27 お父様と時々伯父様
「今頃サラナ達は、シャンジャに着いたかなぁ」
「そうですね。そろそろ着いた頃でしょう。ジーク様、手が止まっていますよ」
「はいはいー」
唇を尖らせてペンを取るジーク様に苦笑する。そろそろ集中力が切れている。休憩を入れる頃合いか。
王宮への報告物のせいで旅行にも行けず、大分腐っていたジーク様だが、早く終わればジーク様も視察に合流出来るかもしれませんよ、と仄めかせば、俄然、やる気になった。最初からそのやる気を見せていれば、旅行に間に合ったのではないかと思うが、まぁ、よしとしよう。完成も間近な事だし。
執務室の窓の外には、見事な青空が広がっていた。港町シャンジャは海を見渡せる眺望でも有名だ。素晴らしい景色に、最近落ち込み気味な娘の気が、少しでも晴れればと、祈りの様な気持ちになる。
「セルト殿!もう限界だっ!お茶にしよう!」
「分かりました」
義兄の叫ぶ声と同時に、ドアをノックする音。入室を許可すると、侍女達がお茶の用意が出来たと告げる。さすが優秀なドヤール家や使用人達だ。主人の集中力が切れるタイミングをよく分かっている。
「本日のお茶菓子は、紅茶風味のクッキーをご準備いたしました」
「紅茶風味?初めて聞くな」
義兄が首を傾げると、侍女はにこやかに頷く。
「サラナ様のレシピに御座います。私共も味見をいたしましたが、甘さが控えめで風味が良く……」
「それは確実に美味いやつだな!多めにくれ!」
「お夕食はサラナ様のレシピのグラタンで御座いますが……」
「ぐっ!何?あのお肉ゴロゴロのグラタンか?くっ、そっちは絶対にお代わりしたくなるはずだからなぁ。お茶菓子を控え目にすべきか……」
報告書の作成よりよほど真剣に悩んでいる義兄に、私は笑いを堪える事が出来なかった。どれほど悩んでいたとしても、結局、どちらもペロリと平らげるに違いないからだ。
私の娘、サラナは、思えば幼少期から変わった子だった。
「お父さま。わが領は特産物もなく、目立った産業もございません。今はなんとか保っておりますが、今後の事を考えると、厳しい状況ではございませんか?」
「ふむ。そうだね、サラナ。不作や疫病などが起これば、今の均衡は危ういね。備蓄はしているが、一年保つかどうか。さて、君は今後の領政をどうしていくべきだと思う?」
齢5歳にして、サラナは私とキンジェ領の先行きを真剣に議論していた。昔から聡い子であったが、教えれば教えるほどグングンと色々な事を吸収し、己のものにしていく力が、サラナにはあった。荒削りではあるが、斬新な考えを持っていて、彼女のアイディアを実際の領政に反映させる事も多々有った。私はキンジェ領主として優秀などと言われていたが、サラナの協力が無ければ、そんな評価は得られなかっただろう。
いずれはサラナに婿を取り、キンジェ家の跡を継いでくれるものと思っていた。サラナならば、厳しい状況のキンジェ領を、大きく発展させてくれるかもしれない。彼女の助力で、その兆しは見えていたのだから。婿はサラナのやる気を削がない、穏やかな、利発な男がいいだろう。サラナを尊重して、二人で協力し合ってキンジェ領を盛り立ててくれるならば、婿の身分が低くても構わない。そんな未来を、ぼんやりと描いていた。
だが、そうはいかなかった。サラナが、ゴルダ王国の第二王子妃に選ばれてしまったのだ。
サラナが選ばれた理由は、第二王子の婿入り先の選定が難航したからだった。第二王子は容姿は優れているが、優秀な第一王子に比べ、一言で言えば愚鈍だった。まだ9歳の子どもであるが、末っ子ゆえに甘やかされて育ち、ワガママで癇癪持ち、勉強嫌いで横柄。高位貴族家からは、王家と繋がりが出来る事を差し引いても、倦厭される様な性格だった。第二王子であるが、我が国は王女にも王位継承権があるため、継承権は第4位。妹姫より低い継承権からも、王位にふさわしくない人柄である事が容易に想像出来る。貴族家の婿として迎え入れればどうなるか、想像に難くない。
我が伯爵家は歴史は長いが裕福とは言い難いため、まさか第二王子の婿入り先として選ばれるとは考えもしなかった。様々な条件をつけられたが、貧乏くじとしか言えなかった。
しかも第二王子は、サラナとの初対面で『地味な色合い』などと評し、不満を隠そうともしなかった。うちのサラナは世界一可愛いというのに、目も頭も性格も残念極まりない。奴はその後のサラナとの交流も、王に命じられ仕方なく、という態度を隠そうともせず、サラナへの不満を垂れ流すばかりで、婚約者としての仲を深めようと言う気配すらなかった。長じるにつれ、その容姿に群がる女性達を侍らせ、ますますサラナを蔑ろにしていた。
そんな未来の娘婿を諌める事も出来ず、王家の命にも逆らえず、私は、なんと不甲斐ない父親だったのだろう。健気なサラナは第二王子を補うべく、王家から厳しい王子妃教育を課せられ、娘らしい楽しみは何一つ味わわせてやれなかったというのに、不満一つこぼした事はない。その能力の高さと、弛まぬ努力のおかげで、娘は『淑女の鑑』などと評されるまでになっていた。
そんなサラナが、突然、何の責めもないというのに、第二王子から婚約を破棄された。王子はサラナよりも先に学園に入学したが、そこで平民の聖女と恋に落ちたのだとか。しかもサラナが子が産めぬためなどという理由をでっち上げ、王命での婚約解消となったのだ。
流石に理不尽が過ぎる。そう王へ抗議したが、息子可愛さに王は我が娘の瑕疵とするよう、命じてきた。十分な賠償と、サラナの新しい縁談を用意するなどと言ってきたが、子が産めぬとでっち上げられた娘に、まともな縁談など来るはずがない。
キンジェ家の縁戚の者達は、これを機にキンジェ家の跡取りを自分達の息子に変更しろと迫ってきた。サラナを貰ってやるが、子が出来ぬなら側妻や愛人としてだ、などと嘯いた。
その言葉を聞いて、私は、ゴルダ王国への忠誠も、領主としての責任も、全て捨てる事を決意した。王へ、縁戚の者に後を譲り、ユルク王国へ家族で移住したいと願い出た。第二王子の一件で、私達に後ろめたい気持ちもあったのだろう。王は咎める事も無く、私の願いを聞き届けた。国を出るにあたり、領民達の事だけは気掛かりだった。親しくしていた近隣の領主達に、もしもの時には領民達の受入れを頼んでおいた。領内の主だった者達にも、新しい領主に良からぬ動きがあれば、他領に逃げるよう伝えている。噂で聞く限り、今のところは大きな動きはないようだ。
そして、サラナだ。これまでは過酷な王子妃教育で思うように時間が取れなかった彼女は、今後、どう変化していくのだろうか。元々の素質もあるが、王子妃教育で叩き込まれた知識は、彼女の糧となり、大きく花開くだろう。だが、その恩恵を、この理不尽な国に還元するなど、私には我慢ならなかった。
妻のカーナも同じ考えだった。サラナを蔑ろにしたこの国に、彼女は深い嫌悪感を持っていた。カーナは隣国、ユルク王国の生まれで、私と出会い、躊躇う事なくこの国に嫁いできてくれた。嫁いできた当時は、風習の違いや知り合いがいないこの国で苦労をしてきたが、健気にこの国を愛そうと頑張ってくれていた。それなのに、その国が、娘を傷つけたのだ。
妻に国を出るのなら、ユルク王国に戻ろうと提案された。既にカーナは義兄に手紙を送り、ユルク王国への移住を相談していた。義兄からは直ぐに帰ってこいと返事が来ていたそうだ。
「だがいいのかい、カーナ。私は爵位を返上する。平民になってしまうんだ。私と離縁すれば、君とサラナは、ドヤール家の末席として貴族として残れるだろう」
「あなた。私の家族はあなたとサラナです。身分のために離れるなんて、絶対に有り得ません。あなたが平民なら、私もサラナも平民です。私を、捨てないで?」
妻は私を心細げに見上げてくる。彼女が自分の意見を通すための手法だと分かってはいるが、私はこのオネダリに勝てた事はない。
サラナは第二王子に婚約破棄をされた事について、怒りも悲しみもしなかった。「あまり関わりがなかったので……。運命の人とやらに出逢えたのだとか。まぁ、良かったですねぇ」と、いつもの気の抜けた笑いを見せるだけだった。
「そんな事より、お父様っ!モリーグ村は長閑な所らしいですわよ!スローライフが楽しめますわね!」
スローライフとやらはよく分からないが、サラナが前向きなのは良い事だと。第二王子との婚約破棄で傷ついた様子は見受けられないが、忙しすぎたこれまでの生活を思えば、田舎でゆっくり過ごすのも悪くない。
ユルク王国へ渡った私達は、義兄家族に歓迎された。娘を不幸にしたと、義父に斬られる覚悟もしていたが、義父はよく帰ってきたと、目尻を下げて喜んでくれた。
生まれた時に一度顔を合わせただけだったが、サラナは義父に一目で懐いた。引退して大分経つはずだが、未だに厳つく迫力のある義父に向かって、「まあぁ、お祖父様。私よりとても大きくていらっしゃるのね!」と、興味津々で義父に纏わりつく。義父も面白いぐらい相好を崩して、「サラナ、サラナ」と溺愛している。
サラナがドヤールに馴染めるかと心配していたが、義父や義兄家族のお陰で、何の問題もなく過ごせているようだ。私も書類仕事が嫌いな義兄のお目付役、いや、補佐として働く事が出来て、ドヤール家のお荷物にはならずに済みそうだと安堵している。
義父からは早々に、義父の持つ男爵位の譲渡を提案された。サラナが平民のままだと、何処かの貴族のボンボンに見染められ、強引に妾にされるかもなどと、孫バカの斜め上の心配をしていた。未だに伝説を作り続ける義父の溺愛する孫に、手を出す愚か者はいないと思うが、仕事上必要だからと義兄からも懇願され、男爵位を受ける事になった。
義父が竜の討伐の際に前国王から頂いた男爵位らしいが、私には分不相応で、恐縮したものだ。私は竜どころか、魔物一匹、討伐した事はないというのに。
ユルク王国に来てからのサラナは、思っていた通り、いや、思っていた以上に、様々な変化をもたらしてくれた。次々と新規事業を立ち上げ、モリーグ村に、ドヤール領に、恵みをもたらした。その恵みは確実に、ユルク王国全土へと広がるだろう。あの子は自分の周囲を、幸せにせずにはいられない性質だから。
サラナの心のままに好きな事をさせてやりたいが、ゴルダ王国の反応も気になるところだ。奴らのような厚顔無恥が、サラナの価値に気付いたらどうなるのか。聞けば第二王子とそのお相手の聖女は、素行が悪過ぎて王家の求心力降下に貢献しているとか。サラナのもたらす莫大な利益と、民からの人気を我が物にしようと画策するかもしれない。
その為にも、私は力を付けなくてはならない。義父や義兄の様な武力は無くとも、それ以外の方法で、私の全てを尽くして、私の家族を守る。
それにしても。ゴルダ王国以外にも、サラナは厄介な方を惹きつけてしまっている様だが、生半可な覚悟では、彼女を手に入れる事は出来ないだろう。彼の評価は、ドヤール家内では現在下降の一途を辿っているが、ここから浮上するかどうかは、努力次第だろう。
窓の外に視線を向けると、気持ちいいぐらい晴れた空。これならば、シャンジャの海も殊更美しく輝いているに違いない。
今頃サラナは、義父と共に、シャンジャの海に目を輝かせているのだろうか。
そして、刺激の多い港町で、今度は一体、どんな騒動を巻き起こすのか。怖い様な、楽しみな様な、落ち着かぬ気持ちになるが、私のやる事は、いつも変わらない。
サラナが笑顔でいる為に、力を尽くすだけだ。
書籍化作品
「追放聖女の勝ち上がりライフ」も連載しております。ご一緒にいかがでしょうか。




