と叫んだ。
セルトが以前作成した報告書の様式は王宮で採用され、他領からも分かりやすい、書類作成が簡単になったと好評だ。また、何か手に余る問題が持ち上がる度に、ユルク王国ばかりか近隣諸国の法律に精通している博識なセルトの知恵を借りようと、結構な頻度で王宮の文官たちから問い合わせが来る。それにセルトが快く丁寧に対応するものだから、その有能さと人柄の良さが知れ渡り、結果、王宮の文官たちはセルトの王宮への出仕を熱烈に望むようになった。文官としてはかなりの好条件を提示されているので、ジークは気が気ではないのだ。
「ジーク様がいらっしゃらないと当主の決裁はおりませんよ? 貴方はドヤールにとってなくてはならない方なのですから、その様な事を軽はずみに仰ってはいけません」
「うぅ、しかし、セルト殿……」
セルトに穏やかに嗜められ、ジークはシュンと項垂れる。デカい図体を丸めたその姿は、まるで主人に叱られた飼い犬の様で。サラナが良く口にする『子犬状態』を思い出したセルトは、咄嗟に頬の内側を噛んで笑いの発作を抑えた。なるほど、これか。
「私はドヤールでの暮らしを気に入っているので、王宮で働く気はありませんよ。義兄上と働くのも楽しいですからね」
「セルト殿……! 俺もセルト殿が好きだぞ! 」
嬉し気に耳をピンと立てたデカい子犬が、大声で宣言する。
「……私は何を聞かされているのかな? 」
いい年した義理の兄弟のじゃれ合いに付き合わされたエルスト侯爵は、呆れた顔でぼやく。
「これは失礼、宰相殿! さて、お呼び出しの趣旨はなんでしたかな? 」
途端に表情を一変させ、ジークはエルスト侯爵と相対する。その威圧感のある笑みに、エルスト侯爵は気を引き締めた。
ドヤール辺境伯は武人として知られている。魔物ばかり相手にする野蛮な者などと陰口を叩く者もいるが、その実、人を相手をした駆け引きでもなかなかに油断できない相手だと、エルスト侯爵は知っていた。何代にも渡って多くの荒くれ者どもを抑え、辺境を治める一族が、武力だけを頼りにしている筈がないのだ。
「其方ら相手に、回りくどい交渉をするつもりはない。……そろそろ矛を収めてはもらえんか」
エルスト侯爵はジークとセルトへ、率直に告げる。
「確かに、トーリ様のなさったことは褒められたことではない。だが、貴君らが西に偏り続ければ、安定している国が割れてしまう」
今まで特に派閥に関わることのなかったドヤール家が、西の大貴族であるカルドン侯爵家と近しくあることで、貴族間の関係が微妙に揺らいでいた。今は小さな変化でも、放置すればやがて取り返しのつかない事態になるかもしれない。エルストは宰相として、それを案じているのだ。
ジークは黙ってばくりと肉を頬張る。セルトも特に反応せず、ワインに口を付けた。
「愚かな貴族の争いと、其方らは笑うかもしれないが、戦というものとは、愚かな争いが元で起こる事も多いものだ。私はそんな愚かな芽は、小さい内に摘んでおきたいのだよ」
謁見の日のトーリの失態を息子から聞いて、エルスト侯爵は青くなったものだ。陛下や王妃とも幾度も話し合いを重ね、ドヤール家へ褒賞は娘婿であるセルトを陞爵させ、王家がラカロ家の後ろ盾になることで落ち着いたというのに、それを台無しにされたこともさることながら、トーリの女性に対する接し方が幼児並みであることが露見したのだ。女嫌いである事は知っていたが、まさかそこまでかと、愕然とした。
最悪な事に息子を含めた側近たちの対応もマズかった。主の行動を諫めぬばかりか、女性に怪我をさせるのを黙って見ているなど、愚行が過ぎる。トーリも側近たちも、女性への免疫がなさ過ぎて起こってしまった事だ。エルスト侯爵は、トーリに気を遣って未だに息子の婚約者を決めていなかったことを悔やんだ。
その上、ミンティ男爵家の件がダメ押しだった。エルスト侯爵の妻がドヤール家を懐柔するための足がかりとして、懇意にしているランドール侯爵家の茶会にドヤール家の所縁の令嬢たちを招かせたまでは良かった。妻はランドール侯爵家のクラリス嬢に、ドヤール家の未来の嫁たちを丁重にもてなせと念押しをしていた筈だった。ドヤール家の未来の嫁たちは、クラリス嬢と同じ学園に通っている。この茶会を機に、ランドール侯爵家を通してドヤール家との接点を多くしていくつもりだったのだ。
それなのにどうして、ミンティ男爵家とドヤール家が、手に手を携えて王家に対抗するようになってしまったのか。クラリス嬢のミンティ男爵家の令嬢に対する酷い仕打ちは世間に知れ渡り、王家を支える基盤であるはずのランドール侯爵家の評判を大きく落とすことになってしまった。こんな事態を招いてしまい、王妃様に申し訳が立たないとエルストの妻は毎日のように嘆いている。
「其方らとて、国を荒らすことは望んでおるまい? ここらで手打ちにしてはもらえんか」
王家に腹を立てているとしても、ドヤール家は長く王家の剣として、盾として務めてきた家だ。本気で王家に翻意を抱いている事はないと、エルスト侯爵は信じている。
しばし、沈黙が落ちた。じっと沈思しているジークの傍らで、セルトは澄ました顔で黙っていた。
「もちろん、我らは国を荒らす事など望んではいない」
やがて静かに口を開いたジークは、淡々と答えた。
「ならば……!」
ジークの返答に身を乗り出したエルスト侯爵だったが、ジークに目線で制されて浮かせかけた腰を下ろす。
「……だがなぁ、サラナは泣いていたんだ」
抑えていた怒りを露わにして、ジークは押し殺した声で告げる。
「力も権力もある王家に、また未来を奪われるかもしれぬと、震えて泣いていた」
エルスト侯爵は、ジークの言葉を慌てて否定した。
「トーリ様にそのような意思はなかった! あの方は女性の扱いに慣れていないだけで……」
「それが本当だとしても、あの方の立場ならば、誤解されるような振舞いを慎むべきだろう。それを怠っておいて、簡単に許せなどとよく言える」
エルスト侯爵はぐぅっと黙り込んだ。ジークの言葉は厳しいが、尤もな事だ。王族というものは影響力が強い。本人にその気がなくとも、周囲はその意を汲みとって動こうとする。トーリが欠片でもサラナに興味がある事を外に示せば、サラナを囲い込む用意が整ってしまう。
「……とはいえ、我らとて現状のままでいいとは思っていない。西に近づいたのも、そちらを牽制する手段を増やしたまでだ。ドヤール家が直接王家に対抗するとなると、どうしても武力に頼らざるを得ないからなぁ。それは避けたいのだ」
ジークがぼやくように言うのを、エルスト侯爵は肝が冷える思いで聞いていた。未だ現役の『英雄』と『血塗れ領主』。この2人だけでも、騎士団に匹敵する武力を持つのだ。ドヤール家の兵たちどころか、領民たちも一筋縄ではいかない強者ばかりだ。彼らが敵に回ったら、確実にユルク王国に未来はない。
表面上は平静を装うエルスト侯爵に、ジークは淡々と告げる。
「まぁ……。そうはいっても、西とて、国と事を構える気はない。あちらとしても、事が大きくなりすぎて、慌てているようだからな」
ジークの言葉に、エルスト侯爵は訝し気に眉を顰める。西が慌てている? 王家を出し抜いて、喜んでいるのではなく?
「西も、王家への対抗心でウチと手を組んでみたものの、これほど影響力があるとは思ってもいなかったようですよ。事態を収拾しようにも、どうにもならないようで」
穏やかにセルトが告げるが、話の内容は全く穏やかではない。
「国を割るのが嫌なら、王家とカルドン侯爵家でさっさと手打ちにすればよいものを。我らにそれを求めるのはお門違いでしょう」
ドヤール家は西への販売網を広げただけだ。王家と西が不仲なのはたまたまだった。結果、西が力をつけ、王家と緊張状態になったのもたまたまなのだ。
「我が妻も、長い事あの2人の争いには、憂えていましたからなぁ」
そもそも、王家と西の関係は、今の王の代になる前はそれほど悪くなかったのだ。王家と西は、それぞれにお互いを尊重し、抑制し合っていた。権力が偏り過ぎないように、うまくバランスを取っていた。それを意地の張り合いで崩したのは、現王妃とカルドン侯爵夫人だ。どちらも気が強く、誇り高き淑女であり、学生時代から何かと張り合い、ぶつかり合っていた。一つ一つは小さなことだ。学園の成績の優劣、ドレスの競い合い、宝石の大きさ。それが現在の立場になっても、その小さな争いを引きずっている。たかが女の争いと侮る事はできない。なぜなら、争っているのは国の淑女の頂点ともいうべき王妃とそれに次ぐ権威を持つ侯爵家の夫人だ。それぞれに派閥というものがあり、些細な事でも国全体に大きく影響しかねない。
ドヤール家としてはそれでは困るのだ。王家とそれに対抗しうる西の大貴族カルドン侯爵家はもっと、理性的な関係でなくては、太平の世ならばいざ知らず、戦の時には致命的な弱みとなる。
ただでさえドヤール家には他国からも狙われかねないサラナがあるのだ。最近のドヤールの功績は、ユルク王国のみならず、他国にも大きく影響を与えている。一番の懸念は、他でもないゴルダ王国だ。あのゴルダ王国のことだ。婚約破棄して追い出しておきながら、平気でサラナを国に戻せなどと言いかねない。そんな時にユルク王国が揺らいでいては、あっという間にサラナは奪われてしまうだろう。それほど、彼女の価値は高まっている。
淡々と語るジークに、エルスト侯爵は目が覚める思いだった。侯爵とて、王家とカルドン侯爵家の問題は分かっていた。元は他愛のない女同士の争いだが、王家とカルドン侯爵家の関係が冷え込むのを放置していた。両者の関係は緊張していたが、それなりの均衡を保っていたし、これが権力争いだと達観して、ただ王家に与する事しかしてこなかった。
「……まさか、これが狙いか?」
ひゅうと息を吸い込んで、エルスト侯爵が声を絞り出す。
背筋に伝わる冷ややかな汗が不快感を増す。それ以上に感じるのは得体のしれぬ恐怖だ。
エルスト侯爵の頭に、『女帝』という言葉が過る。
在りし日、学園は高位貴族の令嬢たちを差し置いて、一伯爵家の令嬢でしかなかったミシェルによって完璧に統制されていた。名だたる高位貴族の令息、令嬢たちが、ミシェルを恐れ、又は心酔し、ミシェルの下、学園内は整然とした秩序で満たされていた。
そして今、学園からユルク王国に舞台を移し。『女帝』の傍らには、あの頃と同じように片腕としてカーナがおり、参謀としてセルトがいる。圧倒的武力を誇るドヤール家の後ろ盾がある。
妻が、口を酸っぱくして『女帝』を侮ってはならぬと繰り返していた意味を、エルスト侯爵は今痛い程、理解していた。
ドヤール家がカルドン侯爵家に近づいたのは、王家と王弟殿下にお灸を据えるのも勿論、目的の一つではあったのだろう。カルドン侯爵家の影響力が強まることによって、トーリにも仕出かした事の重大さが身に染みて理解できただろうし、ドヤール家の怒りも実感した筈だ。
だが真の目的は、王家とカルドン侯爵家の不仲を敢えて浮き彫りにし、両者の関係を正常に戻すべく歩み寄りをさせることだったのだ。
なんて恐ろしい事を考えるのだ。これで王家やカルドン侯爵家が強硬な手段を取っていたら、それこそ国を割っての争いになっていたかもしれない。
「貴殿の妻は、恐ろしいな……。なんと無謀な事を企てるのだ」
「我が愛しの妻は、聡明なんです。失敗などいたしませんよ」
真顔でけろりと惚気るジークに、エルスト侯爵は胡乱な目を向ける。
「……それで貴殿たちは、私に何を望むのだ」
今回の昼餐にドヤール家が素直に参加したのも、何か思惑があっての事だろうとエルスト侯爵は考える。絶対にドヤール家を説得してみせると息巻いていた数刻前の自分をぶん殴ってやりたい。完全にドヤール家の手の平で踊らされているではないか。
ジークは一気に老け込んでしまったように見えるエルスト侯爵に、にやりと悪い笑みを浮かべた。
「なぁに、それほど難しい事ではありませんよ。カルドン侯爵家には、歩み寄る準備はあるのだ。エルスト侯爵におかれましては、どうか王家の皆様に忠実なる臣下の願いを、お伝え願いたい」
つまり、宰相として両者の仲裁の調整をしろということか。
それは願ってもない事だ。国が丸く治まるのならば、いくらでも骨を折ろう。
だが、王家もカルドン侯爵家もドヤール家の手の平で転がされていたことを、王と王妃にどう伝えたものかと考えると、エルスト侯爵は胃の痛みを感じるのだった。
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