62 トーリの反省と罰 ~華と剣1~
お待たせしました。辺境伯家兄弟の婚約者のお姉さまたちが登場です。
ランドール侯爵家といえば、古くから王国の礎をなす名門というだけでなく、その領地は豊かな穀倉地帯と良質な鉱山で潤い、王国屈指の素封家でもある。貴族街の一等地に建つ荘厳な屋敷には、庭園で丹精込めて育てられた美しい花々が飾られていた。
ランドール侯爵家主催の茶会に招待された客たちは、うっとりと素晴らしい屋敷内を堪能していた。何気なく飾られている絵一つとっても、名のある芸術家の作品だ。歴史的価値のある調度品も多く、屋敷全体がまるで美術館か、博物館の様だった。
「初めて参加させていただきましたが、お噂の通り、本当に素晴らしくていらっしゃいますわ」
「ええ。溜息がでますわね」
感動したようにほぅっとため息を吐く、美しい令嬢が2人。少し年上の方がダイアナ・ナイト。ナイト子爵家の令嬢だ。白金に近い淡い金髪と、釣目がちな紫眼。細身で身長も高く、銀色のタイトなドレスを纏った姿は、ユリの花の様に凛々しい。もう1人はパール・アルヴィン。こちらはアルヴィン子爵家の令嬢である。緩やかに波打つストロベリーブロンドと垂れ目がちな碧眼。淡いピンクのふわりとしたドレスを纏い、小柄で愛らしい仕草は小動物の様だ。
茶会には珍しくも、様々な人々が招待されていた。通常なら、ランドール侯爵家ほどの高位貴族となると、少なくとも伯爵家以上の近しい家格の客を招くものだが、招待客の中には、子爵家や男爵家の者たちもちらほらと混じっていた。
そんな中でも、ダイアナとパールが通された席は、主催であるランドール侯爵家のクラリス嬢の近く。他の高位貴族を差し置いての席順であり、2人の家の爵位や家格を考えると、あり得ないほどの高待遇だが、2人は気後れする様子もなく落ち着いている。
「今日は来ていただいて嬉しいわ」
ホストであるクラリスが、楚々とした笑みを浮かべる。
「いつも仲良くされているご友人たちとは違うから、ダイアナ様とパール様には慣れないかもしれないけれど、気楽に楽しんで下さいませね」
クラリスの口調は柔らかく、一見、家格が低いダイアナとパールとを気遣っているように聞こえるが、意訳すると「いつもの下級貴族の集いと違う、上流貴族の集まりは、さぞ居心地が悪いでしょうね」と言う嘲りが含まれていた。慈愛のこもった優しげな声だが、残念ながら傲慢で高圧的な性格は隠れてはいなかった。
ダイアナとパールは、意味がわかっていないのか、その言葉に微笑んで頷いている。クラリスは、相手が下級だと頭が悪すぎて嫌味も通じないのねと、扇子の奥でほくそ笑んだ。
そもそも、子爵家の令嬢であるダイアナとパールを招いたのは、宰相夫人からの要請があったからだ。宰相夫人からは、あわよくば2人を派閥に引っ張り込むようにと言われていた。エルスト侯爵家とランドール侯爵家は王族派の要であり、彼女からの頼みを無碍に断ることなどできない。それにしても、王妃陛下からも信頼の厚い宰相夫人が、こんな吹けば飛ぶような弱小貴族家の令嬢たちを、どうしてここまで気にかけるのか、クラリスには全く分からなかった。
「本日は、特別なお客さまをお迎えしていますのよ」
クラリスが勿体ぶってそう言えば、客たちはサワサワと騒めく。
クラリスの言葉を合図に、四人の若者が入室する。その姿を見て、騒めきは大きくなり、客たちは慌てて立ち上がり、礼を取った。どこからか、令嬢たちの感極まった、悲鳴のような声が聞こえる。
「皆、楽にしてくれ」
トーリの言葉に、皆は恐る恐る顔を上げた。こういった場には滅多に現れない王弟殿下とその見目麗しい側近たちの姿に興奮して、若い貴族たち、とくに令嬢たちの熱気が上がる。
そんな中、ダイアナとパールは慎ましく微笑んでトーリを迎えていた。時折、お互いに顔を寄せ合って言葉を交わし、クスクスと笑いあっているが、他の令嬢たちも浮足立ってもじもじとお互いに視線を交わしたり、牽制し合っていたので、特に目立つこともなかった。二人の扇子の奥の口元が冷ややかに弧を描いている事に気づくものは、誰もいなかったのだ。
トーリたちの登場に浮ついていた茶会の雰囲気も、トーリたちが席に着くと、次第に落ち着いていった。もちろん、賓客である王弟たちの席は、ホストであるクラリスの側だ。同じ卓であるダイアナとパールは大人しく聞き役に徹しているが、他の卓の高位貴族の令嬢たちからは、痛い程の嫉妬を感じていた。なぜ子爵家ごときのお前たちが、その席なんだという非難の視線だ。
しかしそんな令嬢たちの妬みを向けられていても、ダイアナとパールは全く気にしていなかった。トーリたちとクラリスの会話をニコニコと笑って聞くのみで、特に会話に参加する事もない。
「本日は急に茶会に参加したいなどと無理なお願いを聞いて下さり、ありがとうございます」
「まぁ。こんな誉れなお願いなら、いつでも聞かせていただきたいわ」
トーリの側近であるレック・エルストに謝罪され、クラリスはコロコロと笑い声を上げる。エルストの母である宰相夫人と、その子息であるレックからの頼み事など、ランドール侯爵家にとって断る理由もない。両家が親しければ王族派の基盤は強固であると、他家に印象付ける事もできる。
「トーリ殿下や皆様は、先日まで西の討伐に参加されていたとか。まだ学生でいらっしゃるのに、兵たちに交じって戦われるなんて、流石でいらっしゃいますわ。ですが、殿下は尊きお方。お怪我など無理はなさらないで下さいませね」
クラリスが可憐に小首を傾げると、近くの令息たちが顔を赤らめる。可愛らしくも色っぽいその仕草に、格上の令嬢という事を忘れ邪な目を向ける者もいた。
そんな中、ほんの僅か嫌そうに眉間に皺を寄せるトーリを、ダイアナとパールは見逃さなかった。
側近たちは、クラリスを警戒して気づかれぬ様にピリリと緊張を巡らせる。
ランドール侯爵家の茶会に参加したのは、王妃陛下より下された命があったからだ。西の討伐から帰るとすぐ、隙間なく茶会や夜会の参加スケジュールを見せられた。王族派やそれ以外の派閥にも満遍なく、これまで避けていた社交を取り戻すがごとく、容赦のないものだった。今回の茶会もその一つに過ぎない。
だが、ランドール侯爵家にはトーリと釣り合う家格と年頃の、しかも婚約者のいないクラリスがいる。クラリスは以前からトーリの事を憎からず思っており、それを隠そうともしない。父親のランドール侯爵も内から外から、クラリスを王弟妃にねじ込もうと画策している、厄介な相手なのだ。
これまでは陛下や王妃も無理な縁談をトーリに勧めることはなかったので、ランドール侯爵が強引な手段に出ようとしたら、さり気なく庇ってくれていたものだが。あの失態以来、それぐらい自分の力量で跳ね返せ、出来なければ諦めて嫁に貰えという方針に転換したようだ。トーリの自由を尊重したがために、ドヤール家との軋轢が生まれたのだ。甘やかしてばかりでは成長も出来ないと思ったのだろう。
もしもトーリが高位貴族からの圧ぐらい自身で跳ね返せず、相手に思う様に利用されるのならば、陛下も王妃も遠慮なくトーリを切り捨てるだろう。早めに王籍から外し、権力争いからは遠ざけるに違いない。兄弟の情より、国の安定を取ることは明白だった。
だからトーリと側近たちは、今回のような茶会や夜会では、今までの様に一切を冷たく拒絶することは許されない。いかに言質を取られぬように、神経をとがらせながら、令嬢や令息、その親たちと接していかねばならないのだ。
だが、警戒を強めるトーリたちにとっての敵は、思わぬところにいた。
「まぁ。まるで一幅の絵の様にお似合いだわ」
それまで聞き役に徹していたダイアナが、頬を紅潮させて、うっとりとトーリとクラリスを見つめる。
「本当ですわ。美しい方が並んでいらっしゃると、まるで物語に出てくる、王子と姫君の様だわ。このような尊きお方たちを間近で見られるなんて。今日はお招きいただいて、本当に良かったわ」
トーリとクラリスが並んで座っているのを見て、パールも熱心に頷く。
「なっ。君たち、何を」
エルストが慌てて声をあげるが、ダイアナもパールも、キャッキャと笑いながら、好き勝手に盛り上がっている。悪意を込めた噂ではなく、純粋に素敵な組み合わせを見て喜んでいる雰囲気なので、咎めるのも難しかった。
「きっと、物語の様に素敵な結末になるに違いないわ」
「あら。ダイアナお姉さまもそう思いまして? 私も、勝手に素敵な未来を思い描いてしまったわ」
チラチラとお似合いのカップルを見る様な、憧れの籠った視線を向けられ、クラリスは途端に気分が良くなった。子爵家の者にしては、気が利いている。宰相夫人が派閥に取り込めといったのも、今更ながら分かる様な気がした。さり気なくトーリとクラリスの仲を取り持とうとする手腕が、なかなかに見事だ。
「君たち。ランドール嬢に失礼だよ」
トーリが固い声で注意すると、ダイアナとパールは殊勝に頭を下げた。
「申し訳ありません。あまりに素敵なお二人を見て、つい……」
「申し訳ありませんわ。王弟殿下、ランドール様」
ぽそりと聞こえるか聞こえないかの小さな声で、「まだ正式な発表はございませんものね」と呟いたダイアナの声を、聞き拾ったのは数人程度。サワサワと風の様に広まる騒めきに、クラリスはとっさに扇子で笑みを隠し、トーリは口元を引きつらせて押し黙る。
「君たちは、見ない顔だが……」
「まぁ。ご挨拶が遅れました。ナイト子爵家が長女、ダイアナにございます」
「アルヴィン子爵家が長女、パールにございます」
座位のまま、略式に礼を取れば、トーリと側近たちの顔が揃って引きつった。
この大人し気な令嬢たちが、ランドール侯爵家と同等の要注意人物であったことに、遅まきながら気づいたのだ。この茶会に招かれていたとは。
「ドヤール家の……」
呟くトーリの言葉に、二人の少女は、ふわりと慎ましやかに笑みを浮かべる。
「ええ。ヒュー・ドヤールの婚約者、ダイアナ・ナイトですわ」
「同じく、マーズ・ドヤールの婚約者、パール・アルヴィンです」
エルストの脳裏に、母である宰相夫人の言葉が蘇る。
『あの、ミシェル・ドヤールが手塩にかけて育てたドヤール家の嫁たちです。決して、決して侮ってはなりません!』
子爵家の令嬢相手に、なにを大げさなと思ったものだったが。
『女帝』の申し子たる令嬢たちの容赦なき攻めに、慄きを禁じえなかった。
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