57 アルト会長の葛藤
気になる事は即解決! が信条です。サラナ・キンジェです。ごきげんよう。
あのあと。所用があると退出したアルト会長を追いかけて。私はお客様に挨拶もそこそこ、部屋を飛び出した。
「アルト会長!」
私よりちょっとだけ先に部屋を出たのに。もうその姿は廊下のどこにもなくて。はしたないけど、スカートを持ち上げて前世以来の全力ダッシュで、なんとか追いついたわ。アルト会長、足が速いっ!
はぁ、運動不足だわぁ。私もお祖父様と一緒に、毎日素振りでもしようかしら。
「サラナ様。申し訳ありません。これから打ち合わせが」
こちらに目を合わすことなく、アルト会長が早口で仰っていますが、聞こえないふりをしました。逃しませんよ。
「サラナ様? アルト会長? ジョーグルー商会との話は終わったんですか? 何か問題でも?」
アルト会長を待っていたカイさんが、なんとなくぎこちない私たちの様子に、困惑して声を掛けてきた。
「カイさん。今日のアルト会長のご予定は?」
「え? ええっと。この後は、ダットさんたちとの打ち合わせだけです」
「アルト会長をお借りしたいのだけど。カイさん、代理をお願いできるかしら?」
モリーグ村支店のほぼすべての権限をもっているカイさんなら大丈夫だろうと聞いてみると。何故か目を輝かせて了承してくれた。ひゃっほーと声を上げながら、仕事に行っちゃいました。そんなに代理が嬉しいのかしら。
「サラナ様。そういうわけには……」
「私は今、すぐに、どうしても! アルト会長とお話ししたいのですっ」
渋るアルト会長を、無理やり来客用の部屋に押し込んで、侍女さんにお茶の用意を頼むと。こちらもひゃっほーとまではいかないが、妙に張り切って準備してくれている。皆さん、仕事が好きなのね……?
私に押し切られ、渋々席に着いたアルト会長は、珍しく落ち着きなく何度も手を組み替えていた。
感じるのは、怒りと、それから、悲しみ……?
そんな彼を見ていると、たまらない気持ちになった。
思わず側によって、その大きな手に自分の手を重ねる。
アルト会長は、びくりと身体を震わせて、ようやく、こちらに目を合わせてくれた。
「……サラナ様。貴女には、こんな情けない所を見せたくないのに」
恥じる様に、顔をそむけるアルト会長。
初めてじゃないかしら、アルト会長がこんなに動揺しているのを見るのは。いつも、穏やかで動じない彼しか知らないから、戸惑ってしまう。
でも、と私は思い直した。どんなに大人で、強い人だって。心細くて、頼りない気持ちになる事はあるわ。
アルト会長は、商人としては一流で。誰かに隙を見せたり、弱味を見せる事など出来ない。そうでなくては、商会を守っていけないから。だからずっと、笑顔の下に色々な感情を隠していなくてはならない。
『辛くないはずがなかろう』
わたしの誕生会に、お祖父様に言われた言葉が蘇る。
王弟殿下の言葉で傷ついて、それでも淑女の笑みを浮かべた私に、お祖父様が掛けてくれた言葉。私の心に寄り添って、痛みを分かち合ってくれたあの言葉。
アルト会長の大きな手をぎゅっと握って、私は微笑んだ。
「私はいつも、アルト会長を頼りにしていますのよ?」
私みたいな小娘に、何か出来るなんて思わないけど。それでも、愚痴を聞いたり、一緒に悩んだりするぐらいは出来るはず。
「だからたまには、アルト会長も、私を頼ってくださいな」
それで少しでも、アルト会長の気持ちが、軽くなってくれればいい。
アルト会長の目が、驚いたように見開かれる。強張っていたお顔が、少しだけ緩んで、その頼りない表情に、胸がキュンとなる。あれ?
私、どうしてキュンキュンしているのかしら。お祖父様? どこかにお祖父様が隠れているの?
ちょっぴり混乱して、アルト会長から目を逸らしたら。握っていた手を、ギュッと握り返されて。
あら? と思っている間に、その手にそっとアルト会長の唇が触れた。
壁際にひっそりと控えていた侍女さんから、声にならない悲鳴が聞こえた気がする。
私も、声にならない悲鳴が、ぎゃーっと出た気がした。
ア、アルト会長の唇が、柔らかいぃっ!淑女の嗜みとして、手袋は着用しているけどっ! 感触が生々しいっ!
心臓をバックンバックンさせている私をよそに、そっと唇が離れて、アルト会長が微笑む。そんな可愛い顔されたら、どうしたらいいか分からないわよっ!
「サラナ様。ご心配頂き、ありがとうございます」
そう言ってアルト会長は、私の手を離してくれた。
さっきまでの、動揺していた様子は微塵もなく。すっかりいつもの彼で。
それどころか、嬉しそうに煌めく瞳や、甘やかな表情は、いつも以上に上機嫌で。急激な変化に、私一人がついていけてませんっ!
「昔、少々、実家と揉めまして。決別してあの家を出てからは、一切、関わりを絶っています。実家も、私の事は居ないものとしておりますので」
「……そうですか」
少々揉めたにしては、アルト会長の様子が深刻過ぎたけど、詳しい内容は語る気は無いようだ。しかし、先ほどまでとは違い、サッパリと吹っ切れた様子のアルト会長に、私は追及する気持ちが失せた。気にはなるけど、アルト会長に話す気がないなら、無理に聞く事は出来ない。気にはなるけど。ううーん。
「昔の、情けない失敗ですから。愛しい方には、男の矜持にかけて、明かしたく無いのです」
スッキリせずにモヤモヤしている私を見かねて、アルト会長は苦笑まじりにそんな事を仰る。真面目な話をしている時に、ドギドキワードをぶっこむのは止めてください。心臓が持ちませんから。
なんだか、揶揄われている気がして悔しくなった。前世の私の年齢からしたら、アルト会長はだいぶ年下なのに。こういう扱いに慣れてないのを、見透かされているみたいだ。
「まぁ。情けない失敗話を明かせば、もっと親しみがわくかもしれませんわよ?」
悔し紛れにそう言ってはみたけど。
「そうですね。では、次はその手で攻めてみましょう」
軽やかに躱されました。くぅぅ、悔しいっ!
◇◇◇
「ルエン?」
ジョーグルー伯爵らを見送った後、バッシュに問いただされる様に名を呼ばれ、ルエンは溜息をつく。
「……事情は把握しております」
そう端的に答えを返せば、バッシュはフムと頷く。
「そなたが把握しているという事は、セルトも分かっているということか。ならば、何も言うまい」
バッシュの娘婿に対する信頼は厚い。その娘婿がアルト会長の事情を把握していて静観しているのならば、今はまだバッシュの出る幕ではない。
「何か、接触があるのか?」
「今のところはありません。しかし、ジョーグルー伯爵が仰っていたような美談の通りとは言い難いですね。領民に対する待遇も、あまり良い噂を聞きません」
ルエンの顔に怒りが浮かぶ。調べに抜かりはない筈だが、あれが事実だとしたら、胸糞が悪いにもほどがある。
アルト会長とルエンは、仕事上の付き合いしかない。だが、ルエンはアルト会長の人柄や能力、そしてその努力を、一緒に仕事をしていて具に知っていた。仕事相手としてだけでなく、アルト会長その人に好感をもっていた。そうでなければ、サラナの婿候補に、一番に名を挙げたりしない。そんなアルト会長が、昔の事とはいえ不遇の目にあっていた事に、どうにも腹の虫が治まらなかった。
「おい」
バッシュの静かな声に、ルエンは我に返り、表情を改めた。怒りが顔に出るなど、無様でしかない。
「……申し訳ありません」
「いや、構わん。ワシも表情を取り繕うのは苦手だ。尤も、顔に出る前に手が出るがな」
にやりと口角を上げ、さらりと恐ろしい事を言う。バッシュの手が出たら、相手は生きていられるのだろうか。
「セルトが動かぬのなら、まだその時ではないという事だ」
「それは、そうですが」
だからと言って、サース家をあのまま放置するのも業腹なのだ。
「あの小僧がそう簡単に負けるとも思えんが、もしも手に余ることがあれば、ワシが手を貸す」
その言葉に、ルエンは頬をひきつらせた。力というのは、純粋に『腕力』なんだろうなと、察したからだ。しかし、とルエンは不思議に思った。バッシュは、サラナの婿候補に対して、とても厳しい。それが、簡単に手を貸すとは。
「意外です。バッシュ様は、アルト会長の事を気に入らないと仰っていたので」
「そなた等は、我がドヤール領に尽くしてくれた恩人。身内も同然よ。ワシは戦う事にしか向いておらんが、ワシの懐で守ると決めた者に、その命を懸けるのは当然の事よ」
頼もしすぎる、バッシュのその言葉に。
ルエンは、サラナの言っていた『お祖父様にキュンキュンするの』という言葉の意味が、ちょっとだけ分かった。
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イラスト:匈歌ハトリ先生




